茶会
次の日、千影は茶会に出ることが決まり、洋子に出席の返事を出した。
そうと決まれば、当日までに何か手土産を用意する必要がある。
(山白郡のお菓子がいいかな)
取り寄せなければならないが時間はある。
綺麗な水を使って作る和菓子は絶品。
仕事の合間を見つけては、照子に買っていた菓子があるので、それにしようと決める。
(茶会か……。何を話せばいいんだか)
任務一環で一度だけお嬢様がたの茶会を覗いたことがあったが、女性が話す内容といえば恋愛話。
形だけの婚約で、千影は話のネタを持っていない。
(あー、この前、渡したハンカチってどうなったんだろう?)
例の徳永の家紋をハンカチを完成させ、壱成に渡したがこれといった反応がない。
使っている様子は見たことがなかった。
(大事に仕舞われていることにしよう……)
捨てられているかはわからないが、それは乙女にとっては知らぬが花。
千影にすれば、取るに足らないものなので、どうだってよいが、そんなことは話せない。
壱成も喜んでいるようには見えないので、今は塚田に戻ったとき、照子へのプレゼント用に刺繍をするだけだ。
千影は最近暇つぶしに、語学を勉強している。
机に向かい文法書を読み漁り、言葉を学ぶ。
最初は隣国から、次は定住するのに向きそうな国へ、様々な語を頭に叩き込む。
それはもちろん、照子と海外に逃げるための準備だ。
女性が喜ぶ流行には疎いが、社会情勢には常に耳をそばだてている。
今のところ移住しようと思っているのは、山脈を超え、大草原を抜けた先にある蘭西利加だ。
気候も統国とそう変わらないし、水も綺麗な国で、安定している。
照子の身を考えると、一度に蘭西利加に向かうのは厳しい。休み休み、観光しながら行くのがいいだろう。
連れて行きたい場所がたくさんあって困るが、千影の表情は穏やかだ。
「真香さま、お茶はいかがですか?」
琴吹がお菓子と一緒にお茶を持って、部屋に入ってくる。
彼女は真香に言われて、様々な国の本を用意している。
熱心に勉強する千影をみて、実は焦っていた。
というのも、つい最近、真香の一日を報告した際に、彼女には他国に発った想い人がいるらしい、と壱成から聞いたからである。
(も、もしかして、その人と海外に?)
可哀想なことに、琴吹は壱成と千影の間に結ばれた契約を知らされていない。
風間が、彼女は壱成の婚約を心配していることを知っていたので、伏せておくことを提案したからだ。
「……真香さまは、どうして語学を?」
「いつか海外旅行に行きたいな、と思っていまして」
「それなら、壱成さまとのハネムーンは海外にされたら!」
「そうですね。とても素敵だと思います」
心を開いた琴吹はわかりやすすぎる。吹き出しそうになるのを堪えて、彼女が望む答えを出した。
「まぁ! それなら、こんな場所は知っていらっしゃいますか?」
嬉しそうに語り出す琴吹。
文字ばかりの本では語りきれないと、写真付きのほかの本も用意すると言い出した。
(それは叶わないけれどね)
申し訳ないが仕方ない。
照子と観光するのに、参考にさせてもらおう。
千影は任務でこっそり貯めておいたお金は、どこまで保つか考えながら、楽しそうな琴吹の話を聞いていた。
女性とは、恋愛に関する話になると、誰とでも話が弾む生き物なのだと思う。
「ね、真香ちゃん。あなたもそう思いません?」
「……ハハ。とても可愛らしいお方なのですね」
引きつりそうになる頬を、なんとか持ち上げて千影は笑う。
今は、盛岡洋子主催のお茶会の真っ最中である。
千影に同意を求めた女性は、北条佳苗。常人で、テレパシーを使える北条樹の奥様だ。
旦那の愚痴らしいが、惚気にしか聞こえないお話に、千影は胸焼けしそうだった。
「もう、佳苗さん。真香さんが困ってるでしょう?」
つい豊満な胸元に目がいってしまう彼女は、大山基子。自身が祓い人で、彼女に接吻をされた者は一時的に操られてしまう、という恐ろしくて魅惑的な能力の持ち主である。旦那さんはさぞ尻に敷かれていることであろう。確信がある。
「そーう? でも、あの人ったらいつもそんな感じで、息子にかまってばっかり。たまには私もかまってくれてもいいでしょう?」
「……樹さんも、はやく嘉人くんを一人前にしたいのよ」
