蓮丹 1
壱成は喜助の劇を観に行ってから、表向き変わりなく働いている。
吾妻には無理をさせるが、彼に喜助の行動は把握してもらっていた。
喜助に今のところ動きはない。役者の仕事が忙しいようだ。
彼を捕まえるには、現行犯しか無理だ。
逃げられれば何も跡が残らない。
それはつまり、被害が出てから助けに行くしかないということ。
正義感の強い壱成だ。それについては罪悪感もある。
ただ、わからないことが多いあの男を捕まえるには、ほかに手段がない。
喜助が演じた役は、まるで彼自身のようで、壱成を挑発しているともとれた。
何か動きはあるはず。
壱成は気を引き締めて、日々を過ごしている。
「大尉。第三支部から連絡が」
彼は榎本から書類を受け取る。
壱成は平時、支部から集まる資料を分ける仕事をしている。上から見れば雑用、下から見れば羨ましいデスクワーク。
ずっと机に向き合わなくてはいけないのは、壱成からすれば嬉しいことではない。
現場に出て調査するほうが、よっぽどやり甲斐がある。
そんな文句は言えないので、もらった資料に目を通した。
「……祓い人による、武装集団だと」
事態は一変した。
彼はすぐ上層部に報告を入れる。
ここ数年で一番の事件だ。
◇
「これは由々しき事態だ」
緊急会議が開かれ、参謀部の上官たちが重々しい口調で説明し始める。
「祓い人が常人に隠れて暮らさなくてはならなくなったことに、不満が爆発したらしいな。なぜ今このタイミングで……」
まだ事件が起こる前に、武装集団の動きを察知できたのは幸いだった。
「責任者を捉えて、早々に解体しろ。能力の使用は許可する。本部からも何人か向かわせろ」
「誰を行かせますか」
「……徳永大尉を。彼にはそろそろこちら側の人間になってもらわないとな」
上官たちは無言だったが、それはつまり肯定を表していた。
「あの」
ひとりの男が挙手する。
「なんだ」
「わたしは、塚田を呼ぶのが良いかと」
「たしかに第三支部の管轄であれば、塚田を動かせるようにしといたほうがいいな。要請を入れておけ」
「はっ」
提案した男は快く声を切った。
(影風の仕事が見られるかもしれない!)
千影の知らないところで、彼女の存在は大きく広がっている。
まさか、こんな風に軍の内部にも自分の姿を見たいと願うものがいるとは、見当もつかない。
そしてそれは今回、いつも塚田に課された暗い仕事をする千影に、思わぬ試練を与える。
会議が終わると、すぐに正太郎に電話が入る。
要件を聞いた彼は顎に手を置き考えた。
特例として、使える人材(=千影)を手においている塚田。
本来なら、あれほどの実力者は軍に引き抜かれてもおかしくないのだ。
日比野郡で息をひそめる武装集団——蓮丹——を解体する、という本部直々の協力要請を断るわけにはいかない。
「ちょうどいいか」
照子から聞き出した「幻薬」の研究の資料は大体集まったところ。
使える医者を見つけるのに苦労したが、先日よい人材を見つけた。
半信半疑のようなので、実物をみせるほうが話も早いだろう。
——千影を屋敷に呼び戻し、血液のサンプルをとらせることにしよう。
正太郎はニヒルな笑みをこぼした。
◇
壱成の屋敷にある電話が鳴った。
風間が受話器を取ると、相手は塚田正太郎だった。
「真香さまでしたら、ただいま外出中ですが」
てっきり愛娘への連絡だと思った彼は、そう切り出したが、意外なことに正太郎が望んだのは壱成だった。
呼ばれた壱成は、なんの用かと考えるが思い当たる節はない。
「お電話代わりました。壱成です」
『仕事前に悪いね。急な話なんだが、明日から真香をしばらくこちらに呼んでもいいか?』
「それは構いませんが」
『水を差すようですまない。こちらで少々真香が必要なことがあってね。娘には追ってこちらから連絡する』
「わかりました」
受話器を掛けて、壱成はなぜ真香が呼び戻されるのか不思議に思う。
(婚約破棄? こちらとしては願ってもないが、塚田の恨みは買いたくないぞ……)
壱成は想像してヒヤリとした。
塚田に睨まれることだけは、避けなくてはいけないことだった。
この婚約を舐めてかかっていた自分に気がつき、深いため息を吐く。
いままでの婚約とは違い、相手が大きすぎる。
たとえ娘と契約が順調でも、親は一筋縄ではいかない。
(……それなりに、婚約者らしい扱いをするべきだったのか?)
