花火大会 5
「なあ、おまえ、どう思う?」
「今のところ、あれで付き合ってないほうが可笑しいんじゃないですかね?」
軍服に身を包んだ男がふたり。壱成と千影を視界に捉えながら、言葉を交わす。
「今回はいけるんじゃないか?」
「オレもそんな気がしてきました」
榎本は、中嶋衛大佐に大きく頷いた。
彼らは要人警護と銘打って、巡回がてらこっそり壱成と千影を観察している最中である。
最初はどうなるかと思っていたが、案外仲良くやっていてふたりは驚かされた。
序盤。
壱成がひとり歩きを始めたかと心配になったが、塚田真香が屋台に食いついたときは、ちゃんと止まって話を聞いてやっているし、お金も出している。
「あいつ、紳士だな?」
「大尉は真面目ですから」
「でも、酒買いやがったぞ? クソ。俺たちも仕事中じゃなけりゃーな」
「まぁ、素面じゃやってられないんじゃないですか? あれで酔うとも思いませんが」
愚痴をこぼしていると、ふたりが道から逸れた。男たちも後を追う。
「あー。焼き鳥にビールって。それは駄目だろ〜」
「もしかして、オレたちに気がついているんじゃ?」
「あいつ、色んな視線を集めてるし、流石にわかんねーだろ? てか、わざとだったら絞める」
「ちょ、それは……」
目が笑っていない中嶋に、お供をしている榎本は苦笑する。
誘惑を断ち切ろうと観察対象に集中していると、事態が動いた。
塚田真香が差し出された焼き鳥の見返りに、はしまきを壱成に半ば押し付けるように渡し、彼はそれをパクリ。
「「?!?!」」
「え。今の、間接キッスだろ?? もう、付き合ってるだろ??」
「い、いいえ。大佐。まだそう断言するのは早いですよ。だって、あの大尉ですよ? 綾瀬美波、武井瑠璃、高坂杏樹と婚約を破棄していて、さらに言えばその三人以外からだって大量のオファーがくるのに、会うこともしないで却下するような男ですよ? 今回は相手が塚田のお嬢さんだから、断れないでいるだけかもしれないです」
「そ、そうだよな。俺としたことが、騙されるところだった」
中嶋は首を振る。
美人で心優しい女性たちを振り続けた壱成が、そんな急になびくとは思えない。
塚田真香は楽しそうに、屋台を回る。
壱成はいつのまにか彼女の後ろについて、見守る側になっている。
林檎飴を買ったり、たこ焼きを食べたり、名物のもつ煮を突いたり。
「クソっ。なんで俺はこんなことをしてるんだ?!」
「た、大佐。落ち着いてください!」
(大尉を監視しようって言ったの、あなたじゃないですか!)
祭りを楽しむふたりを見て、騒ぎ出した独身の中嶋を宥める榎本。
(他人の恋路ばかり追ってるから、独身なんだよ……)
これは面倒な人と組んでしまったかもしれない。
ほかの仲間は配置について、たまに湧いてくる悪霊を祓って仕事をしているのを思うと、申し訳ない。
まあ、彼らは彼らで、壱成のデートを邪魔させまいと奮闘しているようだが……。
「あ、ほら、動き出しましたよ?」
もっとも混雑する時間帯になってきて、ふたりを見失いそうになる。
「すげー、人だな」
「追うの、辞めます?」
「いや。話のネタにするから、最後まで見届けるぞ」
「そうですか……」
「そんな顔すんなよ。一応、要人警護してるんだから」
(大尉がついてるので、その必要ないと思います)
榎本は黙って付いていく。
「お。見ろよ、榎本」
「なんです?」
そこには、逸れそうになった真香の腕を掴んで進む壱成の姿が。
手を繋いでいないことで甘さは控えられているが、滅多に見れない上司の行動に、榎本は胃もたれしそうになる。
面白がってついて来たのはやはり、間違いだったのかもしれない。
「次は射的か。まさか、外さねーだろうな?」
「大尉の得物は刀ですが、銃の訓練は必須なので問題ないかと」
見守っていると、最初に射的銃をとったのは塚田真香だった。
パン、と景品に球が当たる。
「お。上手いな。徳永、いいとこ見せろよ〜」
心配するまでもなく、壱成は景品を当てた。
その次にやった輪投げも、ふたりとも失敗しない。
その隣でやっていた金魚すくいで、取れなかった男の子が泣いている。
真香が近づいていくので、何をするのかも思えば、しゃがみこんで先ほどとった景品を渡していた。
「いー、お嬢さんじゃねぇか」
「ほかの婚約者の女性も、こんな感じだったと思いますけどね。ほんと、なんで結婚しないんでしょう?」
中嶋はその問いにすぐには答えず、何か考え込んだ様子でふたりを見つめた。
頑なに結婚を拒み続ける壱成。
何もそこまで拒絶しなくていいんじゃねーの?と一度訊いたことがあった中嶋。
『……たぶん、俺、単純に女性が苦手なんですよ』
まさか、そっちの気が?! と思ったが、どうやらそういう雰囲気でもなかった。
彼には、彼の悩みがあるということだろう。
「さあな。そのうち突然、結婚するんじゃね? 俺と違って、モテるし。あいつ」
全く贅沢な悩みである。
中嶋は羨望と同情のため息を漏らした。
「大佐、あれ」
「おっとお〜。ついに絡まれたか」
会場に向かっている途中、壱成が女三人に囲まれた。塚田真香が少し離れたところを狙われたのだ。
「あの、これから一緒に花火を観ませんか?」
「すごく綺麗に見える場所を取ってあるんです!」
「ああ、もちろんお連れさんも一緒でいいですよ」
壱成は無表情のままだ。