「そうかしらね。あ、私、真香ちゃんの話が聞きたいわ〜! 若い子の恋愛なんて、想像するだけできゅんきゅんしちゃう! あれ? 真香ちゃんって、今年でいくつ?」
「二十一歳になります」
「やだぁ、若ーい!で、どうなの?」
(どうも、こうも、先月婚約破棄の日にちを決定しましたよ)
千影はこの日のために洗い出していた、それらしい話を喋り始める。
「壱成さまは、できるかぎり一緒に食事をとってくださいます。はじめての朝会ではさりげなく手をお貸しくださったし、先日は舞台のほうにも連れいっていただきました」
「きゃあー! すてき〜! ねぇ、洋子さん! この初々しい感じが最高なのよ!」
ひとりだけ異常にテンションが高い佳苗。
洋子や基子も興味がある様子で、じっとこちらを見つめている。
「壱成さんも気難しいところがあるけれど、根はすごく優しい子なのよ」
洋子は言う。
「彼、婚約破棄を繰り返していたから、心配していたの。前の子たちは常人だから、こうしてお茶をするわけにもいかなくて。でも、まさか塚田の娘さんと話せるとは思っていなかったわ」
基子はつり目で冷たい印象を与える顔立ちをしているが、彼女の言葉は重みがあって信頼できる。
「それは私もよ。常人だけれど、統国に住んでいれば塚田の名を知らない人なんていないわ」
洋子は表の世界のご令嬢だ。
彼女自身、デザイナーで注目を集める人である。そんな人にまで自分の存在が知られていたとは、さすが塚田の血。
全く嬉しくない。
「その、私あまり能力のことについては疎くて。真香ちゃんはどんな能力を?」
伏し目がちに佳苗が聞いた。
「治癒の能力を。大した力はありませんが……」
「そうなの。素敵な力だと思うわ〜」
「あ、真香さん。お茶のおかわりは?」
「ありがとうございます。いただきます」
佳苗は世辞の言葉を言って、洋子がすぐに話題を変える。本来、女性にスリーサイズを聞くくらい、能力の話は控えられている。
自分から話す分には問題ないらしいが、なかには基子のように人に話し辛い能力だって存在しているからだ。
千影は自分より年上の夫人たちに囲まれて、紅茶を味わった。いつもより舌が肥えた気分である。
「真香ちゃんは、徳永くんのことをどう思ってるの?」
「え……」
「もちろん、ここでの話は女だけの秘密よ」
佳苗はウインクを飛ばす。
一番答えに悩む質問だ。
「家同士の婚約でしょう。最初はみんな戸惑うものよ」
洋子がフォローを入れてくれるが、壱成との関係は上手くいってはいる。しかしそれは恋愛とは程遠く、彼女たちが想像しているようなものではない。
「……とても親切にしていただいています。でも、その、好きかどうかはわからなくて」
うんうん、と佳苗が頷く。
「私も婚約したときは、彼とはなにか壁のようなものを感じて、なかなか踏み込んで行けなかったわ。今だからわかるけれど、樹さんは能力のことを気にしていたみたいで、心を開くのに戸惑っていたみたい」
「その点では、あなたたちは祓い人同士だから、気が楽ね」
「はい」
基子に素直に返事をする。
でもそれは暗に自分たちとは違うんだと一線を引かれたような気がした。
「壱成さんは軍人で、秘密も抱えなくちゃいけない人だから、真香さんも気になるところがあるかもしれないけれど、あまり気を負わず接してあげて」
「……壱成さまは、昔から盛岡さんと付き合いが?」
朝会のときもそうだが、彼らと壱成の距離は近い。気になった千影は探りを入れる。
「ええ。盛岡と徳永は交流があって、源一郎さんにとって壱成さんは弟みたいなものだそうよ」
「そうでしたか。小さい頃の壱成さまのことも知っていらっしゃるのでしょう」
「前に写真を見せてもらったことがあるけれど、無邪気な好青年って感じの子だったわよ。あの写真あるかしら?」
洋子は離れて待機していたメイドを呼ぶ。
「わざわざすみません」
「いいのよ。壱成さんにはそろそろ身を固めて欲しいと思っているの。お節介かもしれないけれど、ふたりが上手くいくように私たちも手を貸すわ」
「それは心強いです」
図らずも外堀が埋められようとしているが、千影には人ごとのようにしか思えない。
