仕事
壱成は喫茶店ルノアールを出て、統国軍の本部に向かう。
薄暗い店内から出ると、陽射しが眩しい。
爽やかな風が前髪を攫っていった。
彼は近くの電停から路面電車に乗った。
煉瓦造りの建物が林立する中を車を横目に通り抜けると、急に視界が開ける。
本部は栄えた真環郡の中でも、重要機関を置くために国が有する土地に建てられている。
まるで要塞の如くそびえ立つ本部が姿を現した手前、彼はがらんと人気がなくなった路面電車から降りた。
いつもなら、特殊部隊の誰かと顔を合わせたりするのだが、その日は吾妻と会った為か時間が外れたようだ。
広い建物を迷いなく突き進み、特殊部隊の根城に足を踏み入れる。
「おはようございます、大尉」
昼過ぎだが、朝の挨拶をするのはこの隊特有の文化。
悪霊が出る夜を避け、希望の太陽が昇る朝を意識してのことだ。
「おはよう。昨日は悪かった、榎本」
仕事熱心で信頼を寄せる自身の副官、榎本歩 に返事をした。
「問題ないです。むしろ、隊士たちの育成を考えると、これからは彼らだけで祓うのが良いかと」
壱成は自分の机に荷物を置きながら、眉間に皺を寄せる。
「ただでさえ、祓い人は数が少ない。大佐ですら週に一度祓いをしているんだ。俺が出ないわけにはいかないだろ」
「もちろん、大尉に祓いに出るなと言っているわけではありませんよ。能力者の人口が減っている以上、急に隊士を増やすなんてことはできません。それならば、質を上げるしかないでしょう。動員を減らせば負担は大きくなりますが、その分休みを与えられる。案外、夜休みが欲しいという隊士は多いんですよ?」
「……夜動くのは、祓い人の運命だ」
「まぁ、そう言わず。能力を隠して交際しなくてはいけないものたちは、夜仕事をしているってだけで女性に逢い引きを疑われてしまうんですよ? このご時世、仮にこの部隊について公言したとしても、『蓮教』の狂信者か、単に酒に溺れて頭がおかしくなったやつ、……つまりは、変人の戯言だとしか取られません。
それなのに、相手が一般人であった場合、能力者だということを性交をする前には恋人に明かしておかなくてはいけない、なんて掟があるんですから、結婚率の低迷にも響いてくるんですよ。能力者は多産少死なので、なんとか今の状況を保てていますが、このままでは万が一何かあったとき困ります。
ということで、能力者減少対策のためにも、夜警の人数を減らすことを前向きに検討していただきたいです」
饒舌には辛辣な言葉も混ざるが、この優秀な副官には舌を巻く。榎本はこうして唐突に盲点を突いてくる。
彼の言うことは正しい。実際その通りである。
能力者の人口は減少傾向。
それは、悪霊なんてものが御伽草子のなかだけ登場するものだと思われるようになった今、「祓い」という仕事が理解してもらえないため、一般人——祓い人は彼らを「常人」と呼ぶ——との結婚が敬遠されるようになった。
先ほど榎本の話にもあったように、能力者は性別関係なく多産少死になりやすい。
これは能力者の医療を担っている塚田家が数十年前に発表していることだ。
それならば、能力者同士の結婚を進めれば何も問題はないのではないか、と考えるところだが、それこそが祓い人を悩ませる問題を孕んでいる。
祓い人同士の血が混ざり濃くなると、ただでさえ常人より短い寿命が、さらに短くなってしまうのだ。
能力は両親のものをふたつ受け継ぐことができるのだが、その代償に身体が弱かったり、五十まで生きられるかわからなくなったりする。
よって、 “ふたつ持ち” の子は能力者と交わってはいけないという決まりがある。
原因は解明されていないが、ふたつ持ちと常人の間に生まれる子は不思議と片方の能力しか受け継がず、健康や寿命に影響が出ない。
彼らにはこうした掟が、いくつも存在している。
稀にそれを破るものが現れるが、破って後悔するのは本人。
これはあくまでも、祓い人を守るための掟なのだ。
壱成と千影が婚約できたのも、偶然にもその条件を満たしていたから。
運が良いのだか、悪いのだか。判断はしかねるが、もし攻撃に特化した徳永と治癒能力をもつ塚田の血が混ざれば、その子どもは注目されること間違いなし。
壱成がまた婚約破棄するという可能性が大きすぎて、皆はそれをあまり口にしないようにしているが、能力者たちは少しの期待を彼らに向けていたりもする。
「こういうことは上が率先して牽引しなくては」
「……考えておく」
榎本は壱成より若いが、すでに結婚してついこの間には第一子を授かっている。
壱成は渋い顔で頷いた。
机の上に山積みにされた資料をとり、仕事を始める。
統国には祓い人たちが各地にある五つの支部に置かれている。
その支部からの報告書が定期的に本部に送られてくるのだが、その内容というのは常人からすれば、まるで子どもの虚言にしかとれないものである。
鬼火やら、大蛇やら……化け物をみた等の目撃証言がそれは事細かに記載されている。
どれひとつとっても、祓い人たちにしたら重要な情報だ。
常人に目撃されるレベルにまで悪霊が成長しているものは、警戒しなくてはならない。いつ奴らが実体化してもおかしくない状況だからだ。
巡回で数を減らしてはいるが、力をもった悪霊はそう簡単に姿を現さない。
(……動く市松人形)
壱成は第二支部から送られてきた報告書に手を止めた。
(「依り代もち」は面倒だ。早く回収してもらわないとな)
危険度が高いものをまとめた箱に資料を移す。
ある程度その箱が溜まると榎本が引き取って連絡に回る。
