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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
19/44

蓮丹 5



「澄香。分かってくれ」

「いやよ、お父さん! なんでわたしだけ!」


そこは寺から離れた民家の隠し部屋。

軍の包囲から外れた場所である。


澄香は泣いていた。

父同然の彼は、自分に逃げろと言う。

ほかのみんなを犠牲にして、自分だけ。


——予知夢なんて、持っていなければ。こんなことにはならなかったのに。

いや、本当に自分が能力をもっているから、悪いのか?

能力を受け入れてくれない国が悪いのではないか?


澄香は憎くて、憎くて仕方ない。

この部屋に閉じ込められてから、彼女はずっと考えた。

何が悪いから、こんなことになっているのか。

一体何を取り除けば、普通の暮らしに戻れるのか。


「なんで、わたしたちがこんなっ。一体なにをしたって言うの!」


でも、答えは出なかった。

ただひとつ言えることは、自分たちは何もしていないと言うこと。

決して豪華な暮らしはできなかったが、恵まれた自然に囲まれて、みんなで助け合って生きてきた。心の傷ついた祓い人たちも、この場所に馴染んでしまえば、笑顔で生活している。

ほかの郡からは場所的にも孤立していたし、小さなコミュニティでは、この村全体が家族のようなものだった。

家族が困っている。戦っている。

それも得体の知れないものから狙われる自分のために。

自分ひとり、逃げ出すことはできない。


「……澄香」


国明が澄香の隣で、悲痛な顔をしている。


「時間がない、澄香。こんな時くらい笑った顔を見せてくれ」


純忠の困った苦笑いは、全然幸せそうじゃない。


「そんなの、まるでこれがお別れみたいじゃない。ねぇ、お父さん!」


詳しいことを知らされていない澄香は、ただ混乱していた。


「あの男に見つかる前に、逃げるんだ」


純忠はそれだけしか言えなかった。

きっと今頃は寺の結界を破ろうと、悪霊たちが足掻いているところだろう。

結界が破られれば、闇さえあれば神出鬼没なあいつが、こちらにいる彼女を捕まえに来てしまうのも時間の問題。


「そんなっ。わたしも一緒に闘う!」

「澄香!」


普段穏やかな純忠が声を荒げる。

澄香はびくりと肩を震わせた。


「今から、国明くんと一緒に漁港に飛ばす。朝になったら、船に乗って逃げるんだ」

「そんな……」


澄香は国明を見つめる。

彼は隣の郡では有名な商家の次男。

長男が家督を継いでおり、武器を用意した時には親にも話しはつけてある。

純忠は澄香と国明の手を握る。飛ばす場所は、記憶を覗く能力を持つ祓い人のおかげで、ちゃんと把握できている。後は、送り出すだけだ。


「国明くん。この後も油断はできない。澄香を頼むよ」


純忠は彼らを転移させようとした。



「——話しは大体聞かせてもらったけれど、それじゃあ、甘いね」



「誰だ!!」


突然声が聞こえ、純忠が勢いよく振り返る。

そこには、鳥の面をつけた女が立っていた。

服装から、軍の手の者かと思われる。


「裏では、『影風』なんて通り名がついてる。私のことはいい。そんなことより、あなたたちは自分らが誰を相手にしているか分かっているのか?」


彼らは黙って千影を見た。

とりあえず、捕まえようとしてくる気配はないが、彼女には逆らっても意味がないということが、嫌でもわかった。


「知らない。分かっているのは、悪霊を操る男だということだけだ」


純忠は答える。


「あれは鈴村喜助。鈴村財閥の息子だ。船で逃げたらすぐに足がつく」

「鈴村財閥?!」


国明が驚きの声を上げる。

まさかそんな大物が、こんな悪事を働くとは思って見なかったのだろう。


「私も偶然知ったことだ。まさかこの騒動にも噛んでるとは思わなかったが、決定的な証拠を目撃してしまったものでね」


今はスヤスヤ寝ているだろう女性を、千影は思い浮かべる。全く悪趣味な娘さんだった。


「じゃあ、一体オレたちにどうしろと!」


相手の大きさに気が付いた国明が、千影に食いついた。


「軍に保護を求めればいい」


至ってシンプルかつ合理的な回答である。

軍は予知夢の祓い人を手に入れられるし、彼らだって喜助から身を守れる。

まぁ、喜助は軍に所属していたし、今ではスターなので彼の息がかかった軍人も中にはいるかもしれないが、徳永壱成がなんとかしてくれるだろう。


「……それは、できない」


苦渋の表情を浮かべた純忠の返事は、拒否だった。

話を聞いていたので、なんとなくそう答えるのではないかと千影も思っていた。


「じゃあ、船で外に出ようとしたところを、あいつに捕まるだろうな」


ぐっと純忠の拳に力が込められるのが分かる。

部屋はしんと静まりかえる。