真香——千影は、どうしたものか戸惑う。
「なら、君、こっちにおいでよ。一緒に飲まない?」
先ほどからチラチラ千影を見ていた男性が、目ざとく声をかけて来た。これは想定外である。
認めたくないが、容姿は自分もそこそこいい方だった。
「ね?」
酔いがまわっているのか、ほんのり顔が赤い。
酒の力を借りて口説こうとしているようだが、距離感がよろしくなかった。千影の背に回そうとした手を、壱成が掴む。
「悪いけど。他を当たってくれるか?」
女性たちと男に向かって、彼は冷たい視線を注ぐ。
(うわぁ。あの目、結構堪えるんだよな)
榎本は無意識に背筋を伸ばす。
壱成は千影の手を取ると、彼らに見向きもせず、その場を離れていった。
「おお。今のはポイント高いんじゃね?」
「なんですか、ポイントって。いつから加点形式になったんです? それに見るなら、塚田のお嬢さまのほうを見ないと意味ないですよ。相手は大尉なんですから」
「細かいことは気にするなー! 行くぞー」
壱成たちは河道を降りていく。
無事に風間と合流しすると、腰を下ろす。
風間は琴吹と交代しながら、場所を確保してくれていたのだ。
「うわ、まわり、カップルばっかりじゃないですか」
「触発されて、告らねーかな? そしたら、面白いのに」
「……それは難しいかと」
「ちぇ。つまんねぇ」
もうすぐ花火の打ち上げが始まる。
しばらく何もないだろうと踏んだ中嶋は、榎本に食べ物を買って来させた。
「あー。酒、呑みてぇ〜」
中嶋の嘆きと共にヒューーーと、笛が銀の尾を引きながら暗闇に登る。
ドンッと大きく開いた花は、夜を一気に輝かせた。
*
休む間も無く、火薬でできた花が咲いては消える。
千影は最初はその音に驚いていたが、慣れるにつれて、刹那の美をその目に焼き付けた。
壱成は買って来ておいた酒とツマミを堪能しながら、空を見上げている。花より晩酌といったところか。
花火大会はクライマックスを迎える。
恋人たちがちらほら、人目もはばからず愛情表現をしているが、千影は夜空だけを見つめていた。
壱成は微動だにしないで花火を眺める千影に、よく飽きないなと思いながら、酒を飲み干す。
(初めて、か……)
それにしても二十年生きてきて、花火大会に来たことがないとは驚かされた。
(結界を使えば花火を観るくらいできたと思うが、相当過保護に育てられて来たんだな)
壱成が想像するより真香はわがままに育てられているのだが、千影はそんな視線には気がつかないで花火に夢中だ。
光に照らされた横顔は、いつもより化粧が濃いせいか大人の女性のものだった。先ほどまで屋台ではしゃいでいたのが嘘のようだ。
最後の花火が消えていくと、人々は名残惜しさに浸る間も無く、慌ただしく動き出す。
「鈴村喜助の舞踊なんて、もう観られないかもしれないわ!」
「はやく行かないと! 舞台は反対側の河川敷よ」
「夜はまだこれからよ!!」
女性たちが戦闘態勢に入ったのがわかる。
警備をしていた軍人たちが、必死に誘導している。
ふたりも退場する人々から距離を置こうと、立ち上がったが、ものすごい人の大波に揉まれ、身動きが取りにくい中、千影は押し倒されそうになった。
(うわ。転ぶか?——)
大きく足を出せば踏みとどまれるが、浴衣を着ているし、真香としてそれはどうなのかと、転ぶモーションに入る。
すると、ボスっと何かに当たり目の前が真っ暗になる。どうやら誰かが受け止めてくれたらしい。
「すみません」
顔を上げると、そこにあったのは徳永壱成のかんばせ。
今までで一番の急接近なのだが、このふたりなので、さっさと体勢を整えて旅館の方へ流れていった。
この混雑で、中嶋と榎本はふたりを見失ってしまったのは不運だった。
「君も観たかったか?」
落ち着いて歩けるようになり、壱成は千影に訊く。
「いえ。舞台を観に行っていますから、十分です」
千影は首を横に振った。
壱成はそれを聞いて安心した様子だ。
ふたりは、人通りの少ない道を進む。
今は会場から離れて、他の祓い人たちがいない。
光の当たらない物陰から、ヌッと悪霊が出て来た。
壱成はそちらに見向きもせず、どうやって発動するのかよくわからない青い炎で悪霊を焼き消す。
(半径五メートルくらいが守備範囲かな?)
千影は炎がどの程度のものなのか測った。
しばらくそうやって歩いていたが、彼女の鼻腔にある匂いが。
(……臭う)
なぜか喜助から臭ったあの、吐き気を催すような匂いがする。
千影はぴたりと立ち止り、背後を振り返った。
そこには真っ暗な闇が続いているだけで、誰もいない。
「どうかしたか?」
「……いえ。気のせいだったみたいです」
千影は嫌な予感を消すように、頭を振った。
◇
「毎年ここの祭りの指揮は先輩がとるから舞台をやることにしたのに、婚約者とデートとは随分暢気だなー」
壱成と千影を見ていたのは、中嶋と榎本だけではなかった。
「僕のこと、追うのやめちゃった?」
喜助は舞台袖で、片目に手を当て、使役している悪霊の目を通し、ふたりを監視していた。
「喜助さん、そろそろ」
「わかりました」
スタッフに声をかけられ、喜助はすぐに作り物の顔を貼り付ける。
煌びやかな衣装に身を包んだ彼は、ライトアップされたステージに足を進める。
「そんなにつまらないなら、振り向かせてあげますよ……」
その危ない呟きは、歓声に打ち消されていった。