ここに来て後悔の念が押し寄せるが、それで彼女に勘違いされるのも困る。
「壱成さま?」
気分転換に散歩に出かけていた千影が帰ってきた。電話の前で腕を組む壱成に、小首を傾ぐ。
壱成は彼女をじっと見た後、口を開く。
「お父上から連絡があった。明日から君をしばらく塚田のほうに戻したいと」
「え?」
突然のことに、千影は目をさらにする。
正太郎からの呼び出しとなると、いい予感はしない。
(照子さんに会える!)
それでもあそこには最愛の人がいる。
ずっと様子が気になっていたので、帰れることは嬉しかった。
ただ、彼女は壱成の渋った表情が気になる。
「わかりました。その、父は他に何か?」
「……いや。特に何も言われていない」
それにしては何かを言いたげな眼差しで、千影は彼が何を考えているのかわからない。
「期間はどれくらいになるかはわかりませんが、しばらくこちらを留守にさせていただきます。何か私の方から父に伝えたほうがよいことはありますか?」
「支援についての礼を伝えてくれると嬉しい。……もし、正太郎さんから何か言われるようなことがあれば、遠慮せず連絡をくれ」
(ああ、そういうこと)
それで彼女は理解する。
正太郎の機嫌を損ねてはいないか、心配なのだろう。真香は彼に溺愛されていたのだから、娘のためになら徳永も恐れない、くらいには思われているのかもしれない。
「恐縮ながら、私はこの婚約のお陰で自由に外を学ぶことができています。壱成さまにはとても感謝しているのです」
千影はにこりと笑った。これで彼の婚約破棄についての心配は、少しは和らいだはずだ。
(コネは大事だもんな)
真香の顔は、塚田の顔。
千影からすれば能力者社会のコネクションなんて、心底どうでもいいのだが、壱成は違う。
「いや。俺のほうも助かっている。塚田のほうでは体を休めてくれ」
「お気遣いありがとうございます。壱成さまもお仕事は忙しいでしょうが、無理をなさらないでください」
決まり文句を適当に並べる。
千影は自分が屋敷に戻って休めるなど、微塵も思っていない。この壱成の屋敷にいる時間が、休暇のようなものだったのだ。
(照子さんにお土産、なに買っていこうか)
照子には自分がいない間、苦労をかけることもあっただろう。体が心配だが、どうか元気でいて欲しい。
こうして千影の里帰りが決まった。
その日、壱成が職場に着くと、緊急で上官に呼ばれた。
話の内容は予想がついている。
「徳永大尉。603中隊を率い、明日1500に日比野郡に向かえ。到着次第、第三支部と合流。そこからは上橋支部長と指揮を取れ。相手は同士だ。被害は最小に。小火を消して来い」
「承知しました」
「期待しているぞ」
「ハッ」
壱成は寸分違わぬ完璧な敬礼をし、部屋を出ようとする。
「そうだ。大尉」
呼び止められ、振り返る。
「何でしょう」
「これはわたし個人が気になっていることではあるのだが、今回はあの塚田の番犬が任務に参加する。あちらの申請では、塚田の血を引いていて治癒能力をもっているとなっているが、本当にそれだけか見極めておいてくれ。無理にとは言わないが」
「わかりました」
そういえば吾妻にも「影風」のことを言われていたな、と思い出す。喜助と会って、すっかり失念していた。
上層部でも名が通っている人物だ。
これはいい機会に恵まれたかもしれないと壱成は思う。
彼が影風を見たのは、本部に来たばかり——喜助のことで敏感になっていた時。
当時は「影風」なんて通り名を知らなかったので、あんな能力者が存在していたのかと衝撃を受けた。
(吾妻に言ったら、ついてきそうだな……。まさかあいつ、影風を見ようと現場に来るんじゃ?)
どこからか情報を掴んでくるやつだ。
その可能性が捨てきれず、壱成は頭が痛い。
「失礼します」
壱成は次こそ部屋を出た。
(集中しないとな)
上官の「期待しているぞ」という言葉が反芻した。
(彼女が屋敷に呼び戻されたのは、何か関係があるのか?)
壱成は明日自分の屋敷を去る、彼女を思い浮かべる。
塚田の番犬と真香には何か関係があるのかもしれない。影風は治癒の力をもつそうだし、顔見知りの可能性は低くない。
吾妻に言われた通り、聞いてみるべきだったなと思う。
(それか俺が屋敷を留守にすると知って、正太郎さんが引き取ってくれたのか……)
こちらのほうが筋が通っているな。と彼は気がついた。
正太郎の過保護ぶりには、驚かされるものだ。しかし、自分も気にせず仕事に臨めるのだ。感謝をしておくべきだろう。
壱成は中隊を集め任務を伝えると、その日はすぐに解散し、明日の準備を始めるのだった。