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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
31/44

覚悟と思惑



路面電車を乗り継ぎ、たどり着いたのはいつもと変わらず、真っ黒な扉を看板代わりにした喫茶店。

カウンターでコーヒーをすすっているのは、少しやつれた親友だった。


「よ!」


吾妻は壱成を見つけると、軽く手を上がる。


「痩せたか?」

「わかる? 最近、仕事に、調べごとに、忙しいんだよ」


吾妻はふああと大きく欠伸をして、壱成に封筒を差し出す。


「大っきい方の情報だ。かなーり、臭いぞ? これはやべーのに気がついたかもしれないな。金の流れがきな臭いんだ。うまく下請けの中小企業にも分配してて複雑な仕組みになってる。全体像が掴めないが、たぶん相当金を溜め込んでるぞ? 何かに使ってるかもしれないが、そこまで調べられなかった」


それは音八の情報だった。


「悪いな。助かる。喜助のほうはどうだ?」

「仕事で忙しいみたいだ。ま、神出鬼没だから、どこかで悪さをしているのかもしれないが、あいつの手口だと思われる行方不明者は出ていない」

「そうか」


そこで、壱成のもとにコーヒーのカップが置かれる。彼はそれを一口飲むと、鈴村主催のパーティに行くことを伝えた。


「え、まじ?」

「鈴村所有の島でパーティだそうだ。“鈴村音八を応援する会” と銘打ってる。島までは船で往復」

「知ってる。まさかおまえも参加するとはな。矢田島だろ? すげー怪しいよな。気をつけたほうがいいかもしれない」

「今のおまえの話を聞いて、俺もそう思った」


壱成は頷いて、続けた。


「だが、うまくやれば、何かしら掴めるかもしれない」

「そうだけど……。あまり、首を突っ込み過ぎるなよ?」

「わかってる。でも、それはおまえもだろ?」


吾妻は眉をひそめた。


「そりゃ、そうだけどさ」


陰気な雰囲気になる前に、壱成は例の絵を吾妻に渡す。


「これは?」

「土産だ。最近、真環郡を中心に目撃された男。俺は見たことがないが、影風並みに強そうな奴らしい」

「え、まじ?! すげぇ興味あるんだけど」


吾妻はその絵をじっくり見つめた。


「なんだか、女みてーに綺麗な目してるな。でも、体の骨格は男だ」


部下によって、本当の姿が歪んでしまっているかもしれないとも思ったが、目撃したものは口を揃えて男だと言うので、何とも言えない。

実際、千影は男らしく見せるために、体に色々仕込んで骨格を変えているので、男に見えるのは当然だ。


「さんきゅ。息抜きに調べてみる」


これを調べることが息抜きになるのか、壱成には疑問だったが、何も言わないでおく。


「あ。そういえば!」


吾妻は何かを思い出したようで、壱成に向き直る。


「おまえの婚約者、ああ見えて、よくお忍びしてたらしいぞ」

「お忍び?」

「そ。箱入り娘なんて言われてるから、ずっと家にこもってたのかと思えば、しょっ中買い物してたみたいだ」

「……へぇ」


今の彼女とは、全く違う話だ。

壱成は少し引っかかりを覚える。


「結構、買い込んでたみたいだけど、今はそんな感じじゃないのか?」


壱成の反応に、吾妻は小首を傾げた。


「そうだな。買うとしても、本ばっかり漁ってる」

「へぇー。案外、分厚い皮を被ってるのかもしれないな?」


(……分厚い皮?)