千影の耳には、結界の外で闘う祓い人たちの息遣いまで聞こえているが。


「………助けてよ」


俯いていた澄香から小さな声が漏れる。

鼻をすする音がして、泣いているのが分かった。


「強いんでしょう? 影風なら、どんな仕事もこなせるって、間広のおじちゃんが言ってた!」


千影は自分に助けを求める彼女から、どうしても目を離すことができなかった。

塚田の暗部で「消し」の仕事をしていれば、命乞いをされることは何度もあった。彼女は任務を全うしてきたのだ。

照子の命がかかっているから。


しかし、今は置かれている立場が違う。

たとえここで千影が彼女たちを見逃しても、黙っていればバレない。

軍はまだ、この事件に鈴村喜助が関わっていることすら知らないのだ。


「ねぇ! お願い!!」


すがりついた澄香は、千影の同情を誘った。


(世の中って、唐突に理不尽なことを振りかざしてくるんだよね)


理不尽な状況に怒り、叫ぶ澄香を見ると、もう自分は、理不尽なんてことにも慣れてきてしまって、正常な感覚がないんじゃないかな、と千影は思ってしまった。



「……あなたは、私に何を返せる?」



タダで助けてあげるほど、千影は優しくない。

今、彼らを助けてあげられる方法は、千影にとってもあまり安全とは言えない策なのだ。

それなりの対価が欲しい。


「わたしが持っているのは、この体と能力だけよ」


千影はしゃがみこんで、澄香と視線を合わせる。


「いい目をしてる。理不尽と闘う準備はオーケー?」

「ええ」


力強く頷いた澄香に、千影は覚悟を決めた。


「そこの君。宍戸国明で間違いないね?」

「は、はい」

「紅語は話せる?」

「はい。海外との商売には必須ですから」


さすが商家の息子だ。言葉さえ分かれば、何とかなるだろう。


「よし。仕方ないから、あなたたちには私の家を貸してあげよう。一気にそこへ飛べばいい」


彼女は、買ったばかりのマイホームを貸し出すことにした。

まだ照子と国を出るのには、時間がかかる。

管理人として、ふたりにはあちらに住んでいただこうではないか。


「向こうでのことは、責任は負えないが、今あいつか軍に捕まるよりマシだろう?」


「……やっぱり、逃げるしかないの?」


澄香は不満そうであるが、それくらい我慢して欲しい。


「鈴村喜助を追ってる人がいる。あの人ならきっと尻尾を掴んでくれるから心配するな。ものごとには適材適所ってものがある」


正直、あんな臭い人と関わりたくないというのが千影の本音だが、それは言わなかった。

なんとか、壱成に喜助を捕まえてもらわねば。


「問題はあなただね、純忠さん」


身元が割れていないふたりは逃すにしても、彼はこの事件の主犯になっている。

ここで消えれば、絶対に怪しまれる。


「わたしはここに残る。もとからその予定だ」

「お父さん……」


澄香も落ち着いてきたのか、反論はしなかった。


「武器は全て悪霊用の銃だろ? 軍が間違えた情報に踊らされたって、教えてやればいい。そこはあなたの演技力にかかってるかもな」


純忠は困惑した顔で千影に問う。


「あなたは、軍側の人間でしょう? 澄香を見逃せば、まずいのでは」


「軍側だけれど、軍人ではない。勿論だが、私が関わったことは黙っていてくれ」


千影の言葉に、皆、首肯した。


「さて。お嬢さん。私はあなたに家を貸すだけだ。返してもらう時がくる。たっぷり利子をつけてくれ。その能力を使ってでも」


「…………分かったわ」


「オーケー。宍戸くんも、下手に家族と連絡を取ろうとしないこと。ふたりでうまくやって、しばらくの間は隠れてな」


「はい……」


応急処置でしかないが、今はこれで凌ぐしかないだろう。

千影は家の詳しいことを国明に、簡潔に伝える。あとは彼ら次第だ。

他国まで喜助が追えないことを祈ろう。


「じゃあ。元気でやりなよ」


まさかこんなことになるとは、千影も思って見なかったが、今日は機嫌がいいのだ。

たまには人助けもいいだろう。


彼女は澄香と国明が転移するのを見送った。


「じゃあ、こちらも頑張らないとね。純忠さん」


「ああ。悪霊と闘うつもりだったとしても、澄香のことはうまく隠さなくてはならない」


「……悪霊を呼び寄せる、か」


千影は「はぁ」と深い息をつく。

いま自分の知っているもので、すぐに用意できるものはひとつしかない。


「指一本でいいかな」

「な、なにを?」


腰から小刀を出した千影を、怯えた顔で純忠は見る。

彼女は取り出した小刀を、左の小指に当てて思いっきり切り落とした。


「これを守ってたことにしましょうか」


千影は表情ひとつ変えず、指を拾う。

純忠には狂気の沙汰にしか見えなかった。











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