口を出すとすれば、これは家が決めた結婚で、恋愛感情なんて二の次に考えればいい話。そして結婚させたいのなら、破棄してくる壱成のほうに当たって欲しい。真香が手を尽くそうが、壱成の考えが変わらないなら、無駄骨に終わるだけだ。
(まぁ、彼女たちに壱成さまを説得させるのは、違うよな)
極論、千影は照子さえ一緒に暮らせれば、結婚しようがしまいが関係ない。
今のところ結婚しないほうに壱成の考えが傾いているのでその方針でいるが、仮に婚約破棄がなくなった場合、次は照子をここに呼ぶ準備をする。
どちらがいいかと聞かれれば、婚約破棄されて、照子を連れて塚田から離れられるのがベストだ。
「奥様。お持ちしました」
「ありがとう」
しばらくして。メイドがアルバムを手に現れる。
てっきり、写真を二、三枚持ってくるくらいかと思っていた千影は少し目を張るが、大人しくそれが開かれるのを待つ。
洋子が硬い紙を弧を描きながらゆっくりめくる。
「そうそう、これ。壱成さんよ」
指さされた写真を千影は覗き込む。
「きゃー! かわいい!」
隣で佳苗が声をあげるが、彼女は静かにその写真を見つめた。
十歳くらいだろうか。壱成は和服に身を包み、無邪気で爽やかな少年の笑みを浮かべている。髪は今より長く顔は幼いが、その容姿にはすでに光るものがあった。
なにこれ、うちの子に欲しい! と佳苗が騒いでいる声は右から左に通り抜ける。
千影は、幼き壱成と一緒に写る、彼の母親に目を奪われていた。
(綺麗な人)
壱成の母親は常人。
透き通るような白い肌に、凛とした大きな瞳。
目元が壱成とそっくりだ。
「蘭さんよ」
視線に気がついた基子が名前を教えてくれる。
まぁ、千影が婚約者の母親の名前を知らないわけがない。
「彼女が……。とても綺麗な方だったんですね」
徳永蘭 は十五年前に亡くなっている。
同じ時に撮られたとわかるそのページの写真を、千影はしみじみとみた。
徳永と婚約を結ぶことになり、できる限り情報を集めた彼女には、この写真たちに思うところがある。
徳永蘭は、神谷家のお嬢様だった。
いわゆる石油王の娘で、それはそれは権力のあるお家の次女。
徳永勝之助、つまり壱成の父親に一目惚れした彼女は、それは微笑ましい(?)努力を以って英明にラブコール。
さすがに石油王の娘相手は荷が重いと、勝之助も最初は丁寧に断りを入れていたが、それくらいではへこたれないお嬢様だった。
親が気になるのならば。と、いきなり家を出て一人暮らしを始めようとするし、どこから話を聞きつけたのか、勝之助を追いかけて夜の街を巡ろうとしたり。
要するに、恋に踊るお転婆お嬢様であった。
最終的に長期間に及ぶ恋の(一方的な)駆け引きに勝之助が折れて、ふたりは結婚し、子供も授かった。
が、幸せはそう長くは続かず。
壱成が十一歳、弟の貴之が七歳になるとき。
蘭は病気で亡くなった。
突然のことだった。
天真爛漫な彼女は、二度と帰らぬ人となった。
(たしか、くも膜下出血だった……)
千影の目が細くなる。
「これ以上は壱成さん本人から聞くべきね」
洋子は微笑んでアルバムを閉じた。
千影は顔には出さないものの、ハッとする。
(写真に集中しすぎた)
重い空気の波が来そうで、彼女は場を盛り上げねばと口を開く。
「写真を見せていただき、ありがとうございました」
「いいのよ。でもそうね。壱成さんにはナイショよ?」
千影は頷く。
「ふたりが結婚したら、ぜったい、すごく可愛い子が生まれるわ!」
佳苗がにっこり笑う。
彼女の動作には全くもって屈託が感じられない。素直で正直なところは、佳苗の短所であり長所なのだろう。テレパシーを使える北条樹に選ばれるのもよくわかる。
「そうですか?」
千影もつられて笑う。
佳苗は樹の愚痴は言うものの、幸せな生活を送っているに違いない——。
和やかな茶会は、陽が傾くのとともに終わりを迎える。
「真香さん。困ったときは遠慮なく相談してくださいね」
「はい。今日はお招きありがとうございました。とても楽しかったです」
洋子に挨拶を済ませて、一足先に千影は琴吹と一緒に屋敷に帰る。
その後ろ姿を、基子が心配そうに見つめていた。
「はやく想いに気がつかないと、私たちに残された時間は短いのよ……」
その呟きが千影に届くことはなかった。