壱成は今までの真香を振り返る。

品行方正で、物分かりもよく、決して壱成に高価なものはねだったことがない。

花火大会に連れて行ったときの、あどけない笑みは、とても演技だとは思えなかった。

軍でそれなりの訓練を積んでいる自分が、騙されているのではないかと疑われたようで、壱成は言い返す。


「……おまえ、そんなこと調べてるから、やつれたんじゃないか?」


「いやいや。おれが調べてたのは、影風だよ。彼女を調べていたらついでに付いてきたオマケだ。お忍びする時には、必ず彼女も付いていたみたいだからな」


「護衛してただけだろ」


「うん。そうだろうな。まぁ、お面をつけた子と歩いているから、町の人の印象にも残っていたらしい。

面を外してみてくれと言われても決まって、『顔に醜い怪我をしているから』と答えたそうだ。

影風も苦労してるのかもなー」


一緒に仕事をしたこともある壱成。

あの面の下が気になっていたのは事実なので、引け目を感じた。


「いーな。おまえは会ったことあるんだろ?」

「……まあな」

「今はどこにいるんだか。どんな能力か気になってしかたねぇよ。徳永、塚田真香は知らないのか?」

「知らないだろ。花火大会も行ったことがないお嬢さまだ」

「それは過保護に育てられたな。よく性格が曲がらないで済んだもんだ」


吾妻の言うことも一理ある。

壱成は塚田真香という人物について、自分はよく知らないのではないのか、と死角を突かれた気分になった。

しかし、彼女は婚約破棄を前提に関係を偽っているだけの存在でしかない。

今までだって、真剣に婚約者と向き合ったことは一度もなかった————。


「どうかしたか?」

「……いや。俺は曲がりなりにも婚約者である人のことを、よく知らないんだな、と思っただけだ」

「お? 反省する気になったか?」

「別に……。ただ、多少、失礼だったかもしれない」


目をそらしてコーヒーを飲んだ壱成。

婚約破棄常習犯の彼にも思うところがあったらしいので、良しとしよう。

振った壱成にダメージがなくても、彼女たちは多かれ少なかれ、婚約破棄に傷ついているはずなのだ。


(ま。こいつ、根っからの良いやつだから、恨みたくても恨めないんだろうけど)


二人は昼食を頼む。

料理が運ばれて、それぞれ舌鼓をうちながら会話は進んだ。


「統領戦まであと三ヶ月か。うちの調査じゃ、盛岡さんのほうが優勢だが、前回の調査と比べたら鈴村にも票が入り始めてる。女性からの票がたくさん集まりそうだよ」

「息子の力添えか……。それが喜助なところが笑えない」

「そーだよなぁ。あいつの考えていることは、おれたちにはわかりそうにもない。急に軍をやめたかと思えば、役者になって一躍有名。それでいて裏では悪霊を操るなんて。手がつけられない……」

「俺も色々文献を漁ったが、常人が悪霊を操るなんて前例はなかった」


壱成はパスタを一口。


「なあ。やっぱり、月光のほうで、何とか捕まえられないのか?」

「……難しいな。相手は鈴村喜助なんだ。月光が悪霊を理由にあいつを捕まえたとしても、陽光が黙ってない。ただでさえ、陽光の中には俺たちをよく思ってない連中がいる。軍が割れるぞ?」

