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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
16/44

蓮丹 2



千影は首尾よく準備を終わらせ、翌日朝食をとってから風間に車で塚田の屋敷に送ってもらうことになっていた。


「俺も仕事で出張が決まった。今日明日は屋敷にいない。長引けばもう少しかかる。何かあれば風間に連絡をしてくれ」

「わかりました」


朝食を食べながら、壱成の話に頷いた彼女は複雑な心境だ。


(彼と仕事をするのか……)


正太郎から帰省の理由を聞いていた。

千影は「かげ」になり、軍のお供に励まなくてはならない。


「君は『影風』を知っているか?」

「影風、ですか?」


至って平然として千影は首を横に倒したが、危うく反応を見せてしまうところだった。


(あ、危ない)


内心冷や汗をかきながら、彼女は記憶を遡るフリをする。


「……それは何かのサインですか?」


どこかの誰かがつけた自分の恥ずかしい通り名だと知っていたが、それを真香が知っているはずない。


「いや。人の呼び名だ。塚田に仕えている祓い人で、いつも鳥の面をつけているそうだ」

「あ」

「心当たりが?」

「もしかして、『影』のことでしょうか? 父が重宝していて、そばにいるのをよく見かけます」

「そうか」


喜助に負けず劣らずの名演技だったろう。


(影は死んだことにしたくせに、よく使おうと思ったよな)


使えるものは何でも使う正太郎の考えには、呆れるのを通り越して尊敬すら覚える。


「彼女がどうかしたのですか?」

「……彼女?」


鳩が豆鉄砲でも食ったようだった。


「女なのか?」


(男だと思われてたの?)


千影は自分の性別を間違われていたことに衝撃を受ける。


「声に体に、女性としか思えませんよ?」

「知らなかった」


壱成は箸を置いて、口元に手を。

かなり驚いた様子だ。


(女性がひとりで祓いを?)


一気に興味を惹かれた。

本部にも女性の軍人はいるが、あんなに戦闘慣れした者は男ですらいない。彼は影風の仕事ぶりを見ている以上、女にできることなのかと疑問だった。

目の前にいる真香のような剣も握れないような人が、女性の典型だと壱成は思い込んでいた。


その彼女こそ、本人だというのに。



——会ってみたい。いや、早く会いたい。



今日中には合流できるだろう。

壱成に流れる武人の血が騒いでいた。




***




山間の集落に、男がふたり。

ひとりは和装で頭を剃り上げてる、この村の和尚。もうひとりは洋装で懐には拳銃を隠し持つ若者だった。


窓からの光しか届かない薄暗く厳かな空気が漂う空間で、清められたばかりの蓮の花が形取られた銀細工が光沢を放つ。


「……うまくいくでしょうか?」


若者の不安そうな声が、遠慮がちに沈黙を破った。


「能力者はそう簡単に殺されない。大丈夫だ」


住職は目を細める。


「国明くん。あとのことは頼むよ」

「はい」


国明と呼ばれた青年は、ぐっと唇を噛む。

それでもなんとか笑顔を作り、彼は住職に笑いかける。

住職——純忠はそれは仏のごとき優しい微笑みを浮かべる。


「さて……。そろそろ時間かね」


銀の蓮は、天上を向いている。

花弁は何かを受け止めようと大きく器のように広がるが、細い茎はそれを見ない。


——わたしはまだ折れる訳にはいかん。


なかなかうまく動かなくなってきた体に鞭打って、純忠は立ち上がった。








「こんな田舎で息を潜めてたんですね〜。第三支部もよく見落とさなかったですね?」


山の中腹に壱成とその部下ふたりが身を隠していた。

そのうちのひとり、壱成の副官を務める榎本は隣で、双眼鏡でじっくり村を見渡している。

茅葺屋根の家屋が並び、近くを流れる川から水路が引かれ、中干しに入った田んぼは青々と茂っている。他国の影響を感じさせない、純粋な統国の伝統がそこにはあった。


「こういう場所こそ、奇怪な出来事が多い。蓮教を半端に信仰していると、人々の不安を増長させ、面倒なやつを産む」


「あー。確か、数年前に大蛇が出たのってここでしたっけ?」


「ああ。だから、ここはマークされていた」


「なるほど。これだけ世間から隔離していれば、オバケなんてものを簡単に信じてしまうのも頷けます。あの大蛇、常人の噂から可視化できるほど力を集めて、実体化直前まで進化してたそうじゃないですか。ここはまるでひと昔、いやふた昔くらい前の世界ですから、次は鬼でも出るんじゃないですか?」


榎本は皮肉交じりに笑った。

壱成はじろりと彼を睨む。


「……すみません。口が過ぎました」


榎本はしょんぼり尻尾を垂らす。

言っていることは間違ってはいないが、言い方を考えて欲しいものだ。


「真環が栄え過ぎてるだけだ。他の郡はまだ発展途上。……俺は煉瓦造りで無機質な街並みより、こっちの方がいいと思うけどな」

「そうなんですか? 意外だな」


……全く、一言多い男である。

壱成の実家は赤嶺郡。この日比野郡よりは、交通の弁やライフラインも安定している。瓦屋根の家が並び、道も整備されて日比野ほど田舎ではないにしても、どこか温かみが感じられるのは、背の高い洋風の建築が陽の光を遮らないからであろう。


