蓮丹 4
純忠は混乱していた。
先ほど、軍から武装を解除しろとの通達が入ったのだ。
今日はアイツとの約束の日。
「澄香を渡さないのなら、力づくで」と囁いていったあの悪魔が手下を放つだろう日なのだ。
武装を解除することはできない。
軍の言い分を聞くには、自分たちは祓い人たちを再興するために立ち上がった武装集団だと思われている。
だが、そんなはずない。
彼らはむしろ、能力なんてなければ常人として暮らせるのに、と悩んできたものたちだ。
身体が強いことは利点かもしれないが、もって生まれた能力は悩みの種でしかない。
世に知らしめる? そんなことをしても、数の力に抹殺されるだけだ。
しかし純忠たちは、それを否定することができない。
(はめられたな……)
純忠は心を落ち着かせようと坐禅を組む。
目を瞑れば、「お父さん!」と自分を呼ぶ彼女の姿が浮かぶ。
澄香は身寄りのない子どもだった。
十二年ほど前に、ひとりっきりで村に突然現れ、純忠が引き取った。
酷く衰弱していて、記憶も曖昧なところがあり、彼は名前もわからないその子を澄香と呼んで、それは大切に育てた。まるで我が子のように。
一緒に暮らして数年。
澄香が夜、怖い夢を見たと言って純忠を起こした。
「どうしたんだい?」
「怖い夢を見たの。大きな蛇が襲ってくる夢っ」
その時はなんとも思わなかった。
安心させるために、布団を運んで一緒に寝た。
大きくなったと思ったが、まだ可愛いところもあるんだな、と微笑ましくすら思っていた。
だがそれはただの夢なぞではなかった。
一週間後、山に大蛇の悪霊が出た。
日比野郡の東にある小さな湖には、蛇が水神として祀られている。
隣の郡の若者たちが、肝試しに夜の森に入り、不安が増長される中、湖に辿り着く。
するとそこには、ひとりの老婆が祠の前に座っている。怨念のこもった眼差しで、若者をじろりと睨んだ。
叫び声をあげ、若者たちは逃げて行く。
老婆は立ち上がると、彼らを追ってくる。
「生贄にしてくれるわ!!」
老婆は怒り狂っていた。
信じていた息子、娘に、財産を奪われ終いには殺されかけたのだ。
呪って呪って、なんの神かも知らないで、祠に祈りを捧げた。恩を仇で返してきた子どもたちに復讐をと。
そんな彼女の前に、若者たちは現れてしまった。不幸なことだ。
幸い、老婆に捕まることはなかったが、大蛇の使いとして噂が広まり、人々の想像から蛇の悪霊が生まれた。
興味本位で近づいたものは、皆助けを求めて黄権寺に駆け込む。純忠はまさかと思った。
そして、大きく育ったそれは、常人にも見えるようになり、第三支部の耳へ。
早急に対処がされて被害は出なかったが、もう少しで実体化するところだった。
大蛇の祓いについては、純忠にも報告が入った。村人が不安にならないように、彼からも悪霊を払ったことを伝えて欲しいとのことだった。
純忠は気のせいかと思いたかったが、その後も澄香の夢は現実になった。
この子は予知夢の能力者だ。
確信するのにそう時間はかからなかった。
予知の能力をもつ祓い人は、国に保護される運命にある。
それもそうだ。
悪用なんてされたら、国政が揺らぐ事態にもなり兼ねない。
だが、純忠は澄香を国に渡す気にはどうしてもなれなかった。
きっと行動を制限される生活になるだろうし、何より、最近この寺にやってくる少年と引き離すことになるだろう。
どうみてもふたりは惹かれあっており、親心からすると娘を他のやつには渡したくはなかったが、彼も真面目な少年で憎めなかった。
そして、その少年——国明は、忘却の能力を持っている。
澄香の恐ろしい予知夢を忘れさせることもできるのだ。
このふたりが出会ったことは運命としか、純忠には思えなかった。
澄香にここに集まってきた人たちのような、能力のせいで不自由な生活をさせたくない。
純忠は澄香の能力を隠すことにした。
国に知られてはならない。
知られれば、今の平穏な暮らしがなくなってしまう。
そうして数年、国明に協力してもらい、澄香の予知夢は忘れさせてうまくやってきた。
それなのに、あの男が闇の中からやってきたのだ。
予知夢をみる娘を渡せと。
得体の知れない男だ。
悪霊を従え、闇の中から姿を現す。
もちろん拒絶したが、相手は恐ろしい。
国に渡す気はないが、この男に渡す方がありえない。
村にいた祓い人たちは、異変を聞きつけ、純忠に力を貸すと申し出てくれた。
商家の息子である国明も、武器の確保に当たってくれた。
準備は万全で、あとは迎え撃つだけだったというのに……。
「どうする、純忠さん」
男のひとりが、深刻そうな声で瞑想中の純忠を呼ぶ。