「そうだよなぁーー」


吾妻は盛大に息を漏らす。


「おれたちは後手に回るしかないのか? 人が殺された後、その証拠を這ってでも見つけるしか、方法はないのか?」


彼は頭を抱える。

黙り込んだ壱成はフォークを置いた。


「——なぁ、吾妻」

「なんだよ?」

「この国では、人を殺したらどう裁かれる?」

「そりゃあ、法律で無期懲役か死刑が——」


吾妻はハッと顔を上げた。


——壱成は喜助を殺す気だ。


「オイ。壱成。馬鹿なことを考えてんじゃねーだろうな」


明るい声色は、一気に低く、冷たさを帯びた。


「俺は軍人だ。鉄平。国のために武力を以って戦うのが義務だ」

「確かにそうだ。だが、そしたらおまえはどうなる? さっき自分で、軍が割れるって言ったんだぞ?」

「ああ。だから、軍は抜ける」


吾妻は声を失った。


「なんで、そこまで……」

「おまえにも、まだ言ってなかったか」


壱成は体を隣にいる吾妻に向ける。


「俺の母親を殺したのは、喜助だ」


吾妻は、ひゅっと嫌な音を立てて息を飲んだ。


「う、嘘だろ?」


そう聞きながら、壱成が何年も喜助を捕まえようと執念を燃やしていることへの疑問が解けていく。


「俺が軍に入って、あいつを追うようになった直後のことだ。一度、殺害直後に俺は喜助と顔を合わせた。捕まえようとしたところで、言われたんだ。

『犬と遊んでいたら、先輩のお母様の頭に持っていた棒をぶつけてしまったんですよね』ってな。

俺は思い出したよ。神社に寄って帰って来た母さんが、いつか凄く怯えたような表情で思いつめていたことを。

きっと、犬で遊んでいたっていうのも、動物虐待でもしていたんだろ。母さんはそれを見てしまったんだ」


「そ、それが原因で、くも膜下出血……?」


「その可能性が高い」


壱成は淡々と述べていたが、少しでも彼のペースを乱せば、怒り狂いそうな危なさがあった。

呆然として吾妻は食べることをやめた。

そんな話をされては、食欲などなくなる。

最近休めていないのに、これで食事もまともに喉を通りそうになくなった。


「……とりあえず、はやまるなよ。方法は」

「いや、もう十分時間は過ぎてしまった」


吾妻は何も言い返せない。

長い沈黙に、店内に流れるBGMだけが歌っている。


「……おまえの覚悟はわかったよ。でも、ひとりで突っ走るんじゃねーぞ? おれもいる」


吾妻は拳を壱成に差し出す。

壱成は、何も言わずに己の拳をぶつけるのだった。






壱成が吾妻と情報を交換した日。彼から舟旅について聞かされた千影は、薬屋——裏では情報屋をしている穂高のもとを訪れていた。


「いらっしゃい。旦那」


男装姿の千影のことを穂高はそう呼ぶ。

彼女もそれにいちいち口を挟むことはしない。

寧ろ男装している時には、口調も声色も黒夜として振る舞うのだ。


「矢田島に行くことになったから、その間の仕事はパスで」

「わかってますよ」


穂高は既に情報を得ているようで、読めない笑みを浮かべる。


「それより、旦那。今日とっておきの情報が手に入りましたよ」

「何?」


穂高という男は、危ない情報にスリルを味わうところがある。そんな奴が「とっておき」なんて言うので、千影は眉根を寄せた。


「徳永壱成、鈴村喜助に母親を殺されてるらしいです」

「……へぇ」

「あまり驚かないんですね」

「何となく、そんな予感がしてたよ。普段真面目そうな彼が、あの臭い奴に会うと睨み殺しそうな眼光を飛ばしていたからね」


穂高はつまらなそうに口を尖らせる。


「彼、自分の身が滅びようと、鈴村喜助を狩るらしいです。婚約破棄を繰り返していたのも、そのつもりだったからですかね」

「初めから殺そうとは思っていないと思うよ。ただ、統領戦も控えているから切迫詰まってるんだろ」

「可哀想ですねー。あなた、一応婚約者のふりしてるんでしょう? なんとも思わないんですか?」


千影は顎に手を置いて、少し考える。


「……うん。そうだな。特に何も思っていない」

「うわぁ。酷い人ですね」

「わたしは自分のことで精一杯なんでね」


非難されても千影は気にした素ぶりを見せない。

穂高は悩んだ後、口を開く。


「それが、鈴村をこの国の上に立たせると、とんでもないことになりそうなんですよ」


重々しい話し方に、千影は彼に耳を傾ける。

穂高は彼女に耳を貸せと、指を動かす。

ここには彼ら二人しかおらず、別に誰も聞き耳を立ててはいないようだが、千影も顔を寄せた。


「鈴村音八は、茅野国と戦争するつもりです。それも、祓い人を重用して」

「はぁ?」


彼女は不快感をあらわに、穂高を睨む。


「オレにそんな目を向けないでくださいよ。この間、あなたの婚約者が悪霊から彼を救ったときに、お眼鏡にかなってしまったようですよ?」

「あの人、何してくれてんだよ……」

「本当ですよね。裏では安ーい金で人を絞れるだけ絞って、労働させるような奴、あの時に死ねばよかったのに。悪霊に追われるのも納得です」


千影は頭痛がしてきた。

壱成は鈴村と敵対しているのではなかったのか——?


「わたしたちの存在が他国に広まったら、ただでは済まないな……」

「でしょう? もしそれで戦争に負けでもしたら、最悪、祓い人狩りなんてことにもなるかもしれません。

確かに祓い人は皆身体能力が高いけど、オレたちの本来の敵は悪霊で、人間を相手するようなものじゃないんだから……。殺戮兵器だと思われてはひとたまりもないですよ。

流石に旦那も、それは困るでしょう?

