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これは正しい婚約破棄  作者: 冬瀬
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婚約




——面倒なことになった。


千影(ちかげ)は鳥のくちばしの上のほうだけを模ったような面の下に、呆れた表情を隠した。

彼女の憂鬱な思考を紛らわせてくれようとしているのか、張り替えたばかりの畳は、い草の匂いが強く香る。

しかし残念ながら状況は何も変わらず、目の前には血の繋がりをもった実の父が、それは苦渋の決断をしましたと伝えんばかりの顔で、彼女を見下していた。


「わかったな」


「かしこまりました」


淡白な返事を返すと、千影は跪いた姿勢から着物を全く乱さず立ち上がり、無駄のない体捌きでその場を後にしようとする。


「——もし、しくじった事をすれば、照子(てるこ)の命は無いと思え」


立ち去る背中にぶつけられたのは、脅しの言葉。千影は振り返ることはしなかった。


彼と視線を合わせないように襖を閉じて長い廊下を歩き、侍女たちが慌ただしく働く横を過ぎ、人気がなくなったのを確認してフゥと息をつく。


(照子さんの名前を挙げれば、私がおとなしく従うと思っていることに腹が立つな)


実際その通りなので、千影はぐっと歯をくいしばると、離れに用意された自分の住処に向かう。


「照子さん、今戻りました」

「おかえりなさい。正太郎さまはなんと?」


今年で六十五にもなろう老女だが、照子は持病も感じさせず背中を真っ直ぐに、厳しい表情で千影を見つめた。


「真香さまの代わりを私が務めることになり、徳永家のご当主との婚約が決まりました」


照子は恐れていたことが起きたと、真っ青になる。


「千影……」


「大丈夫ですよ。今回も上手くやります。照子さんとは会う機会が極端に減ってしまいますが、死にに行くわけではありません。今までと比べれば、どうってことのない仕事ですよ」


千影は目元を緩めるが、内心では不安もあった。照子はそんな千影の心を察したのか、立ち上がると手を伸ばして彼女のつけていた面をそっと取り外す。

そこから現れたのは、綺麗に整った顔。

一週間前に死んだ、“塚田家の箱入り娘” —真香(まなか)と全く同じ顔だった。


照子はぎゅっと千影を抱きしめる。


「あなたがわたしの本当の娘なら良かった……」


千影も幾度となく同じことを思ったが、この顔と身体に流れる血は、どうにも変えることはできなかった。

所詮、自分も塚田家の一員。真香と共に双子として生まれたのが運の落ち。


悪霊はびこるこの世で、奴らを祓うことを使命とした一族のひとつである塚田家。

正太郎と芙美子の間に生まれたのは、真香と、その姉。姉の彼女に名前は与えられなかった。

家の教訓からより長く子宮にいた真香を、両親はそれはそれは大事に育て、真香の姉は「影」と呼び、彼女は一族の裏の仕事をこなさせる為に生かされた。

真香が嫌がることは、代わりに影がこなす。

それが当たり前のお家だった。


影の世話をすることになったのが、照子で、彼女は影に名前を与えた。


「千影。わたしのことは気にしなくていい。できることならば、自分が安全で、心安らげるような未来の為の選択をしなさい」


「……善処します」


言葉ではそう言ったものの、千影は自分が照子を長らくここに縛り付けているのだという自覚があったため、それはできないと思う。


「まさか、真香さまがお亡くなりになるとは」


彼女が生きていれば、こんなことにはならなかったのにと、照子は暗に言っていた。

千影は黙って、先週の出来事を思い出す。


その日、千影は大嫌いな医者、いや、研究者の元で治療を受けた。

身体に投与されるのは、悪霊祓いの一族たちがもつ特殊な能力を活性化し、かつ短命な寿命をも伸ばすという、夢のような薬。

この実験は、医療に優れた塚田家が極秘で進めているもので、千影はその餌食になった。どうやら能力者は、一般人にはない特殊な細胞をもっているそうだ。その細胞がもつ寿命に関与する力だけ取り除く研究が、千影の体を以って行われた。千影は五歳くらいのときには身体を隅々まで調べられ、そこそこ身体が成長すると、次は怪しい薬を打たれ続けた。ひどい時では、身体が薬を受け付けず、失神したこともあった。


