第1話 ヒロイン誕生&目立てない vsモグラ
「いくら当直だからって、こんな深夜に駆り出されるような案件か?テレビドラマじゃあるまいし、私は公務員なんだよ!」
ここは北関東奥地の大倉山へと向かう山間道路。”特殊災害対策庁”とスライドドアに控えめにマーキングされた白のタウンエースをぼやきながら一人運転するのは、災害が起こるたびに政治家たちがこれ見よがしに着ているいわゆる防災服に身を包んだ名取仁子、同庁異変調査、災害処理班のメンバーである。特殊災害対策庁は仁子の出身母体である国土交通省と防衛省が共同運営する政府機関で、今からざっと50年前、日本に巨大怪獣や異星人が次々襲来した際、それらの脅威に対した(といってもそのほとんどを退けたのは、やはり異星人のウルトラマンだったが)世界的地球防衛組織科学特捜隊を前身としている。その後人外脅威の出来もごく稀となり、特別組織科特隊は解散し、大幅に要員を減らして通常省庁の管轄下で、特殊災害の事前察知、脅威発生時の武力排除、被害確認、復旧支援の任にあたっている。予算逼迫、省人化の折、同庁は全国津々浦々に震度計、監視カメラ他現代科学の先端技術を駆使したセンサー網を張り巡らして、地震や風水害とは異なる異常の有無を常時リサーチしていて、それらセンサーが先週来ここ大倉山山中で地震とは異なる震動波形を感知し始め、今夜それが5度目のアラートを発するに至り、現地調査のため仁子が単身車上の人となったのである。
「わ、私が行くんですか‥‥はい、了解しました」
アラート通報に自宅から電話してきた加藤班長の指示を受け、ロングヘアをポニーテールに束ねた仁子が、右の人差し指で大きめの黒縁眼鏡のブリッジを押し上げつつ、形のよい小さめの耳から受話器を下ろした。彼女の傍らで邀撃班(Special Disaster Treatment Unit、SDTU。武器を用いた脅威の強制排除をミッションとし自衛隊出身者で構成される)の当直上原光一が、腕組みして皮肉な笑みを口角に浮かべている。
「センサーが振れてるだけなんだから、とりあえずお前ら雑班(ざっぱん。異変調査、災害処理班の通称)の仕事だろ。お前の給料が税金泥棒にならなくてよかったじゃん」
「もし、異常震動の原因が特殊災害事象だとしたら、武器を携行してないうちの班じゃ即応できませんが、その~‥‥」
他人と面と向かって議論を戦わせるのは、大学院修士課程の学位審査での惨劇が示す通り、引っ込み思案の仁子には土台無理な話で、主張の語尾が切れ切れに途絶えていく。
「何だよおっかねえのかよ!万に一つもねえだろうが、もしそうなったらこっちに連絡してどっかに隠れてろ。ヘリなら大倉山まであっちゅう間だ。さっさと支度して行ってこい」
男性としては小柄な上原より少し目線が高い(身長170cm)はずが、頭上から怒鳴られてるように感じるのは、仁子の身体が自信なさげに縮こまっているからか。
「は、はい。出動します」
「だったら最初からヘリで行ってよ。雑班、雑班って何でもこっちに押し付けて。も~頭に来る!」
出動前の会話を思い出して再び毒づく仁子だが、異常の特定ができない段階で、武器を積んだヘリを飛ばせないことくらい、予算、規則両面で重々分っていて、結局は仮眠していれば済むはずの当直勤務日に貧乏くじを引いた自らの境遇を嘆くのみなのだ。
「そろそろ異常を示したセンサーの設置場所ね」
鬱蒼と樹木の覆う山肌を縫うように敷かれた狭い道路に、満月の光と車のヘッドライト以外明かりはない。
「こちら名取間もなく現着、目視および車載センサーでは特に異常は感知されません。指示を乞う」
通信の返事を待つ間もなく突如進行方向右側前方の切り立った斜面が地滑りを起こし、ガラガラと崩れ始めた。ド~ン、ガッシャ~ン!サイドグラスが砕け散る。急ブレーキも間に合わず、根こそぎ倒れた大木がタウンエースのボディに直撃し、左側の崖へと車を押し出していく。眼鏡が吹っ飛び一瞬の出来事に声も出せず視界が回転し始めたその時、強烈な光が差し込み仁子の身体を包み込むと、ふぁ~っとシートから浮き上がらせるではないか。
<お迎え来ちゃった?>
