花火大会 1
「……鈴村喜助が、阿佐美川花火大会で特別公演?」
そこは統国軍月光本部。
壱成は榎本から受け取った書類に目を通し、訝しげな表情を顕にした。
「うわぁ。今年は、さらに人が増えそうですね」
榎本も、これには嫌な顔をするのを、隠そうとすらしなかった。
相手が鈴村喜助でなければ、溜息をひとつ吐くくらいで、仕方なく仕事に向かえただろうが、壱成は嫌な予感がしていた。
「阿佐美の祭りはただでさえ毎年、各地から人が集まる。俺たちが夜の番をしているのとでは訳が違うから、陽光からも人手を挙げて警備するのに。よりにもよって、鈴村喜助か……」
「なんでも、華麗に舞踊を披露するらしいですよ」
榎本が追加の資料を手渡す。
それは特別公演についてのちらしで、喜助が特異な衣装に剣を持った姿が一面に載っていた。
「女の子たちが沢山来そうですね。男もそれに集りそうだ……。無事に祭りが終わるといいんですけど」
「そうだな」
壱成は喜助の狂気的な内面について、上層部から否定された故、部下にも黙っている。
榎本も知らないわけだが、最後の一言には心の底から同意した。
壱成は今後を考えると眉間に深い皺が寄る。
(吾妻の話じゃ、役者になってから殺しをしていないようだが……。統領戦のことを考えると、まずいな。鈴村に傾くかもしれない)
喜助がなぜ役者となって、目立つようなことをするようになったのか。考えられるのは、父親の音八を統領に据えるために一役買っているということ。そして、彼の性格を考慮すると、人を殺しておきながら活き活きとして人の前に立つこと自体が面白いのかもしれない。
(クソ。もっと早くあいつを捕まえられれば、こんなことにはならなかった)
喜助を捕まえるには、現行犯しかないと考えている彼にとって、今の状況は非常に悪い。
鈴村喜助が表で輝けば輝くほど壱成に、いや、源一郎を代表とする祓い人たちにとって不利に働く。
「大尉。こちらが、会議の日程になります」
「わかった」
祭りに向けて、陽光と月光で合同警備について会議が行われる。壱成も月光の人間として出席することになっていた。
陽光はもともと喜助がいた場所だ。
誰に彼の息がかかっているのかもわからない状態なので、気を張らなくてはならない。
「今年は忙しくなりそうですね」
「ああ」
壱成は短く返事をして、ちらしを一瞥した。
「うちの婚約者殿を連れて行く予定だったが、それどころではなさそうだ」
「えぇッ?!!」
榎本が驚きの声を腹の底から弾き出す。
「え、えぇ?! 大尉。それは流石に婚約者さんとの約束を優先させるべきですよ?」
(というか、まず、花火大会に行くような仲なのか?!)
榎本はまず、そちらのほうが不思議だった。
今までの壱成は婚約者に対して冷たく、一緒に出かけるようなことは滅多になかった。
あったとしても必要最低限という感じで、悪霊を呼び寄せてしまう塚田真香を夜に連れ出すというデメリットしかない外出は当然避けるものと考えられた。
「仕事なら仕方ない。彼女もそれくらい理解してくれる」
さも当たり前のように断言する壱成。
「いやいや。普通、年頃のお嬢さんだったら、仕事より自分を優先してくれないと嫌だと思いますよ?!」
「……」
壱成はそこで黙り込んだ。
榎本に指摘されて、初めてそのことに気がついたといったところだ。
だが、彼は真香が嫌がるというところを想像することができなかった。
なぜなら、彼女には自分以外に想い人がいるのだから。
「……問題ない」
「問題あり過ぎだと思います、大尉」
返事を聞いた榎本が空を仰いで額に手を乗せた。
聞き耳を立てていた部下たちも、静かに顔を見合わせる。
(この間の「無理をさせるな事件」で見せた優しさは一体どこに行ってしまったんだ?)
(やはり、あれはただ塚田のお嬢さまを気遣っただけで、特に恋愛ごとには発展していなかったのか……)
(しかしその割には、殺気立った様子で仕事をあり得ない速さで片付けて帰っていったよな?)