澄香のことを国に知らせるつもりがない以上、真実を述べることはできない。
純忠は目を開けた。
「やるしかないだろう。こうなったら夜まで粘る。奴が悪霊を放つならば、彼らにお相手願おう。わたしたちは、あの娘を逃すことを優先するべきだ」
「純忠さん!!」
部屋に慌てた様子の女性が飛び込んでくる。
「どうした、真知子さん」
「いる、いるよ! 彼らの中に瞬間移動が使える能力者が」
真知子と呼ばれた彼女は、探知能力を持っている。後から続いて入ってきた中年男性は真知子の旦那で、人の優れた点を判別ができる能力をもつ。
ある日ふたりは手を握り精神を統一すると、能力の合体ができることに気がついた。
ほかの祓い人とはできなかったが、能力の相性が良かったものだと思われる。
そうして、真知子たちは瞬間移動の能力者——新藤鏡花の存在を把握した。
澄香を逃すのに、喉から手が出るほど欲した能力だ。
「どうやら、天はまだわたしたちに味方をしているようだ。国明くんを呼んできてくれ」
「はい!」
真知子は大きく首を縦に振った。
***
「立て籠もるようですね」
大石の言葉に壱成は頷く。
蓮丹はこちらの話を聞く気はないらしい。
「長期戦ですか〜」
面倒だな、という言葉もセットであろう。榎本の呟きが聞こえる。
時刻は午後四時二十分。
夜になれば、それこそ面倒なやつらが出てくる。壱成たちは悪霊を祓うのが役目になりそうだ。
「今回ばかりは、要求も難しいですからね。説得なんて上手くいくんだか?」
榎本の言う通り、ただ膠着状態が続くばかり。
武力行使は避けられないかと思われた時だった。
「誰か出てきた。って、あれ、主犯の和尚じゃ?」
法衣を纏う老父が、男性に支えられながら、寺から出てきた。午後四時五十分のことだ。
「さすがに軍に包囲されたら、勝ち目はないってことですかね。いやー、早く帰れそうで嬉しいです。最近、妻が早く帰って来いってうるさくて」
お前のプライベートは聞いていない、と口をついて出そうになるのを壱成は止めた。
こうなった榎本を構うのは、負けなのである。
大石の情報によると、和尚は責任者との対談を要求した。
蓮丹が歩みを見せたことに、上橋がそれに応じ、純忠は大人しく拠点まで赴いた。
榎本が言ったように、案外あっけなく収拾がつくかと予想された。
(影風が出る幕はなかったな)
壱成も違和感は感じていたが、任務の終わりが見えてどこか残念そうである。
山の端に太陽は沈み、あたりは一気に暗くなる。
「大尉!」
「どうした」
連絡を受けた大石が、焦った様子で壱成を呼ぶ。
「純忠が新藤少尉の転移能力を奪ったと!」
「それで?」
「……行方がわからないようです」
第三支部からの情報によれば、純忠の能力は、相手の能力を奪うにつき三回まで使用することができる。使えるのはあと二回。
彼らは軍が動いたことについて今日まで気がついていないはずなのに、新藤の能力を奪った理由がわからない。
「本当はこちらの動きに気がついていて、狙いは少尉の能力だった?」
「そんな馬鹿な。そのためだけに、わざわざこんな大掛かりなことをしませんよ」
混乱するなか、
ウォオオーーーン
と山に獣の雄叫びが響いた。
ぞわりと背筋が凍るような、いままでに経験したことのない気配を感じる。
壱成は無意識に腰の刀に手を置いていた。
「大石。各班に臨戦態勢を敷け。来るぞ」
一気に空気が変わる。
先ほどまで能天気によく喋っていた榎本でさえ、真剣な表情に変わり装備した暗器に手をかけている。
猛烈な速さで、山の上から何かが駆けてくるのがわかった。
ソレは、隊員たちの首元を狙って飛びかかってくる。
「ギャン!!」
壱成は抜刀した。
刀には青い炎が光り、相手を照らす。
現れたのは、真っ黒でドロドロした異形の獣。
四足歩行と吠える様子からして、狼のような悪霊だ。
(悪霊? これが?)
ドロドロの表皮の一点に、赤い瞳が見える。
ここまで殺意をもった悪霊の群れを、壱成は見たことがない。
彼の手にかかれば、これくらいどうってことはないが、問題はそこじゃない。
「こんな悪霊、みたことないですよ。大尉」
榎本は何もなくなった現場に立ち尽くす。
悪霊を回収することは不可能だ。たとえ祓わないで調べようとしても、朝になれば消えてしまうから。
写真には写すことができないし、念写の能力者がいない限り、実物を見るほかその存在を証明することも難しい。
「大尉! 村にも大量の悪霊が!」
「4、5班は持ち場を広げろ。2、3班は増援に行け。俺たちも山を降りるぞ」
「ハッ」
壱成は一足先に山を下る。
月明かりと自分の炎で道を見極め、疾走した。