次の瞬間、仁子は谷底に転落していくタウンエースを道路上に立って眺めていた。
<あ~、車グシャグシャだ。始末書じゃ済まないよね。うん?ちょっと待って。何これ幽体離脱ってやつ?私死んだのかな?>
《グオ~ン》茫然自失の仁子の耳に、背後から地響きのような唸り声が届く。振り向いた正面に自分よりかなり大きな四足の生き物がその体躯を震わせていて、震動が仁子の足元を揺らす。
「うわ~!」
仁子の悲鳴に興奮したように巨大生物が突進してくる。恐怖に震え立ちすくむだけの仁子。するとどうしたことか身体が勝手に動いて相手の攻撃を左に飛んでかわし体を入れ替える。続いて素早く右手が動き左の二の腕を一瞬握ったかと思うと、直後に右掌に生成された青き光渦巻くハンドボール大の玉を、こちらに飛び込もうと巨躯を縮めた相手の鼻先に投げつけた。《グエッ》パっと弾けた目も眩む光におののいた相手は、翻って前足で猛然と斜面を掘って地中に潜り込んでいった。
「何が起こってるんだろ?」
深夜の静寂が戻り、我に返った仁子が自らの掌に目を落とす。
<あれ?私銀色の手袋なんていつしたんだっけ>
手袋を脱ごうとして視線を掌から腕に移したが、そこも銀色に包まれている。左の二の腕には蝶の羽が細工されゴールドに輝くアームレット。驚いて身体のあちこちに目を向けると、脚、お腹、胸どこもシルバーで、ところどころグリーンのストライプが入っているではないか。
<何このピッタリボディスーツ。恥ずかしすぎる。私の服はどこ?>
慌てて胸や股間を隠す仁子の正面に、さっき彼女を包み込んだ強い光が壁のように広がった。光が鏡の役割をして仁子の全身を映し出す。彼女の顔は銀色のフェースマスクに覆われ、目はオレンジ色の光を湛えていた。ポニーテールが解かれたヘアスタイルこそ仁子のままの胸まで届くロングだが、その色は深い紅色で、額に輝くこれまたゴールドのティアラでかき上げられ、露出したおでこには逆三角のグリーンの二重線が見える。改めてボディを確認すると、首元から胸にかけてと臍から下腹部へ、そして膝頭や肘にもグリーンの幾何学模様が左右対称に浮かび上がっている。振り返ると背中とお尻にも。
<この人はカラーリングは違うけど昔のウルトラマン?私は?私はどこにいったのよ!>
目に映るこの人が自分であると呑み込めず、改めて顔から全身をさする仁子。すると光の壁がヒト型に変化し、仁子の脳内にしわがれた老人男性の声が飛び込んで来た。
「あなたの身体は今、私の授けた変身体なんじゃよ」
「変身体?」
「私はM90星から来た宇宙生命体。先ほどあなたが生命の危機を迎えた時に、我々M90星人の持つ能力をあなたに授け救い出したのじゃ。変身体の動きや武器運用のテストも今私が済ませた。全て順調」
「わ、私ウルトラマンになっちゃったんですか?」
拡げた両腕に交互に視線を落としつつ仁子が叫ぶ。
「あなた方がウルトラマンと呼ぶのは別の星系の生命体で、宿った人間と一体化していたと推察するが、私はあなたに我々の持つ様々な能力を移植しただけで、あなたがその能力を必要とする時にだけこの変身体になるのじゃよ」
脳内?マークだらけになりながら、三度自らの身体を隈なくチェックする仁子。十数秒後あきらめたようにだらりと腕を下ろし、おずおずと光のヒト型に向き合うと。
「あの~ともかくこの格好めっちゃ恥ずかしいんですけど、どうしたらもとに戻れるんでしょうか?」
「ほれ」
変身が解除され、防災服に安全靴、ナチュラルブラウンに染めたロングヘアに黒眼がちなクリっとした瞳。眼鏡を失ったため少しぼやけてはいるが、もとの自分が光の鏡に映し出されているのを確認し、安堵のため息をつく仁子。
「さて、私はただの星間ツーリストではない。この星に危機が迫っていることを感知し、我らの発達した技術や能力を特定の人類に貸し与え、その危機を克服させることを目的にはるばるやって来たのじゃよ。そしてその選ばれた人類があなた、名取仁子なんじゃ」
「なぜ私なんですか?ウルトラマンって言うくらいで、それは逞しい男子の仕事では?」
「人類に存在する性差というものに照らし合わせればそうかも知れんが、私がこの星に到着した直後、想定された脅威に直面して生命の危機に晒されていたのはあなただったのだよ。選択の余地なしというやつじゃ」
