蓮丹 3
制服を着た男たちが、書類を手に机に向かっている。
そこは第三支部が対蓮丹の為に設置した拠点である。
千影はその様子を隅の方で伺っている。
顔には、しばらく着けることもないだろうと思っていた鳥のお面をつけ、背中には刀が一本縦にまっすぐ。
服装は塚田での仕事の際使っていたものは全身真っ黒だったが、今回見栄を張りたい正太郎の計らいで、渋い緑の制服に着替えていた。
統国軍の軍服に寄せたらしいが、遥かに凝ったデザインである。見た目ではわからないが、服のあちこちにポケットがついていて、道具が隠し放題だ。
彼女は今、すごぶる機嫌が良い。
ひさびさに照子と再会できたからである。
案の定、記憶を復元するのに手間をかけさせてしまったが、最近は暇もできたらしく趣味のスケッチが増えていた。時には体調を崩す時もあったようだが、元気そうでなによりだった。
千影は徳永の屋敷を夜に抜け出し、逃亡の準備を着々と進めている。先日にはあの手この手を使い、蘭西利加の森に小さな家を買った。写真を見たところ、こじんまりしているが、長閑な場所で照子も落ち着いて過ごすことができるだろう。本当は実際に見に行って買いたかったが、今の状況にしては上出来だ。
正太郎の目を気にせず夜に行動ができるのは、徳永に来た甲斐があったと言っていいだろう。
もちろん、照子に会う前には塚田の主人にも会った。
芙美子は相変わらずで、どうやら真香が死んだ時のことは記憶からすっぱり消え去ってしまったようだった。
適当に対処すると、正太郎が芙美子に席を外させ、仕事の詳しい内容を言われた。
電話で影がお国に協力することはわかっていたが、その他にもやる事があった。
「科学者の 佐々木 愛善 です。どうぞよろしく」
(……ヤブ医者の次は、似非科学者か)
眼鏡の奥に糸目が弧を描く、胡散臭い男だった。もちろん、「幻薬」の開発を担当するのに正太郎がどこからか引っ張ってきた怪しーい科学者である。話によると、外国の大学で生物と化学の博士号を獲得しているそうだ。
能力者というものに興味があるらしく、腕を切って見せると、異常な集中力でブツブツと呟きながら千影の回復能力を観察していた。
見るからに危なそうな鬼才を、また正太郎が拾ってきた。次は完成品を拝みたいものである。
出発の時間も迫っていたので、血液だけ採取され、千影は照子に再会し準備を終えてこちらに来た。
時々自分に向けられる視線を受け流しながら、彼女は事態の進行を見守る。
ここに来るまでに資料に目を通して来たが、こんな平和な場所で物騒なことが起こりそうなことは、今までの経験から見ても不自然。
主犯らしい純忠の過去を洗ったが、全く後ろ暗いところはなく、動機が不明瞭だ。
(何か、変だな)
第三支部長の上橋勉も、どこか腑に落ちない様子で地図を見つめている。
この場では能力者たちの特定が急ピッチで進められている。
千影は集まった資料たちに順次目を通すが、彼らの過去から俗世間に愛想を尽かして怒るのは理解できる。
能力者の駆け込み寺とも言われる純忠のいる「黄権寺」。能力者の土着は今に始まったことではない。
(なぜ今?)
この時期を選んだ理由が見えてこない。
それに、武装するだけの財源をこの村が確保できるとは到底思えなかった。
千影は上橋の近くまで歩み寄る。
「武器はどこから、誰が、いつ持ち込んだのかわかっているのですか?」
千影でいる時は、真香の時より随分声が低い。彼女は落ち着いた印象を上橋に与えていた。顔が見えないので、二十は超えていると思われていた。
「それが掴めていない。相手には探知や聴覚が優れた能力者がいて迂闊に近寄れず、捜査に手間取っている」
潜入が難しい現場だ。
遠見の能力で対応しているようだが、限界はある。
「ひとりひとりの能力は弱くても、束になると厄介だな」
彼女は呟く。
こちらも無駄な争いは避けたい。
さっさと交渉に入るしかないのでは、と思う。
(この周辺に、国の施設はない。祓い人の存在を世に知らしめたいのならば、そういった場所を攻めるはず)
「支部長。瞬間移動など物を運べる能力者はいませんよね」
「ああ。今のところ蓮丹にはいない」
「蓮丹には?」
「わたしの副官は瞬間移動ができる」
上橋は、指示を出している女性を親指で差した。
珍しく女性がいたので、千影も気になっていた人物だ。
名前は新藤鏡花。ショートカットのまっすぐな黒髪に、鋭い目をしている。いかにも、軍に身を置いた女感が漂っていた。
ただ、千影の視線はその身体的特徴へ。
背が高く、出るところは出て、細いところは細い。
(……美人が軍人なんて勿体ない)
そんな千影の視線に気がついたのか、新藤と目があった。
「どうかされましたか。緒方殿」
なぜか新藤に、尊敬の眼差しを送られる千影。
どうやら同性として、名が通った千影に興味がおありのようだ。
「失礼ですが、新藤さんの能力はどれほどのものでしょう」
「座標、または距離がわかっているか、わたしがマーキングした場所に、成人男性をふたり移動するくらいです」
「なるほど。ありがとうございます」
ということは、相手の本陣に飛ぶことは容易だろう。
ちょうどその時、上橋に部下から報告が入る。
「支部長。能力者の把握が完了しました」
「よくやった」
すぐに資料に目を通す上橋。
相手の人数は全てで五十三。
際立って危険な能力を持つものはいない。
こちらには本部からの増援もある。いざとなれば力で抑えることができるだろう。
「交渉に入るぞ」
待機していた交渉人が頷いて席を立つ。
「一から三班は寺の包囲。四から六は、万が一を考えて村人に被害が出ないように誘導しろ。1600より任務開始」
「ハッ!」と部屋に返事が響く。
日の入りまで一時間と少し。
悪霊が少ない場所だが、夜が来る前に決着をつけたいところだ。
(……憎悪に寄ってくるはずの悪霊が少ない?)