「大尉。第三支部長から通達です。緒方かげ……影風が到着したそうです」


通信機を背負った部下——大石 悠人 から伝令を聞き、壱成は目を細める。


「あ〜、緒方かげ。塚田専属祓い人の名簿に名前がありました。かげって言うから、もしかしてとは思ってたんですけど、まさか本名も影とは」


榎本の嘆きを聞いて、彼は忘れないように心の中でその名を呟く。

真香から聞いた話では、正太郎から「影」と呼ばれていたようだし、つじつまは合う。


彼女は第三支部の隊にそのまま加わることが伝えられた。

第三支部は「蓮丹」の全体像の把握が急がれ、本部特殊部隊は連中が外に逃げないよう、集落を包囲し見張っている。


「よく塚田は寄こしましたね。他の人が来ると思ってました」

「そうだな。そいつは顔は出してるのか?」

「いえ。鳥の面をつけているそうです」

「そーれは、わかりやすい……」


榎本は言葉とは矛盾した表情をしている。

ひとりだけ面をつけていればその人物が影風だとはわかる。だが、覆面なんかしていたら、本人か判別することは難しいだろう。


「影風は女か?」

「——……! そのようです」


確認した大石は目を丸くして答えた。

「え!」と榎本が声を荒げ、壱成に睨まれる。今は任務中だ。場慣れしているのはいいことだが、少しの緊張感は欲しい。


「女性なんですか?」


声のトーンを落とした榎本が再び問う。


「塚田真香もそう言っていた」


「驚きました。って、自分の婚約者をフルネーム呼びですか?」


「結婚が決まった訳じゃない。別にいいだろ」


これには榎本と大石は閉口してしまう。

どちらからともなく顔を見合わせ、可哀想な婚約者さんに心の中で謝罪する。

うちの上司がすみません。と。


(え、あれ? でも、塚田から医療援助を受けられるって?)


違和感に気がついた榎本だが、プライベートをあまり口にしたがらない壱成にそれを聞くのはやめておいた。

これ以上、整った顔で冷たい睨みを効かされるのは避けたい。


「とりあえず、本人だろうな。塚田も怪しまれるのに、わざわざ女を送ってこないだろう」


上官から彼女についての報告を引き受けている。何も土産がないのは、失望させてしまうだろう。本人でなくては困る。

壱成は是非とも噂の人物が動くところを見たかった。


本部特殊部隊の壱成率いる中隊は、全部で18人。今は四つの班に分かれてそれぞれ配置についている。壱成たちが3人、その他は5人の編成だ。

皆、身体能力に加えて頭脳や経験があり、信頼がおける部下である。

第三支部からの連絡が入れば、直ちに解体作業に入れる。



主犯は横川純忠。

この村で唯一の住職だ。

能力は、目があった人物の能力を一時的に使用できる、という変わり種。祓い人が対祓い人用の能力を持つのは、レアケースなのである。

彼の元に集まった能力者たちは、祓い人の存在を世に知らしめんと欲している。

だからといって、武装しているのは褒められたことではない。寺の裏山にある御神体が祀られた本堂に、彼らの仲間たちは潜伏中だ。

こちらとしても、蓮教を重んじるものたちを罰するのは心苦しい。ましてや数少ない同志を殺すなんてことは、本部も所望していない。


今回求められる解決法は、純忠との言葉による和解。

第三支部の報告によれば、ここに集まった祓い人たちは、さほど強い能力に恵まれた訳ではなく、常人に混ざって暮らしているが、「告白」——己が祓い人の血を継ぎ、能力者であることを常人のパートナーに打ち明けなくてはいけない義務——に苦しめられて世間を見放した、見放されたものたちだ。

ある者は頭がおかしいと馬鹿にされ、またある者は蓮教の狂信者だと蔑まれ、かと言って信じてくれたかと思えば化け物扱いされる。

相手ひとりだけでなく、住んでいた場所すら彼らを受け付けなくなり、白い目で見られる。

数は多くないが、それが祓い人たちの現状だ。


そして、彼らは死ぬまで悪霊から目を逸らすことはできない。

身体能力が高いので、自衛はそこそこできたりするが、皆が皆、戦闘向きなわけがない。

彼らは悪霊にその首元を掴まれるのではないかと、いつも不安に駆られる夜を過ごす。

そうならないように、軍にも「月光」が置かれているのだが、知っての通り数が少なく、手が回りきらない。



これは軍でも極一部しか知らない情報だが、塚田の研究によると、能力は使わないと劣化、変質していく。使用しなければ、その親の子どもの能力も質が落ちてしまう。

そしてこれは、塚田の関係者でも一握りの人間しか知らないことだが、能力を使わなければ、一般的な祓い人たちと比べて寿命が少しばかり伸びる。その数人の見解では、祓い人は能力を使わず、その力を薄めていけば常人になるのではないかとされている。研究には時間がかかるため、まだ詳しいことは断定できないが確信に近い。



そんな状況下で、力が弱い能力者たちは純忠の元に身を寄せるようになった。

日比野郡は見ての通り田舎だ。

人口が少なく、憎悪も集まり難い。

不安に引き寄せられて悪霊が出る時はあるが、寺には結界が張ってあるし、何よりここには純忠がいる。

彼はいつも悩みをもった能力者たちの味方だった。

純忠がいるこの村は温かい。

蓮教を信仰する村人はたとえ常人でも、人の邪心が悪いものを呼ぶということを、よく理解している。

祓い人の存在も、純忠による蓮教の布教で受け入れ易い環境だ。

真環郡に比べれば榎本の言うように、不便なことも多いド田舎で、貨幣経済の浸透すら遅れている。だが、豊かな自然の中、彼らは支え合い、慎ましく生活して、腹八分目の幸せを味わっていた。



(それがどうして、今になって蜂起を企む?)


何かを見落としている気がして、壱成は眉間に皺を刻んだ。




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