そして遂にその薬の完成間近に、千影の身体で最終試験がなされ、何も異常が出ないことが確認された。

能力者が比較的短命であることが、覆される時が来たのだ。この薬の完成で、塚田家が能力社会で力を握るのは火を見るよりも明らかだった。


完成した薬は「幻薬(げんやく)」と名付けられ、塚田家に愛された真香に完成品第一号が献上された。


そして、両親に見守られる中、まるで不老不死の薬を手にし、その魅力に取り憑かれてしまったような、うっとりとした顔つきで、真香は腕に刺さった針を見つめた。


彼女は数十秒後、身体をガタガタを震わせたかと思えば泡を吹いて倒れ、そのまま息を引き取った。



千影が嫌いな研究者はその場で首を切り落とされ、正太郎と芙美子は屋敷の中で狂ったように怒鳴り散らす。流石の千影も言葉を失ったが、真香を、正太郎を、芙美子を、家族と思ったことは人生で一度も無いので、涙は一粒さえ流れなかった。


「このヤブ医者が!! 最初から我々を騙すつもりだったのだな! 影!! 始末をしておけ!!」


「御意」


千影は素早く後始末を終え、ヤブ医者の研究室にも手をかける。

千影はこっそり記録簿を持ち出した。

当分の間、正気ではない正太郎が研究室に手を出すことはしないだろう。


真香が勉強嫌いなお陰で、千影が代わりに(厳しい)教育を受けることになったので、書類を見ればヤブ医者が何をしていたのか理解できた。そして、彼が本物の天才だったということも。


ただ、彼は、実験台が双子の片割れということで、身体的特徴が同じだと高をくくってしまった。何年も千影が投薬されて、強い効能に免疫がついていたという可能性を考える事なしに。

人体実験ばかりして、マウスでの確認を怠ったのもひとつの原因だろう。


(ご苦労さま)


千影はヤブ医者に墓とも言えぬ粗末な墓を作り、手を合わせた。彼は変人で、嫌いでもあったが、このような終わり方を迎えて、さぞ悔しかっただろう。実験は確実に成功に向かっていたのだから。

塚田家の被害者だと思えば、可哀想だと憐れむ心が生まれた。それまで自分を苦しめてきた張本人だとしても。




「千影?」


照子に名前を呼ばれ、千影は我にかえる。


「少し考え事を……。真香としてやっていくことに、最早不安はありませんが、相手が相手ですから」


話を切り替え、千影はこれからのことを考える。一人娘の真香が死んだことを公にしない選択をした正太郎は、その代わりに千影に真香のふりをさせる訳だが、彼らが千影を愛することは無い。そこで彼女に婚約を受けさせれば、邪魔者は他所へ行くし、その相手は能力界きっての有力一族である徳永家。一石二鳥というわけだ。

その成り行きはいい。理解できる。

だが、問題は、婚約相手の徳永(とくなが)壱成(いっせい)だ。


徳永家は悪霊祓いの中で、もっとも武功を挙げている一族で、ひとりでも雇えれば、一帯の悪霊は一晩のうちに全て消え去ると言われる。

そして、その一族の長子である壱成は、歴代最強が疑われるほどの力の持ち主だ。


今年で26と、祓い人の寿命からしてそろそろ身を固めても良い年頃だが、彼は未だに妻をもたない。今まで何度も縁談は持ち上がったが、上手くいったことは無いそうだ。

この話を聞いた時、千影は「さすが徳永家の御坊ちゃま、好き放題だ」などと考えていたが、今回ばかりは呑気に構えていられない。


正太郎も、本気で “千影” が婚約破棄常連の徳永に相手をされるとは思っていないだろうが、真香の顔に泥を塗るようなことをすれば、黙っていないだろう。最愛の娘を失い、情緒不安定な彼らが何に逆上するか定かでない。失敗したら駄目、かと言って、上手く行き過ぎても駄目だろう。


