花火大会 3
壱成とふたりきりの空間とは、珍しい。
千影は気まずい雰囲気が流れるのではないかと危惧していたのだが、思いの外居心地がよい。
「昼飯、食べに行くぞ」
「はい。外で食べるんですか?」
「店を予約してある」
(……出来る男だな)
千影はちゃんと計画を立ててくれている壱成を見直した。
徳永家の長男で、軍では若きエースとして名を馳せ、やることはしっかりしている。容姿は言わずもがな凛々しく、その振る舞いは余裕を感じさせる。
優良物件、間違いなしだ。
(いまいち何故、婚約破棄をするのかわかっていないけれど、その気になれば直ぐ良い人と巡り会えるだろうに。こんな婚約者もどきとデート紛いなことをして、可哀想だ)
内心、憐れに思われているとも知らない壱成は、少し不憫である。
「どんなお料理が食べられるのですか?」
「ここは山と川の幸を使った料理が有名だ」
「では、川魚料理ですか」
「ああ」
「それは楽しみです!」
千影は明らかに浮き足立っていた。
楽しむことが目的の仕事など、これ以上嬉しいものはない。
殺伐とした生活を送っている千影なので、誤解されるかもしれないが、彼女だってひとりの人間だ。楽しいことは楽しいし、辛いことは辛い。
頼れる大人が照子ひとりという世界で生きてきたので、彼女は娯楽というものに疎かった。
自分から遊ぶということをしたことがないので、休暇をどう過ごせばいいのかもわからず、最終的に読書をするような子だ。
壱成に好きに出かけて良いと言われていても、こうして連れ出してもらわない限り、仕事に関係ないこと以外で屋敷から出ようとはしないし、できないのである。
上機嫌な千影に、壱成も安堵する。
彼も、六つ年の離れた婚約者に、どう接したものかと悩んで今回の計画を立てていたのだ。
言い方は悪いが、手がかからなくて助かるお嬢さまである。
「もしかして、ここですか?」
「そう」
ずらりとできた行列を無視して、壱成は店の中へ。
並んでいた女性たちが、突然現れた麗人に目を奪われているのを横目に、千影はそそくさと壱成の後をついていった。
さも当然のように個室に通され、壱成に頼るがまま料理が選ばれ、可愛らしい小鉢が並んだ盆に、山菜の天ぷらや鮎の塩焼きが踊っている。
料理が並べられる間、無言でも目が慌ただしくそれを追っているところをみると、千影が興味津々なのがわかりやすい。
「とっても美味しそう……」
いつまでも料理を目で堪能できそうな彼女に、思わず壱成は吹き出す。
「え?」
「いや。冷める前に食べようか」
手を合わせて、壱成は食事を始める。
(案外、子供らしいところもあるんだな)
(わ、笑われた?!)
突然、滅多に笑わない壱成が笑ったので、千影はどぎまぎしながら箸を手に取る。
(私、何か変だった?)
何回も振り返るが、笑われるようなことはしていない筈だ。
彼女はモヤモヤしながら、炊き込みご飯に食指を伸ばす。炊きたてホヤホヤのご飯は、きつね色に輝いている。
それを口にすると、千影の表情は一気に晴れた。
「美味しい!」
決して、壱成の屋敷での料理が美味しくないという話ではない。ただ、これはここでしか味わえない、一流の料理人が見極めて創り上げた逸品なのだ。
千影は目をキラキラさせながら、箸をすすめる。
「身がふっくらしているし、塩加減も絶妙ですごく美味しいです!」
メインの鮎の塩焼きを食べたときには、思わず壱成に感想を述べていた。
言ってから、そんなことは壱成もわかっているかと気がついたが、彼は「それはよかった」と大人の対応をしてくれる。
「すみません。珍しくて、はしゃいでしまいました……」
「別に謝ることはない。楽しんでもらえているようでよかった」
「はい。まだ花火大会は始まっていませんが、すでに楽しいです。今日は、連れてきてくださってありがとうございます」
「礼は祭りが終わってからでいい」
「はは。そうですよね」
千影は微笑を浮かべて、料理に視線を戻す。
塚田の屋敷を無事に照子と抜け出せれば、こんな風に美味しい料理を食べようと、心に固く誓った。そして今度は味わうように、ゆっくり料理を口に運んだ。
「花火、凄くたくさんの人が集まるんですよね?」
「ああ。四十万人は集まる」
「そんなに?」
「……今年は鈴村が舞台に上がるせいで、もっと増えるみたいだけどな」
(あ。この話題は失敗だったか)
千影は話を変えなくては、と次なる話題を探す。
「打ち上げは七時からでしたよね。晴れてよかったです」