(夜警の人数を減らしてくれたおかげで、オレたち、深夜に家に帰る頻度は減ったんだぞ? それって、婚約者殿と会うためなんじゃ?)
(そうだよな。婚約者殿とは心が通じ合っているから、大尉はあんなことを言ったに違いない……。多分……。頼む。誰か、そうだと言ってくれ……)
思わず小さな声で推測し合う彼ら。
五感が鋭いのが能力者だ。その会話は壱成の耳にも届く。
「オイ。聞こえてるぞ?」
「「ハ、ハイ! 失礼しました!!」」
びくりと姿勢を正し、部下たちは仕事に戻る。
それでも、婚約者殿にはどうにかして上司の厳しさを半減して貰いたく、何か手を打たなくてはという焦りが一致団結する。
((せっかく、夜警の回数が減ったところなんだ。彼女には結ばれていただかないと))
多忙で霞んだ月光の仕事に、やっと雲が晴れて希望の光が差し込もうとしているところなのだ。
彼らは何とかして、壱成に婚約者と祭りを楽しんでもらおうと考えるのだった。
*
阿佐美川花火大会。
それは高畑郡で行われる統国三代花火大会のひとつであり、打ち上げ数は四万発にも及ぶ夜も寝かさない華やかなもので、河川敷には地域だけではなく全国から出店された屋台が並ぶ、煌びやかな祭りである。
(祭りがあると、警備が手薄になることが多いから、悪さをするには持ってこいの機会なんだけどな)
壱成に祭りの参加を許可された千影は、そんなことを考えながら、当日なにを着るのか琴吹と決めていた。
「来月」とは言われたものの、時間の流れとは早いもので、明々後日に花火大会が開催される。花火の打ち上げ自体は一日目しかないのだが、屋台のほうはその後五日間開かれ、阿佐美祭りとして楽しまれる。
夜は壱成たち、特殊部隊の管轄であるので、忙しい日々を送ることになるだろう。
「こちらはいかがですか?」
琴吹が選んだ浴衣は、青を基調とした上に白い牡丹が咲いていた。
ここで桃色で蝶が羽ばたくような浴衣が選ばれなかったのは、千影が少しずつ真香のイメージを変えていった賜物である。
内心、己を褒めながら、千影は頷く。
「とても素敵だと思います」
「では、こちらを」
琴吹が嬉しそうに微笑むのを見て、彼女も満足げに笑った。
(それにしても。私が浴衣を着る意味はあるのかな?)
千影は首をひねる。
壱成は結界を用意してくれると言っていたが、それはつまり、この屋敷のように結界の張ってある建物の中で、花火を見ることになるのだろうと彼女は思っていた。
夜の人混みの中を悪霊ホイホイの塚田の娘を守りながら歩くことは、単純に面倒くさい。
それも婚約破棄するような相手なのだから、壱成がそこまでするとは思ってみないのだ。
だから、この浴衣もただの雰囲気作りだと思っていた。
当日。
夜に移動するのは危険なので、千影は朝から阿佐美に向かう。一泊二日で花火大会を楽しむ予定だ。
壱成が用意してくれた宿で着替えればいいので、朝は洋服を着ている。
「おはようございます」
「おはよう」
朝食で顔を合わせた千影と壱成。
いつも通りの朝だ。
千影は今日も残さず料理を食べる。
自分の血肉になる食事たちを残すなんてことは、自分を裏切るも同然なので、イレギュラーがない限り完食するのが常である。
もぐもぐ口を動かしていると、先に食べ終えた壱成がコーヒーを飲みながら、何か物思いに耽るような眼差しで彼女を見ていた。
口に入っていたものを飲み込み、千影は「どうかされましたか?」と問う。
「いや……。仕事のことを考えていただけだ」
壱成はそう言って視線を落とした。
結局、今日の花火大会に彼女が行くことになったのは、いらない気を回した部下たちが、上官と図って壱成を当番から外したからである。
その上官というのが、生きているうちに徳永と塚田の子供が見たいと言いふらしている変わり者で、見事に嵌められた。
(まさか中嶋大佐が出てくるとは……)
体躯のいい勇ましい男性を思い浮かべる。
どうせ榎本が考えたことに違いないだろう。
(まぁ、現場にいればすぐに駆けつけることはできるか)
壱成はコーヒーを一口。
目を伏せると長い睫毛が際立つ。朝は髪をセットしていないことと相まって、大人の色気があった。
そんな様子を見ていた千影も食事を終えて、箸を置いた。そして、どこか元気がない彼に言う。
「……今日のお祭り、やはり私が行くと余計な手間をおかけしてしまうのでは?」
今更ながら、壱成からの申し出だったので断ることをしなかったのだが、やはり行かないほうが良かったのではないかと感じた。
「言い出したのは俺だ。もし、自分の能力のせいで迷惑をかけるなんて考えているなら、そういうことはもう気にしなくていい。これでも俺は腕が立つほうだ。下級の悪霊くらい刀を振らなくても焼き消せる」
(ん?)
