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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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花火大会 2



ちょっとしたすれ違いがあったものの、気を取り直して花火大会に向かう壱成と千影。

ふたりでこうして真環郡を離れるのは初めてのことだ。

壱成も仕事ではないので、軍服ではなく私服を着ている。彼は家にいる時は基本、和装なので、新鮮味を感じた。

風間の運転する車に揺られ、高畑郡に向かう。

静かな車内で、何か会話をしなくてはいけないかと話題を探していた千影に、壱成が話しかけた。


「夜はほとんど外に出たことがないのか?」

「はい」


(私はここ最近は毎晩、屋敷を抜け出させてもらっていますけれどね……)


千影は頷く。

この流れだと、怪しまれてはいけないので、適当に話を作る必要がありそうだ。


「塚田には影風がいる。彼女がいれば、君も外に出ることは出来たんじゃないか?」


「はい。おっしゃる通りです。私のわがままで一度だけ夜会に出た時は、影が寄ってくる悪霊を祓ってくれました。……あのとき初めて、私は自分が悪霊に命を狙われる存在なのだと理解したのです」


少し声のトーンを落として、千影は続ける。


「黒夜さま……。あ、その、夜会で出会ったお方を私は危うく自分のせいで危険な目に遭わせてしまうところでした。私が庭に出たいだなんて、立場のわかっていない愚かなことを言ってしまったから……。

彼は強い人で、咄嗟に私を庇ってくれたのですが、あれ以来私は夜に出かけることを避けるようになりました。

あ! 今回は統国軍の若きエースであられる壱成さまがいらっしゃるので、心配はしておりません。寧ろ、あなたほど頼りになるお方とお祭りを周れることに感謝でいっぱいです」


いい芝居だっただろう。

「黒夜」という自分が男装したときの名前をわざわざ出したのは、真香は好きな人がちゃんといるから、あなたとは契約の関係を保ちますということの意思表示である。

実際、真香は庭に出たいと言って、悪霊が待機している結界外の薔薇園にエスコートする羽目になったし、嘘ばかりの話ではない。

この作り話のせいで、真香を颯爽と救って見せたことで、彼女に王子様認定を受けたことも思い出してしまったが、すぐに蓋をする。


「そうか。俺も今日は君が楽しめるよう、努力しよう。さっき契約のことを言っていたが、塚田には世話になりっぱなしだからな」


壱成には一方的な契約に見えているかもしれないが、千影は損をしているつもりはない。自分と塚田を身内だとは思っていないからだ。

婚約破棄については、ウィンウィンの関係。

壱成が夜、屋敷を空けてくれるおかげで怪しまれることなく仕事に出かけられるし、場所が栄えた真環郡ということもあり、情報は溢れている。

婚約破棄までに、照子とのスローライフと伊代の逃亡準備を整わせる予定だ。


「いえ。とんでもないです。図らずも軍への援助によって、塚田はより注目されることになっています。政府が認めてくださったということで、外国からも医療品の発注を受けることが増えているそうですから」


もっともらしい理由を述べて、千影は笑う。


「花火、楽しみです。壱成さまは行かれたことがあるのですか?」

「ここ数年は警備の指揮を執るために毎年行っている」

「そうでしたか! それは心強い。美味しい屋台があれば、是非教えてくださいね」

「ああ」


壱成は笑いはしなかったが、その声色は今までで一番優しく聞こえた。


(もう四ヶ月も経ったのか。少しは仲良くなれたのかな)


朝、昼の食事の際にはほとんど一緒にいるので、多少は会話ができるようになっただろう。

一時はどうなるものかと不安だったが、今では婚約相手が彼でよかったとすら思う。

千影は、車窓の景色を眺める。

真環郡を出てからは、のどかな風景が広がり、窓を開ければ清々しい風が流れ込む。


穏やかな表情で、彼女は目的地を待った。

幼い頃から塚田に仕えてきた千影は、娯楽を目的としたお出かけなんてしたことがない。

真香も花火は初めてだから、少しくらいはしゃいでもいいよな、なんて考えてしまったのは口実に過ぎず、彼女自身、珍しく心をときめかせていた。


(屋台の食べ物は、どんなのがあるんだろう? 大きなお祭りだし、一日では回りきらないよなぁ……)


遠くから聞こえる花火の音が、ただの爆発にしか聞こえなかったので、照子に泣きついていたのが懐かしい。

わからないものがある度に照子に聞いては、彼女に絵を描いてもらって説明してもらっていた。


(照子さんは林檎飴が好きだって言ってたな。あったら食べよう。……一緒に来たかったな)


どこか遠くを見つめる千影。

その横顔に哀愁を嗅ぎ取った壱成は、やり辛さしか感じない。


「君は……」

「はい」

「いや……。なんでもない」

「そうですか? 何かあれば、遠慮せずおっしゃってくださいね」


にこりと、いつもと全く同じ笑みを浮かべる千影。

壱成はこれ以上自分が気にしていても仕方ないことだと、彼女の人間関係について考えることを諦めようとし、目を瞑った。


(……壱成さまが、女性をこのように気遣うとは珍しい)


