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第31話 「 Pain come over in her 」



 ステージの袖の客席から見えない場所で、明日香は出番を静かに待っていた。


 明日香の直前の出演バンドの演奏がもうすぐ終わる。次はいよいよ自分の番だ。


 目を(つむ)り両手を胸の前で組み合わせ、大丈夫だと自分に言い聞かせる。


 客席から大きな声援が巻き起こる。


「お次の方、ステージの上に進んでください」


 イベントスタッフの声が明日香にかけられる。


 さぁ、いよいよだ。


_______________________


 ステージの中心まで進んだ明日香が見たのは、これまで見たこともない想像以上の光景だった。


 客席を埋め尽くすオーディエンス。客席には照明がほとんど点いておらず、薄闇ではあるが、全員がステージ上にただ1人立つ明日香を注視しているのが分かる。


 明日香が立つステージは、(まばゆ)く照らされたスポットライトが明日香だけを暗闇に浮かび上がらせている。


 ほんの一瞬、何で自分はここにいるんだろうとか、何をすればいいんだっけとか、真っ白な頭で考えたがすぐに頭を振って気を取り直した。


 マイクスタンドに寄って頭の高さで固定されたダイナミックマイク(SM58)に向かって歌声をゆっくりと解き放つ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 弦輝を送り出した聖は、その足でフェスの会場へ入った。


 数組のバンドが演奏し終わった後、1人の少女がステージ袖から出てきた。


 単独でエントリーしているだろう少女は、1本のギターだけを肩から提げている。


 かつて聖の父が売却したフェンダーカスタムショップ製のテレキャスター。


 水瀬明日香だ。


 聖の幼馴染である不夜城弦輝がギターを教えているという少女。


(ほんと、可愛い子だなぁ)


 と聖は、羨望とも感服ともつかぬ溜め息をついた。


 聖の知人友人には美形が多いが、抜きん出ているのはレイラと今は亡き天野清音である。


 レイラのハリウッド女優のごとき華美さでもなく、清音の白百合の如き優美さもないが、明日香はその2人に匹敵する美貌を持っており、それが弦輝の近くにいることに言い知れぬ不安を覚える。


 観客も明日香の美しさに息を飲み、わずかにあったざわめきが、水を打ったように静まりかえる。 


 たまゆら、呆然とした面持ちで立ち尽くしていた明日香だが、軽く頭を振った後、やおら歌声を紡ぎ出した。


 何本もの絹をより合わせたような声は、無伴奏でも必要にして充分な存在感をもって聖に―――いや、オーディエンスのみならず、フェスのイベントスタッフ含め会場中の聴衆に衝撃を与えた。


 息継ぎ(ブレス)や抑揚などの技術は未熟さを感じさせるが、そんな些事を物ともせず、フォローして余りある圧倒的なカリスマ性を彼女の歌声は持っていたのだ。


 次第に彼女のテレキャスターが柔らかな残響(リバーブ)と共に分散和音(アルペジオ)を奏で、明日香の歌声を彩っていた。


 一般的に引き語りの形態(スタイル)ではアコースティックギターが使われることが多い。しかし非電気装置式楽器であるため基本的に音色は変化しない。


 だがエレキギターならばエフェクターやアンプを使って音色を無限に変化させられる。


 現に今、明日香は足元のペダル・エフェクトを使ってギターの音色にさらなる変化―――遅滞(ディレイ)音―――を加えた。


 それにより明日香の歌う曲は、アコースティックでは成し得ない世界観を創り出していた。 


(これはゲンの入れ知恵だよね、絶対)


 聖はそう思った。


 なぜならは明日香が使っているエフェクターは弦輝が使っている物と全く同じものだったからだ。


 明日香が歌っているのは、ミディアム・テンポの明るい曲だ。


 真夏の太陽のようなギラギラした煌めきではなく、萌え出ずる五月の新緑を撫でる風を思わせる爽やかさが聖の心を吹き抜けた。


 1曲目が終わり、一息ほどの静寂を挟んで大きな喝采が上がった。


 ステージ上の少女はオーディエンスのその反応に多少面食らったようだが、すぐに微笑を浮かべて語り出した。


『こんにちは、皆さん。私、アスカって言います。こんな大きなステージ、大勢の人の前で歌うのは初めてですごく緊張してます。

 いま歌った曲は、私の大切な友達が作った曲です。今日……本当はその友達と一緒にこのステージに立つ予定でした。でも、彼女はいま病院のベッドで意識もなく、ずっと眠り続けています。彼女は事故に遭いました。その原因は私にあります。私は彼女にお詫びをしたい、大切な友達なんだよって伝えたい。そのために曲を作ろうと思っていました。けれど、私にはもう一人―――亡くなった母のためにも曲を創りたいと思っていました。

 このステージで歌える曲は後1曲。どちらのために作るのかすごく悩みました。悩みすぎて、もうやめようかと思った時もありました。

 でもそんな時、ある人が私に言ってくれました。―――「何で、どちらかのことしか歌っちゃいけないんだ?」って。それを聞いた時、私、なんだか羽が生えたような、心が軽くなったような気がしたんです。そしたら今まで私が悩んでたこととか、自分の嫌なとこ、ダメなとこ、逆に良いところや好きなとこ、周りの人のこととか、今まで見えてなかったことが見えてきました。今から歌うのは、そんな私が大切な人たちのために作った曲です。


 聴いてください―――《リトル・ウイング》』


 MCが終わると同時に明日香は歌いだした。


 枯葉が舞う秋空のうら寂しさを明日香の歌は運んできた。


 ほんの少しのすれ違いで傷つけ、後悔したこと。そう言った内容から歌詞は始まっていた。


 聖は似たようなことが弦輝ともあったなと回想した。


 だが、その回想はすぐに中断することとなる。


 ステージ上で明日香が苦しみ出したからだ。


―――ついに始まった。


 聖は固唾を飲んだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


『リトル・ウイング』の歌いだしは、我ながら快調だったと、明日香は歌いながら思った。


 この曲は杏の、母への―――そして、弦輝への想いを込めて作った。歌に込める熱も一入(ひとしお)に強くなってしまう。


  Aメロを歌い終わった時、異変は訪れた。


 ドクン。


 全身を襲う強烈な痛み、そして徐々に広がっていく倦怠感。


 ()()だ。ついに始まってしまったのだ。


 いつかこの時が来ることは判りきっていた。


 けれど、よりにもよってこのタイミングで―――。


 一瞬、明日香の視界がぐにゃりと歪み、気付いた時には体が崩れ落ちかけていた。


 とっさに堪え、片膝をつくにとどめる。


 突然の事態にざわつく会場。


―――今はまだ、倒れられない。

 

 朦朧とし出した意識を手放すまいと、明日香は己を必死に鼓舞した。





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