千影は壱成の話に理解が遅れ、目を瞬く。
(それだと、まるで壱成さまも祭りに来るみたいな言い方だな?)
呆けた顔をした彼女に気がついた壱成は眉をひそめる。
一寸のあいだ、沈黙のもと微妙な空気が漂ったが、自分の中で解釈を終えた千影が手を打つ。
「ああ、壱成さまもお仕事でお祭りに?」
「は?」
「え?」
この会話を聞いていた風間が、ふたりの食い違いに思わず吹き出しそうになったのは余談だ。
千影は、困惑した様子の壱成から自分が何か勘違いをしているのだとはわかったが、何がおかしいのかわからない。
「その、壱成さまは旅館のほうに結界を張ってくださったのですよね?」
「ああ」
その短い返事には、当然だというニュアンスが含まれていた。
それは千影も考えていた通りで、合っている。
「それで、私はそこから花火を観ることになっているんですよね?」
そこで一気に壱成の表情が崩れた。
コーヒーの入ったカップが机の上に置かれる。
「なぜ?」
(なぜ?!)
何故かと問いたいのは、こちらのほうだ。
千影は必死に考えた。
(どういうこと? 私は結界が張ってある中で安全に花火を観賞することになっているんじゃ? ……あれ? でもさっき、彼は「刀を振るわなくても焼き消せる」って言ったよな?)
もしかして……と答えに辿りつきそうになったとき、壱成が口を開いた。
「まさか君は、俺が婚約者に旅館でひとり、花火を見させるような男だと思ってるのか?」
「……」
図星を突かれて黙り込んだ千影に、壱成もバツの悪そうな顔で頭を掻く。
まさかこんな簡単なコミュニケーションすら、ちゃんと出来ていなかったとは。どちらにしても想定外だった。
「すみません……。夜のお祭りに行くのは初めてで、どのような方法で観るのか分からなかったのです。それに私たちの関係からして、まさかここまで親切にしていただけるとは思っておらず」
千影は正直にへりくだって、壱成の顔色を伺う。
巧まずも、それは壱成の心に響くものがあった。
「花火、初めてなのか?」
「お恥ずかしながら……」
正太郎と芙美子にそれはそれは大事に育てられた真香は、リスクを背負って夜に出かけるようなことはしない。(例外はあったが……)
千影は祭りを楽しむようなことはないものの、花火を見たことはある。
ここにいる彼女は、花火くらい見たことがある訳だが、そうとは知らない壱成と風間は同情した。
「……悪かった。明日は祭りの警備に回ることになってるが、今日は非番なんだ。俺は炎で悪霊を払える。もし祭りの間、悪霊が寄ってきても、常人にそう怪しまれず楽しめる」
「では、私はお祭りを回れるのですか? お気遣いありがとうございます。楽しみです」
千影自身も祭りというものに興味があったので、純粋に喜んだ。
大抵こういう日には暗い仕事ばかりしていたので、いつも楽しそうな音を聴くだけだったのだ。
(嬉しそうだな……)
目を輝かせる千影に、この時ばかりは壱成も部下たちに感謝するのだった。