武器を集めて、蜂起しようと企んでいるのに?
やはりおかしい。
千影は嫌な予感がしていた。
だが、能力者たちが武装しているのは確か。
戦いがないかぎり、そんなことはしない。
では、彼らは一体何と戦おうとしている?
そこでひとつの可能性に行き着き、千影は呆然とする。
(……いや、まさか)
思いついた事を否定したい。
(彼らが相手しているのが、軍ではないなんてことはないだろう……? そうなると、軍の情報に大きな誤りがあることになる)
だが、彼女はそれを完全に否定できなかった。
「支部長。わたしは個人で動く方が向いているようです。何か被害があれば塚田の医療機関は抑えているので、そちらに。任務に支障はきたしませんので」
「……そうか。だが、念のため新藤からマーキングをもらってくれないか」
近くにいた新藤が、懐から札を取り出し千影に渡す。
「それを持っていただくと、こちらが呼ぶことができます」
つまり召喚されるわけだ。便利なものだな、と思いながら彼女はそれを受け取った。
千影は一礼すると、その場を離れる。
向かうは山をひとつ越えた、第三支部の本部。
——とんでもないことが起こっているのではないか。
彼女には当たって欲しくない直感が働いていた。
拠点を出ると、強靭な脚力で数分ほどで山を越えた。第三支部には正面からではなく、裏から侵入する。
彼女の予感では、もうすでに不味いことが起こっているはずなのだ。
本部は蓮丹に対処するため、人の気配が一つの部屋に集中している。
息を殺して、窓から中に入ると彼女はある臭いに気がついた。
(クサい……)
この臭いは一度嗅いだことがある。
鈴村喜助から臭った、大量の悪霊が混じったのとぬぐいきれない血の臭いだ。
正常に人が働いている場所は確認しなくていい。
千影はぽつんとひとつ、外れた場所に人の存在を鼻と耳で確認し、そちらに赴いた。
施錠された部屋から気配が漂ってきて、千影は隣の部屋から外に回り、窓から中を覗いた。
「ああ、喜助さま。 わたし、やりました!」
若い女の、甘ったるい声に千影は鳥肌が立つ。
制服を見たところ、第三支部で働いている女性のようだ。長い髪を三つ編みにして、うっすら化粧もしている。
手には喜助のプロマイドを握りしめていた。
「喜助さまの言う通り、みーんな騙されちゃって! 蓮丹なんて、ただ悪霊退治に集まった義民よ? あの人たちも早くあの娘を喜助さまに渡せば、こんなことにならなかったのに」
馬鹿ね、と笑う彼女はとても正気に見えない。
千影は「あの娘」という言葉が気になる。
脅しても良いのだが、彼女の影から嫌な臭いがしている。
もっと写真に向かって、ペラペラしゃべってもらいたいところだ。
懐に隠していた薬を出すと、特殊な道具にそれを入れて、窓の隙間に薬を吹き込む。
少々手荒だが、事は急を要する。
薬で吐かせていただこう。
しばらくして幻覚が見え始めたのか、彼女はうっとりした顔で空間を見つめている。
「ねぇ、喜助さま。あんな娘なんかより、わたしをさらって欲しいです。確かに予知夢の能力は国宝級の能力です。でも、わたしだってお役に立ちます。変装が得意なのはご存知でしょう? 今回だって、わたしが仲間たちに化けたから、本部にニセの情報を流せたのに……。喜助さまの好みの女の子にだって、なれるんですよ?」
千影は思考を巡らす。
先ほど集まった情報に、予知夢の能力者についてはなかった。
きっと、村のどこかに隠されているのだろう。
まとめると、予知夢の娘を狙って喜助があの村を脅しているということになる。
悪霊退治、と言っていたことから、喜助が悪霊を送り込もうとしているのではないだろうか。
本来、悪霊は人に操れるものではないが、千影は彼に初めて会ったとき、悪霊たちが従うように喜助の影の中に収まっていったことを目撃している。
(……どう考えても、面倒くさい)
あんな危険人物が関与していたとは誤算だ。
こんな仕事ほっぽり出してしまいたい。
ただでさえ、こちらは一人二役で忙しいのだ。
面倒ごとに首を突っ込むほど、野次馬精神もない。
が、
(仕事かぁ)
正太郎殿の面目を潰すわけにはいかない。
影風として期待されている以上、給与分の仕事ぶりは見せなくては。
千影は仕方なく、大きく息を吸った。
窓を開け、瞬く間に中に侵入する。
お嬢さんに素早く手刀を叩き込む。
鈴村喜助が関与していたと思われるものを回収し、千影は息を止めている間に外に出た。
(とりあえず、これは様子を見て提出するかを決めよう)
ここに侵入したことを話さないといけないので、千影はサイン入りプロマイドと、ポケットに入っていた喜助の臭いが染み付いた小さなクマのぬいぐるみを、袋に入れてからバッグの奥の方にしまった。