第二章 22 大地に穿つ者 4
今まで味わって来た分の苦痛の総数が血を取り込む事によって与えられる激痛。一般の精神であれば病んで発狂していた事だろう。これを耐える事は間違いなく常人を遥か凌駕している精神。アースと対等或いはそれ以上になるにはこの屈強な精神がカギとなる。でなければ先の精神状態に陥る。
オールディの体は白彊病の様に赤泡が傷を覆っている。アースはもう数秒で立ち上がる。…そうだ、まだ完全にこの能力は知られていない。この能力の発動条件である面積条件をコイツはまだ知らない。無条件に触れた物を体内に入れ私物化してしまう能力だと考えている。それが幸いだ。
「…自惚れるなよオールディ…血を受ける事が戦場に立つ事が出来る最低条件だ。」
「充分……に、分かってる。そして僕が勝つ事が出来ないってのも理解してる。」
アースは血を零しながらゆっくりと立ち上がる。余りの惨い立ち姿に勝利は目前かと勘違いしてしまいそうだ。まだまだ死なないってのにさ。
「結局諦めたのか?見逃してくれ、逃がしてくれと?」
「そうじゃあない。今の僕はどれだけ足掻いても勝てない。僕は死ぬつもりで戦って来た。実際死んだ方がマシだったと思うことも多すぎるくらいだ。体は耐え忍ぶ事が可能でも心はそれに追いつけない。」
「それが、それこそが敗北宣言だ、負け犬の遠吠えよりも下劣、負け犬の屈服、逃走、恐怖、所詮お前の意志はその程度だという証明じゃないか。」
「アース、僕等は人間だ。覚悟をするのには時間がいるんだよ。一度きりの人生を捨てる覚悟を決めるには余りにも難しい。だから余りにも無謀なお前を突き動かすのはただの怒りじゃない事位…同じ人間やってる俺ならわかんだよ。だから僕は敢えてなにも言わない。反論もしない、なんせ僕のモットーは『改めない』だからな。」
アースはその言葉を聞いてから急に黙る。
「まあ…なんだ。もしお前がこの世界を何度でもやり直せるってなら話は別だが」
「…へえ。そう、その通りだ、俺はリセット出来る…だから強気に行動できる。屈強な精神さえあれば死の苦痛など如何とでもないからな。だけどお前と俺は今回が初対面だぜ?それが理由でお前が劣勢って訳じゃない、単純にお前の精神面の弱さが仇となっているだけだ。それで、時間稼ぎは終わったか?なあ」
「通して思う。僕はただ純粋に…純粋に『死にたくない』。そう思っただけだ。」
オールディは左手の指の間に右手を通し、左手の指3本を全て絶つ。血が零れ過ぎて全身がふるえているのが分かる。しかしそんな状態でもそのまま上半身に斑点模様を作り、放出準備を整える。アースはこの距離では危ないと悟り燃える建物の中に入ろうと走る。
「もう遅い」
アースは建物の目の前まで来たが先に放出されてしまった。だが、余りにもブレブレで放った指弾は3発ともアースの体に当たる事はなく、建物の柱に命中する。
「…3発じゃあ足りなかったみたいだな。」
オールディは「いいや充分だ。」と呟き、今度は右手の親指を噛み、食いちぎろうとしている。それを阻止せねばとそれに気を取られている時だった。突如柱が燃え盛る音に崩れる音が掻き消され、アースの頭上に落ちる。咄嗟にアースは両腕で柱を受け止めるがそれが悪手である事を状況を見たら分かった。
3発で十分なのだ。この柱を崩し、建物の屋根部分全てを俺に落とそうとするのは。この柱に気付き、避けて逃げればよかったのに俺は受け止めてしまった。俺がこの柱を退ける間にがら空きになった体に、容易く指弾を撃たれてしまう。
アースはすぐさま柱を退け、全速力でオールディに向かって走る。
既に斑点模様を作り、決着がついたと思ったらオールディは口から血を噴き出し、膝をついたのだ。これまで受け続けた積もりに積もったダメージが限界を迎えたのだ。オールディが再び耐性を立て直す前にアースの拳はオールディの頬に当たっていた。
「それを待っていた。」
アースの拳は私物化され、オールディを地面に叩きつける事無く、顔面に侵入していく。走りにプラスされた勢いも追加され、二人の顔はほぼ零距離になる。殴り、私物化してからアースは気付いた。オールディの右手の親指が食い千切られていない事を。そして奴が喋った時の口内は歯が一つもなかった事を。
オールディの額から頬に掛けて斑点模様が描かれる。零距離で放たれる歯のマシンガン。アースの硬い頭蓋を突き破り、無数の穴が開く。再びアースはこの連射を受け止める。今度は体ではなく頭部で。
「口から血を噴き出したのはダメージの蓄積なんかじゃない。歯を抉った時にでた血液だ。」
アースが白眼を剥き、大地に倒れていく前に、まだ指のある右拳を全力で振い、天へと飛ばす。アースは血を流しながら地面に転がる。
オールディも仰向けに倒れる。徐々に世界は鈍色に染まっていった。臭いも鉄の臭いが漂うだけで音に至っては呼吸音以外なにも聞えない。
『勝てなかった。』
やっぱり僕じゃあ勝つことは出来なかった。一矢報いる程度で殺す事など出来ずにこのまま僕は力尽きる。本来ならばもっともっとあらゆる物を弾丸に変え、アースを殺してやりたかった。でもそれを行うには僕が余りにも貧弱過ぎたのだ。
ぼくは暗く染まっていく世界に瞳を閉じた。
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死のレールを空を見上げながら歩いていた。心は怯えぬフリをして虚勢を張った。けど終点にて体が歩くのを止めた。抵抗したんだ最期の最後に。でもそこまで来て、終点まで来て後ろを振り返っても歩いてきたレールは崩れ落ちていて、薄ら見えても透明な壁に憚られて結局は戻れない。
今更なんだ。いまさら血を耐えようと無駄なんだ。どうせならもっと早く、もっと前に心から先に、体が死を拒絶する前に立ち止れればよかった。車掌はレールを降りろと催促するのだ、収束の地で。
僕は頷き、「降りるよ」と答える。けどそう答えるだけで体は全く動かない。心はもうずっと前から此処を目指していた。いや、それは嘘になるか。本当の本当はもっと別な場所。僕はこのレールを歩くには持ってくる紙幣を間違えた様でクリスタルに見えたそれはただの硝子で…そこにたどり着くには足りなかった。
僕は何を思ったのか再び涙を流して振り返った。レールの無い虚無にも落ちようかと思ったのだが車掌に首根っこを掴まれて無理矢理レールから出てしまう。けど彼は怒ることなく諭すように話す。
それは時を戻してしまう行為なのだと。
時を戻すということはまた歩き直すということ。
それは余りにもつらいこと、
そして間違いだということ。
僕が紙幣を間違えたのすら運命だということ。
やろうと思えばレールの分岐点で紙幣を偽り強引にある事の出来た右側方向。でも歩かなかった僕の正義と言う名の恐怖心。レールから降りると今まで動こうとしなかった体は自由に動くようになる。今度は心が立ち止って振り返った。そこには車掌もレールも色も音もにおいもなにもない。
瞳を開くと、空は鈍色に染まっていたままだった。唯一聞えるのはゆっくりと弱々しくなっていく僕の呼吸音。
…最後だけ、一つ、ルザ先生にさよならを言いたかった。
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