「選んでないじゃない!」
拗ねたような仁子の一言に、ヒト型の光が動揺したかのように明滅する。
「私が力を貸し与えられる人類は一人だけ。そして望むと望まざるとに拘らず既に実行済となれば、あなたが脅威と戦うしかあるまいて。後付けだがあなたが仕事柄脅威の発生をいち早く知る立場にいることは、さっきの事故が証明しておろう」
「異星人の方はご存知ないと思いますが、私たち公務員には定期異動ってものがありまして、いつまで今のポジションにいるかなんてわかりません。それに私の敵は誰で、それとどうやって戦うのか知識ゼロです」
途方にくれたように両掌を放り投げるように上に向けた。
「何だかんだ言いつつ、やる気になっておるではないか。ただ、大事なことなので一つだけ言い直しておく。”敵”ではない”危機”じゃ」
「う~ん、違いがわかりません」
仁子が首を捻り右の掌を頬にあてる。
「その答はこれからあなたが体験するであろうことから、あなた自身が見つけ出すものなんじゃ。それでは戦い方と掟をこれから伝授しよう」
「お・き・て??」
光のヒト型が30分かけて仁子に授けた戦法とルールを、時間の都合で箇条書きにすると以下の通りとなる。
・仁子のスマホにインストールされた専用アプリが作動すると変身可能となる。
・変身後はM90星人の各種能力が発揮され、人類の数倍のパワーや運動能力が行使可能。但し、知識、経験、基礎体力を含む行動、意思決定は仁子本人のそれらに基づく。
・左二の腕のアームレットに触れて強く念じると、アームレットが武器や道具に変化したり、瞬間移動が可能になる。
・変身後のエネルギーには限りがあり、身体のストライプの色が変化して知らせる。エネルギーを失うと変身は強制解除され、数時間は再変身不能。
「最後に最も重要な掟をあなたに課す。変身体でのあなたの行動を人類の目に曝した瞬間、あなたに授けた全ての能力はその効力を失い、あなたは二度と変身できなくなる」
光のヒト型はここで突然光源をLEDに変えたかのように輝きを増し、右手をかざして光を遮る仁子の口は半開きになる。
「何ですかそれ!意味不明です。ウルトラマンはみんなの前で戦って人類のヒーローだったじゃありませんか。私だってやるからには、立派な名前を付けてもらってヒロインとして‥‥」
「まさにそこじゃよ。あのウルトラマン時代、人類は超越した存在が次々脅威を排除するのにかまけて、自らの知恵と行動でこの星を守ろうとする努力を放棄していたのじゃ。我々は先ほど説明した通り、技術や能力を貸与するだけで、あくまであなたも人類の一人として戦うわけじゃが、たぶんそれを目の当たりした人々はそうは受け取らず、あなたを救世主扱いし、また依存していくじゃろう。これは我々M90星人の望まぬところである」
「ご主旨は判りましたが、人間の目に触れないように戦うなんて無理な気が?」
路地裏を左右を気にしながらこっそり移動し、物陰からこっそり脚を出して敵を転ばせる姑息なヒロインの姿が、仁子の網膜裏に浮かんでいるようだ。
「確かに太陽光下では隠れて行動するしかないが、あなたの変身後のボディは紫外線にさえ当たらなければ、人間の目や電波系レーダー計器類から不可視となる。いわゆるステルスモードというやつじゃ。つまり夜間は人目を気にせず行動できる。但し、あくまで人間の網膜に対してだけなので、人間以外の生物には見えていることを忘れないように」
<まあさっきの変身体の格好は高校時代の試合コスチューム以上に恥ずかしい気がするから、却って都合いいかも>
白み始めた尾根の向うから、ヘリコプターの飛行音が響き始めた。
「それでは私は母星に帰る。訊きたいことがあればアプリ経由で」
「あ~、ちょっと待ってください!って、ほんとに私でいいのかな?」
「何事にも真面目に取り組み、目立つのが苦手、そして優しい。あなたを選んだのは実は偶然ではないんじゃよ。健闘を祈る」
光の壁が粒子化して霧散する。
「も~、さっき会ったばかりなのに勝手に性格分析なんてしちゃって。わ・た・しは、弱虫なんだよ~!」