ある程度ふたりの関係を理解している風間は、ルームミラーから覗く壱成の表情をみて、そう思う。


(おふたりは婚約を破棄なさる予定ではあるものの、わたしには良い関係を築けていると見えるのですがねぇ……。今までは女性たちから、一方方向のアプローチしかなかったのに、真香さまとは相互的なやりとりが出来ているというのに。まさか、このように出かけなさるとは思っても見ませんでした。勝之助さまも壱成さまの結婚について半分は諦めてはいるようですが、今回のことをこっそり報告させていただいたところ、大変お喜びになっていらっしゃった。壱成さまもそうひとりで背追い込まず、視野を広げなさるのも良いかと思いますが、それを伝えることはわたしに出来たことではありませんね……)


ここ数年、喜助を追い続けている壱成は、恋愛ごとにうつつを抜かす暇などなかった。

責任感の強い彼だ。

喜助を止めるためならば、命も惜しまない。


かくなる上は、殺してでも止める。


壱成にはその覚悟があった。

千影とともに喜助の舞台を観に行ったときに見せた殺気は、間違いなく本物なのである。

喜助と壱成の間に絡みつく根は深い。

今は喜助の父親も出てくる統領戦も控えている。

壱成は、婚約なんてしている場合ではないのであった。


(あいつも、祭りにいるのか……)


千影に祭りを楽しんでもらおうというのは、もちろん本心からの言葉だったが、喜助の特別公演があると意識しただけで、壱成の気分は全く優れない。殺人鬼が聴衆に囃し立てられる祭りなど、楽しめるはずもない。


(「鬼と鬼」なんてふざけた劇をやりやがって)


思い出せば、はらわたが煮えくり返りそうになった。


「壱成さま?」


敏感な千影は、彼の放つ危ないオーラに反応した。


「どうかしたか?」

「……いえ。気のせいだったみたいです」


声をかければ、壱成はすぐに表情を取り繕う。

彼女は壱成がみせた今の様子で、なんだか嫌な予感がしてくる。

もちろん、鈴村喜助の公演について知らないわけもなかったのだ。


(あれだけ注目されるようになった人を捕まえるのは、それなりの証拠がいる。事件は難航しているのかな……。とっとと捕まえて欲しいんだけど。あの、臭い人)


喜助のことを悪霊臭い変人と認定している千影にとっても、特別公演など願い下げである。

それなりの対価があるのならば暗殺も引き受けていいとも思うのだが、真香として徳永の屋敷にいる以上、身動きが取りづらいので却下だ。



山をひとつ越え、青く茂る木々の間を抜ければ高畑郡に入る。

旅館のほうへ進むに連れて今夜の祭りに参加しようと、人の流れが増えていった。


「着きました」


千影は車から降りて、今夜泊まる旅館を目の前にして佇む。

古風で味のある和風の建築で、落ち着いた趣ある旅館だ。

壱成は慣れた様子で石畳を行き、暖簾をくぐる。彼女もその後ろに続いた。


「お待ちしておりました。壱成さま」


出迎えた女将は、とても人の良さそうな人相で、誰でも受け入れてくれる母のような存在感のある女性だった。


「今年も世話になるな」

「いえ。毎年ご贔屓にしてくださってありがとうございます。今年は素敵なお嬢さんも一緒で。ここの女将をやらせていただいております、原西と申します。どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」

「はい。ありがとうございます」


どうやら、壱成はここのお得意様のようだ。

千影もぺこりと頭を下げる。名乗ろうかと迷ったが、もう壱成とここに来ることもないので辞めておいた。


「お部屋はこちらになります。何かありましたら、どうぞお声かけください」


原西に案内されて通された部屋は、阿佐美川が見える一番良いものであった。


(……ん?)


自然に案内されてしまい、千影も危うくその違和感を無視してしまうところだった。


「あの、壱成さま?」

「なんだ?」

「もしかして、お部屋は一緒なのでしょうか?」

「……婚約してるのに、別々の部屋に泊まれないだろ?」


「いや。泊まれるでしょう?」と、口から出そうになった言葉を飲み込んだ。


(え。婚約って何だっけ??)


千影は一瞬錯乱した。

彼女が驚いていることがわかり、壱成は顎に手を置き考え込む。


「ああ。すまない。君には、好きな人がいるんだったな。確かに配慮が足りなかった」


(……まるで「こちらは何もする気がないのに、君がそんなあらぬ事を考えているとは」って暗に言われているみたいだ)


これには千影も黙っていられない。


「すみません。今のは愚問でした。私たちは婚約しているのでしたね。これも契約の範囲内です」


問題ない、と笑って返事をする。


「そうか?」


壱成は興味のない素ぶりで、座椅子に座って机の上の水差しをとろうとする。

千影は慌てて、それを代わった。

今ここには、壱成と自分しかいないのだ。

お茶汲みくらい、真香がしなくてはならないだろう。


「風間と琴吹も、この旅館に泊まるよう言ってある。気になるなら、琴吹と俺が部屋を変わるが?」

「いえ。せっかく壱成さまがおふたりを気遣っていらっしゃるところに、水を差すようなことはできません」


千影は首を振った。

今夜は、壱成が真香のお守りをするので、その間琴吹と風間は待機している。

こういう時くらい、ふたりにもゆっくりしてもらいたい。

ちなみに琴吹は、お昼過ぎに合流する。


「今日と明日は、お世話になります」

「ああ」


壱成は氷で冷えた水を飲み干した。






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