「そうだな。早く行って、屋台を回ろうか」
「わかりました」
「風間と琴吹が場所を取ってくれる。ああ、そうだ。もしも逸れるようなことがあれば警備に俺の名前を出せ。それと、所々に結界も張ってあるから、何かあればそこに」
「はい」
彼は面倒見がいいな、なんて思いながら千影は頷いた。きっと、弟の貴之にもこんな風に接していたのだろう。
昼食を終え、ふたりは賑わう街を散策しながら宿に戻る。
「お嬢さん。お味見はいかが?」
昼食を食べたばかりであったが、千影は断りきれず、差し出された試食を受け取った。
「ん!」
ぱああっと、彼女の顔に華が咲く。
それは「阿佐美温泉プリン」という商品で、滑らかな口当たりに、ほんのり苦味が効いたカラメルソースがたまらない。
「それ、四つ」
スッと、壱成が千影の後ろから女店員に注文する。
「あらぁ、いい男じゃなーい。今日のお祭りは引く手数多なんじゃない?」
存在を無視された千影。一応、婚約者なのだが、そうは見えなかったのかと若干落ち込んだ。やはり、婚約者のフリをするのは経験不足なのかもしれない。
視線を落として、小さなカップを側に置いてあったゴミ箱に捨てる。
「あいにく、相手には困ってないんで」
壱成はお金を払いながら、そう言った。
その言葉に、お姉さんと千影が揃って目を丸くした。
「あら。それは失礼」
店員は千影に謝りながら、壱成のほうに袋を渡す。
「お嬢さん。おわびに花林糖も持っていって」
「あ、ありがとうございます」
「頑張ってね? 花火大会で告白するの?」
「あー、……ハイ。そんな感じです」
「きゃー! 応援してるわ!」
千影は営業用のスマイルを貼り付けた店員から花林糖の入った袋を渡される。
婚約してます、と説明するのも面倒だったので、適当に返事をした。
壱成は何も言わず、すでに歩き出してしまっていたので、千影も慌てて後を追った。
そうして遅れてついていくと、嫌でも彼に集まる視線に気がつく。壱成が歩くのが速いのは、ただ足が長いからだけではないようだ。
(美形は街を歩くことも、まともにできないのか)
口には出さないものの、ちょっとした皮肉である。
(あれ? これ、夜、大丈夫かな?)
人ごとだと思っていたが、彼に警護されることになっているのに女性たちに群がれ、最悪、離れ離れになったら不味いのは自分だ。
千影は困った。
(ここは「彼は私の婚約者です!」て、アピールするところなのか?)
壱成は先ほど、自分のことを少なくとも恋仲のように紹介してくれている。
それならば、こちらもそれ相応な対応をしなくてはならないのではないか?
千影は考えたがそれが正しいとも思えず、壱成に走り寄る。
「壱成さま」
名前を呼ぶと彼は歩く速度を落とし、千影に視線を向けた。
「あの、私、もう少し女性避けに貢献したほうが良いのでしょうか?」
真剣な様子で尋ねて来るので、どんな話かと思えばそんなことで壱成は拍子抜けした。
「……嗚呼。いちいち気にしても仕方ない。無理しなくていいから」
(む、無理って……)
ちょくちょく、プライドを傷つけてくる発言は故意ではないのかと疑いたくなる。
「わ、わかりました」
顔が引きつりそうになりながら、千影は首肯した。
周りを観察しながら壱成の隣を歩いていると、ひとつの店に女性がひしめき合っているのがみえる。
(なんだろ?)
千影はじっとそちらを伺う。
「きゃあ、かっこいい!」
「えっ、サイン入りじゃない!」
「これください!」
彼女たちが夢中になっているものが見えたとき、千影は思わず足を止め、顔をしかめた。
(鈴村喜助のグッズ販売……)
臭い人の、胡散臭い笑顔が店のそこら中に並んでいる。
その中に、見てはいけないものを見つけてしまい、彼女は目を見開く。
「あれは……」
千影が驚いた声を漏らすのが聞こえ、壱成もちらりとそちらを見る。
「……人の好みは自由だが、鈴村はやめとけ」
なんの店か理解した彼は、気がつけばそう言っていた。
「いえ。私は彼に興味はありません。ただ、壱成さま。あそこ……」
店の奥のほうを見つめる千影に、壱成も不思議そうにそちらを覗く。
そこには、ひとりだけやけに真剣な眼差しで商品を見定めている、見覚えのある女性が。
「琴吹……」
壱成は物言いたげな視線を行き場もなく泳がせる。
「こ、好みは人それぞれですよね! あ。あそこのお店、すごく可愛い!」
琴吹も今は休み時間に違いない。
邪魔をしないように、千影は足の止まった壱成を引っ張った。