仁子の絶叫は、森閑とする山道にこだまを返すばかり。一人崖っぷちに取り残された仁子の頬に茜が差し始める。今の彼女の複雑な心境を表すような一瞬の光景だった。
「名取!大丈夫か?」
大倉山調査車両の信号途絶を受け、救援に派遣されたSDTUの上原が、雑班の防災服とは似ても似つかぬオレンジ色のスタイリッシュなつなぎの戦闘服にコンバットブーツ姿で、上空でホバリングするヘリから懸垂降下し仁子に近付く。
「はい、何とか。あっちの斜面が突然崩れたかと思ったら、私の倍以上ありそうな巨大生物が現れて‥‥そう今気付きましたが、あれはモグラです」
仁子が両手をいっぱいに広げる。
「モグラだと?その大きさならクマだろ」
「いえいえ、こんな大根のへたみたいな尻尾がありましたし、それよりもなによりもこうやって土を掘って姿を消したんです」
右手を尻尾に見立ててユラユラさせたかと思うと、指を曲げた両手で忙しく宙を掻く仁子のオーバーアクションに、一歩後じさる上原。
「わ、わ~ったよ。ということはここで発生していた異変の原因はその大モグラってことか?」
「たぶん」
仁子との出発前のやりとりを思い起こし、一瞬辛そうな表情を浮かべた上原が左右を見回す。
「ところでお前の車はどこだ?」
「谷底です。私は車が土砂に押し流されて横転した時、偶然投げ出されまして‥‥」
「お前シートベルトしてなかったのか?」
「はいそのようで」
さっきまで同じ目線で話していた仁子が縮こまり、上原の視界からフェードアウトしていく。
「ハッ、ハッ、ハ、奇跡的規則違反ってやつか?」
「ヘヘ、私不死身なんで!」
お追従笑いを浮かべつつ俯いて舌を出す仁子。
「何たわ言言ってやがる。さあ帰るぞ」
ヘリから降りてきた救命ワイヤーに身体を通された仁子は、上原ともどもヘリに巻き上げられ、朝日を一杯に浴びて帰途についたのだった。
「やっぱり夢だったってことはないかな?」
大倉山で奇跡的に無事救出され、念のための二日間の検査入院を終えて一人暮らしの借上げ官舎に帰宅し、大きなトートバッグをベッドに放り投げた仁子の希望的第一声。一方、病院で見せられた谷底で大破した調査車両の映像が目に浮かぶ。
「報告書にはああ書いたけど、ほんとはちゃんとシートベルトしてたし、だとしたら‥‥あ~、誰かに助け出されたのは事実なんだ」
ベッドに腰掛け頭を抱えた仁子のブツブツは続く。
「でも、変身まではどうなの?あのピッタリコスチューム姿が私なんて‥‥だいたいどうやったら変身できるのか、あの人の説明聞いてもよくわかんなかったし。ってあんな長々とした説明、やっぱり夢じゃないか‥‥」
諦めたように顔を上げると、ぼんやりとした自らの視界に気付いて、眼前に零れ落ちる髪に邪魔されつつ帆布製のトートバッグの中身を掻きまわす。
「そっかあの時眼鏡飛ばしちゃったんだ。ショック~!買わなきゃ。うん?でもまたあんなことになって、”変身!”って時に眼鏡じゃ。。それにこっちもかな?よし!」
胸まで届くロングヘアの毛先を指で摘まんでひとつ頷くと、仁子は再び玄関のドアに手を掛けた。
「ありがとうございました。こういうのもありかもしれませんね。お気をつけて」
コンタクトレンズショップのペーパーバッグを片手に提げて、行きつけのヘアサロンを長身の肩を怒らせて颯爽と後にする仁子を、軽く手を振って見送る美容師さんの笑顔が何となくぎこちない。それもそのはず首から上が既に”変身しちゃってる”からだ。黒に戻した長い髪をいったい何十cmカットした(かつらメーカーさんに髪を寄付する書類にお店でサイン済)のだろうか、ふわりと流した前髪こそ少し長めに残しているが耳も露わなベリーショート。重たそうな黒縁眼鏡もなくなり、クリっと黒めがちで涼やかな瞳が、白い肌と見事なコントラストをなしている。
「先ずは活動しやすくならなきゃね!」
イタズラっぽい笑みを浮かべ、結局はM90星人の思惑通りやる気?を起こした様子の仁子だが、この大胆な”変身ぶり”を周囲に”見られてしまう”ことに気付いているのだろうか。がんばれ”見られてはいけない”新生ヒロイン仁子、地球の平和な明日は君の秘かながんばりにかかっている。