「……さすがに婚約した経験はありません。上手くできなくて、照子さんに迷惑をかけるかもしれない」


夜は悪霊祓いに、暗部の仕事。朝昼は、任務や真香の警護、もしくは真香の代わり。

慣れた暮らしでは、そこそこ上手く立ち回れるようになったが、これからは未知の領域だ。

久しぶりに千影は緊張していた。

自分の肩には、ほぼ軟禁状態である照子の命がかかっている。


「わたしも昔は暗部にいた女よ。多少のことなら何とかなる。あまり気を負わずに、婚約を楽しんできなさい」


もしかしたら、彼がこの状況を変えてくれるかもしれない、と喉まで出かかった言葉を照子は飲み込んだ。シワの増えた手を擦り合わせる。千影が誰かに頼る事を好まないのを知っていた。


「ハハ、頑張ります。できそうだったら、手紙を出しますね」


「ええ。楽しみにしてる」


決まってしまったことは、ここにいる二人にはどうにもできないことだ。少しでも明るくいるために、千影と照子は笑い合う。

今までもそうやって、ふたりは困難を乗り越えてきた。


「ねぇ、千影」

「はい」


照子は柔らかな表情で千影を呼ぶ。


「恋愛って、思うようにいかない事ばかり。それもそうよね、他人の心は本人以外に知る由もないわ。時には悩むこともあると思う。でもひとつ言えるのは、自分を愛せない人に、他人は愛せない。覚えておくといいわ」


千影は頷いたが、恋愛などしたことがない身だ。いまいちピンと来なかった。

それがわかった照子は、秘密を隠す子供のように、楽しそうにフフと笑う。


「徳永家のご子息は妻を持ちたがらないようだから、わたしは毎日、首が飛ばないように祈っておくわ」


笑えない冗談を投下され、千影は頬を引きつらせる。

千影は今、二十歳。これから大半の人生を真香として外で活動することになるだろう。その間、正太郎は照子を殺しはしないと思いたい。


「あら。もうこんな時間。千影、準備を」


格子の外はすっかり暗くなっていた。

千影は照子が用意してくれていた軽食を食べると、面をつけ直し、くすんだ青の着物から黒い装束に着替えた。背中に黒い刃の刀を装備し、身体のあちこちには武器を仕込んでいる。


「今日は “祓い” と、“消し” の両方?」


照子の問いに、千影はコクリと頷く。

「祓い」は、悪霊討伐を。「消し」は暗殺を意味した。


「いってきます」


彼女はそれだけ述べると、「消し」の標的の確認から任務を開始した。





彼女の目、耳、鼻は遥か先の情報を拾う。長年鍛えられた肉体は、薬の影響もあり、硬質化など、人並み外れた能力を習得していた。


悪霊祓いの一族たち、通称・祓い人には、悪霊を捉える特別な眼力と、悪霊に触れることができる能力が備わっている。これは皆生まれ持つ能力で、加えて一族によって特殊な能力が存在する。

塚田は、回復力の速さが優れた一族で、多少の傷はすぐに治る。

徳永は「青炎」の使い手。その仕組みは一体どういったものか、公になっていないが、その名の通り青い炎を操り悪霊を祓う。

千影も一度だけ、夜の仕事の最中に徳永の技を目にしたことがあった。彼は刀に青い炎を纏わせ、力強い剣筋で悪霊を討伐していた。

人に害はない炎らしいが、その時千影の脳では「近づくな」と警鐘が鳴っていた。



(ここでいいか……)


配置についた千影は、息を潜めて時を待つ。予め用意しておいた特殊な吹き矢に口をつけ、男の首筋を狙ってひと吹き。細く鋭い息で押し出された針は、人の目では追えないほどの速さだった。

針に塗っておいた毒は猛毒だ。男はその場で卒倒した。


次に千影は祓いの仕事に移る。

小さなものから大きなものまで、塚田家の縄張りにいる悪霊は容赦なく黒刀で叩き斬る。一週間に一度は祓いをしなくては、悪霊たちは湧いてくるばかりだ。


(こんなものか)


大体悪霊を祓い終えた千影は屋敷に戻る。

離れから薄っすら灯が溢れている。ランプの火が揺れて、彼女を迎えた。

照子はすでに寝ていた。


「ただいま帰りました」


小声でそう言いながら、千影は照子の身に何の異変も無いことを確認する。これは無意識の習慣だった。


何事もなく無事に今日が終わった。


千影は少しだけ気を緩めると、水で身体を簡単に清め、明日に備えて就寝した。







お読みいただきありがとうございます!

ツッコミどころはあると思いますが、温かい目で見守っていただけると幸いです……。

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