「市松人形。これは骨が折れそうですね」
彼も気になったようで、壱成にも聞こえる声で独り言ちた。
「思い出のものだから渡せない、ですか。一番そういうのが危ないっていうのに」
名家が所有する市松人形が動いている、と寺の住職にそこの息子が真っ青な顔で乗り込んで来たそうだが、肝心の人形はその家の女主人が誰にも渡そうとしない。
この国では「蓮教」という宗教が主に信仰されている。寺に訪れ身を清めると悪霊を除ける、というのが一般的に知られていることだが、それは祓い人たちの隠れ蓑にもなっている。
「祓いに彼女を同席させることは難しいですからね。どうするんです、これ?」
最終的に自分に問いかけてきた榎本に、壱成は視線をあげる。
憑代もちの悪霊は、実体化とはまた別口。霊を引き剥がす作業がいる。
本体を払わなければ、また憑代を変えて動いてしまうのだ。
実体化無しに憑代を操られるので、こういう類の悪霊はタチが悪い。
いつ人に害を成すか予測がつかないのだ。
「第二支部には馬場中佐がいる。こちらが手を出さなくても問題ない。許可書を用意してくれ」
「ああ、なるほど」
榎本はすぐに行動に移る。
部屋を出て行ったかと思えば、すぐに書類をもって帰ってきた。
「常人への能力使用許可書、もらってきました」
壱成はそれを受け取ると、判子を押す。
「速達で」
「承知しました」
榎本は書類をたたむと封筒に入れて、また部屋を出て行く。
馬場文哉中佐は他人の視線を操ることができる能力をもっている。
今回はそれを利用して、穏便に祓いを済ませてもらう予定だ。
他人に干渉することができる能力者たちは、軍の規定上、任務では許可がないと人相手には能力を使ってはならない。
こうした祓い人たちは皆、グレーリストの該当者なのだ。年に一度は必ず嘘発見器にかけられ「人を殺していないか」「私利私欲のため、無理やり人を操っていないか」といった犯罪を犯していないか質問をされる。
そこで万が一、能力を使って悪さをしたことがわかれば、人知れず処罰される。
その取り締まりをしているのが、この本部にある特殊部隊の役目だったりした。
世知辛い世の中だ。
好きでもった能力ではないのに、何もせずとも疑いの目を向けられ、また向けなくてはならない。
しかしそうした柵の中、悪霊祓いの一族たちは裏で支え合って生きている。同族に対して強い絆を感じ、きょうだいと見做す人々も多い。
馬場は数年前までこの本部に勤務していた壱成の上司だ。
彼も部下思いの人望ある人で、面倒見もよく、きょうだいたちの世話を焼いていた。
実は、一人目の婚約者を壱成と引き合わせたのも馬場だ。
知り合いの娘にいい子がいるから、ぜひ会ってみろ、と言われて渋々壱成は彼女と会い、流れのまま婚約を結んだ過去がある。
彼は今、第二支部長として、統国の西側を管轄している。
そこで扉を叩く音がして、壱成は懐かしい思い出から覚めた。
「陽光の鈴村です」
その声を聞き、一瞬で表情を変える。
「陽光」とは常人の組織につけられる語で、逆に祓い人の組織には「月光」を用いる。陽光で対処しきれない事件は、こちらに渡されるのだ。
入室の許可を出し、入ってきたのは垂れ目に涙ぼくろを携え、甘い顔立ちで美形の男。
(……鈴村喜助)
彼はこうして陽光と月光の間を行き来する役を与えられている。
壱成は一ヶ月ぶりくらいにみた喜助を、じっと見つめた。
「一昨日より、笹森郡半田町に住む少女が行方不明になった事件の資料です」
薄っぺらい笑みを浮かべる喜助から資料を受け取り、目を通す。
(神隠しか……)
子供の行方不明事件は、悪霊が関わっている率が高い。幼い子供は常人でも悪霊をみることができる子が少なくないからだ。
「こちらから数人派遣する。陽光はあまり深追いしないようにと」
「わかりました。伝えておきます」
いつもなら必要事項を話して、すぐに退出する喜助だが、その日は違った。
「私ごとですが、今週で退役することになりました。次からは他の者が連絡に来ると思いますがよろしくお願いします。徳永先輩と少しでも仕事が出来て嬉しかったです。お世話になりました」
喜助は統国大学に通っていたときの後輩だ。同じ学部学科で、顔を合わせることが多く、壱成に懐いていた。
(退役だと?)
まだ喜助は25歳。寿命が長い常人の中では、これからが期待される年齢だ。
「これ、よろしければ婚約者の方と一緒に」
チケットが入っていると思われる封筒を渡され、壱成は困惑した。
中を開いて券を確認し、絶句する。
『鬼と鬼』
主演——鈴村喜助……
「軍役が終わってから、軍人として国に身を捧げるかずっと迷っていたのですが、やはり私は演じることが好きなようで」
(訳がわからない……)
この男が考えていることが、全くわからない。でも、それが良い考えだけではないということだけは、察することができる。
「是非いらしてくださいね」
目を三日月のように細めて笑う喜助。
壱成には、ぞくりと背筋に冷気が走った。
喜助が部屋を出て行き、手元には舞台のチケットが残る。
「変わってますね、彼」
榎本の声は右から左に抜けていく。
壱成はつい先ほど別れた吾妻を思い出す。
彼がこの情報を知らなかったとなると、かなり慎重に準備がされていた筈だ。
(何を考えてる?)
しばらく壱成は何も仕事が手に付かなかった。あの男が何をしようとしているのか、考えたって雲をつかむようだ。
(吾妻と話した方がよさそうだ)
仕事に支障は出せない。
壱成は一息ついてから、書類に向き合った。