海外に出ても、安心して旅行なんて出来なくなるかもしれない」


うまく言いくるめられている気もするが、その可能性は否定できない。

国を出てまで追われる身となるのは、嫌に決まっている。


「そうだね……」


千影は空を仰いだ。

白塗りされた天井は、ところどころ汚れている。


「徳永壱成は、鈴村喜助がイレギュラーだから摘めないんだろう?」


「そうですね。今の時代、犯罪を悪霊のせいにしたって信じるのは祓い人だけで、常人たちは納得しません。

それなのに鈴村喜助は、常人のくせして悪霊を操っちゃってるわけですから。

月光が規則通り彼らの手段で集めた証拠で正当に罰を下しても、陽光は認めない可能性が高い。悪霊を祓い、悪事に手を染めた祓い人を罰することは月光の管轄ですが、常人は常人によって編成された陽光に裁かれるのが暗黙の了解。

徳永壱成はすでに上層部に、鈴村喜助の猟奇的な犯罪について申告してるのに弾かれたことからしても、面倒ごとを避けたいとする思惑が明らかです。

鈴村喜助はもと陽光の軍人ですし、月光が訴えても、祓い人たちによる違法判決だと言われてしまえば、軋轢、もしくは内紛でも起きるんじゃないですか?

そしたら、この国は他国と戦争する前に、常人と祓い人の抗争が起こりますよ」


穂高も祓い人のひとり。地獄耳の持ち主で、情報を搔き集める。その範囲は、千影でも知らないが、かなりのものだと思われる。少なくとも真環郡は彼のテリトリーだ。

こんな奴を戦争にでも利用したら、情報戦はかなり有利になる。

戦争しても負けないのではないか? と思ったが、鈴村の掌で転がされるのは気分が悪いし、戦争が良いものだとも思っていない。

それは実際、統奏戦争で勝利を収めていたとしてもだ。

祓い人なら皆、戦後の栄華より、大量に湧いてくる禍々しい悪霊——人間の憎悪の化身の存在に身震いしたはずだ。


「証拠ね……」


千影は天井を見ていたその瞳を閉じる。

しばらくそうして、彼女はパッと目を開く。


「なぁ、穂高。いいこと思いついた」

「え。なんですか!」


穂高は顔を輝かせる。

彼女は体勢を戻すと、テーブルに肘をつき、顎を乗せる。


「徳永壱成はちゃんと鈴村喜助を陽光から見ても合法的に捕まえられて、わたしも塚田から解放される、ハッピーな案だよ」


千影の口から紡がれる言の葉には、甘美な響きがあった。




「塚田真香を鈴村喜助に殺させればいい」




思いついた案を穂高に話すと、彼は新しい玩具を与えられた子供のように興奮していた。

性格に難はあるが、数少ない頼れる協力者なので文句は言わない。


「上手くいきますかね?」

「わからない。だけど、成功以外は認めないさ」

「さっすが〜。失敗しない仕事人は言うことが違いますね」

「……買いかぶり過ぎだ。わたしは負け戦はしないだけだよ」


千影は首を振る。

この計画に不安が無いといえば、嘘になる。

先ほどの言葉も、自分を過信しているから出てくるものではなく、どこかで弱腰な己に言い聞かせただけだ。


「チャンスは逃せない。耳を澄ませておいてくれよ? 穂高」

「わかってますよ。オレも戦争は嫌なんで」


穂高は強く頷いた。


「ああ、そうだ。言い忘れるところだった。矢田島には気をつけてください。一度目にしたら逃られない化け物に殺されますよ」

「何それ?」

「戦争しようとしてる男の所有島なんですから、言わなくてもわかるでしょう?」


(……兵器か)


千影は目頭を抑える。


「それは確かに、見られたことを知られたら、生きて島から出られないかもな」

「でしょう?」


にこにこして答える第三者目線の穂高に、千影は苛立ちを覚えた。


「おまえ、そんなこと知ってて、よく首が繋がってるな?」

「オレも危険察知能力だけは、誰にも負けない気がします…って、うわ! すみません! 調子に乗りました。その手を下げてくださいっ」


ウインクを飛ばしてくる彼に手が出そうになるが、謝ってきたので拳を下げる。

大の大人が、情けない。


「と、とりあえず、気をつけてくださいね。あなたが死ぬなんてことは滅多にないでしょうが」

「……何も起こらないことを願うよ」



千影の願いも虚しく、婚約破棄まで終盤に差し掛かったところで、今後を左右する出来事が待っていることを彼女はまだ知らないでいた。




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