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 翌日、ピチカはいつもより少し早起きして仕事の準備を整えた。


「まぁ、ピチカ様! とっても可愛らしいですよ!」


 レイラを始めとする侍女たちがパチパチと手を叩いてはしゃぎながら、着替え終わったピチカを見る。


「可愛い? こんな格好をしているのに?」


 ピチカは僅かに顔をしかめつつ、その場でくるりと回ってみせた。

 茶色いブーツに白いズボン、上はシャツにベスト、その上から短いケープを羽織って、長い髪は後ろで一つに縛っているだけという色気のない格好だ。

 レイラたちはうっとりと手を合わせて言う。


「男装をしているようで可愛らしいです」

「男装をしているように見えるなら、形容詞は『格好良い』になるんじゃないの?」

「どう見ても男性には見えないので、『可愛い』でいいのです」


 レイラとそんな事を言い合いながら一旦ケープは脱ぎ、ヴィンセントと朝食を食べるために部屋を出る。こんな格好の自分を見られるのは恥ずかしいかったが、森におしゃれなドレスを着ていくわけにはいかないので仕方がない。


「ピチカのそんな姿は初めて見るな。ズボンなんて持っていたのか」

「乗馬をする時用に、一応持っていたんです」


 食堂に入ると、ピチカは顔を赤らめて下を向いた。ただでさえ年下で子どもっぽく見られているのに、こんな男の子みたいな姿を見せて、ヴィンセントの恋愛対象から外れないか心配だ。

 

「へ、変ですか……?」

「いや」


 ヴィンセントがじーっと見ていたので居たたまれなくなって思わず尋ねるが、感情の読めない返事しか返ってこなかった。

 そして朝食を食べ終えると、ヴィンセントの馬車に乗せてもらって、昨日と同じように一緒に城へ向かう。

 王の所有する森は城の近くにあるので、これからはピチカも朝はヴィンセントと一緒に馬車に乗り、ヴィンセントを城で降ろした後、森へと送ってもらう事にしたのだ。

 だけど今日は森へ行く前に一旦ヴィンセントと一緒に城で降りて、アルカンのところに向かう予定だった。


「アルカンにまだ何か用があるのか?」


 馬車の中でヴィンセントに尋ねられたので、ピチカは膝の上に乗せていた袋を持ち上げて言う。


「仕事を紹介してもらったお礼をしようと思って、昨日のうちにストウルにお菓子を作ってもらっておいたんです」


 ストウルとはヴィンセントの屋敷で働く料理長だが、昔から菓子作りも勉強していて、お屋敷では菓子職人も兼任している。

 

「ストウルの作るお料理はもちろん、お菓子も美味しいので、アルカン隊長に是非食べていただきたいと思って頼んだんです」

「そうか。いつの間にかうちの屋敷の者たちとも仲良くなっていたんだな」

「皆、優しいので」


 笑みを零しながら言うと、ヴィンセントも表情を緩めた。

 ピチカは照れながら続ける。


「いつも思っているんです。皆に優しくされた分、私も皆に優しくしたいなって。侯爵家に生まれて、守られた環境にいたからかもしれませんが、私は今まで意地悪をされたり酷い扱いをされたりした事はほとんどありません。周りの人たちは皆優しかったので、私もそれを返したいんです。もちろんヴィンセント様にも」


 そう言ってからふと思いついて、もじもじと言う。


「このお仕事をちゃんとこなせば、お小遣い程度ですけどお給料を頂ける予定なので、そうしたら一緒に街へ行ってケーキを食べませんか? ……あの、デートをしたいんです」


 でも、これではヴィンセントに優しさを返すというより、自分が嬉しいだけだ。と、言ってから気づく。

 それどころか仕事が忙しいヴィンセントにとっては迷惑な提案かもしれないと慌てて撤回しようとしたが、ヴィンセントは意外にも柔らかく目を細めた。


「いいな。楽しみだ」


 ちょっとだけ子どもみたいな口調で、嬉しそうに言う。

 ピチカはホッとして息をついた。温かい気持ちが胸に広がって、思わずへらへらと笑ってしまう。


「美味しいって噂のお店を知ってるんです」

「そうか。ではピチカに任せよう」


 ピチカがニマニマへらへらしているうちに城へ着いた。そしてアルカンのところへ向かおうとすると、当然のようにヴィンセントもついて来る。

 ヴィンセントが一緒だと、ヴィンセントをライバル視しているアルカンの機嫌が悪くなるのだが、ピチカにはヴィンセントを追い払う事などできなかった。結局二人でアルカンを訪ねる。


「アルカン隊長、おられますか? ピチカ・クローリーです」

「ピチカ・パティなら知ってるが、ピチカ・クローリーは知らない」


 ノックをして声をかけると、そう返事が返ってきた。クローリーはヴィンセントの名字だが、パティはピチカの旧姓だ。


「屁理屈言わないでください。入りますよ」

「何でヴィンセント野郎までいる」


 アルカンは机に座っていて、不機嫌そうにピチカの後ろにいるヴィンセントを睨みつけた。

 いちいちヴィンセント様に絡まないでください、とピチカが注意しようとしたところで、開けっ放しだった扉の外から声がかかった。


「あ! おはようございます、隊長。なんでアルカン隊長の部屋に……って、あれ? ピチカちゃん?」


 ヴィンセントの補佐官であるノットが、ちょうど廊下を通りかかったのだ。ノットはヴィンセントに声をかけた後、ズボンを穿いているピチカを物珍しそうに見る。


「そんな格好してどうしたのかと思ったら、そうか、今日から仕事で森に行くんだね。可愛いから何着ても似合うよ」


 ノットはさらっと褒めてくれるので、ピチカも素直にその言葉を受け止める事ができる。

 でもどうしてノットさんまで私が仕事を始めた事知っているんだろう、とピチカは不思議に思った。けれどノットなら、世間話のついでにヴィンセントかアルカンから聞いていてもおかしくはない。


「そんな……ありがとうございます」


 ピチカが照れながら言うと、ヴィンセントがくるりと振り返ってノットの方を見た。ノットはちょっと固まる。

 そしてなだめるようにこう言うと、ヴィンセントの腕を掴んだ。


「まぁまぁ落ち着いて。それより着いてたなら早く来てくださいよ。急ぎの用件で陛下がお呼びです。じゃあね、ピチカちゃん」


 ノットはこちらに軽く手を振ってから、ヴィンセントを強引に引っ張って行った。扉を開けっ放しで行ってしまったので、去っていくノットの声が聞こえてくる。


「隊長、目の下にうっすらクマができてますよ。徹夜でもしました?」

(クマ……?)


 ピチカは扉を閉めながら、今朝のヴィンセントの様子を思い返した。特に疲れている様子ではなかったが、目の下のクマには気づけなかった。ピチカは相変わらず恥ずかしくてちゃんとヴィンセントの顔を見られないからだ。

 でも夫の体調の変化に気づけないなんて妻失格かも、と落ち込む。


(昨日の夜は書斎を出た後、普通に自室に戻って休まれたはずだけど……。その後、ずっと仕事をされていたのかしら)


 そんな事を考えて心配していると、ふとアルカンの視線に気づいた。見えづらいものを見るかのように、アルカンは目をすがめてピチカを観察している。


「どうしたんです?」

「いや、お前……」


 不審そうに呟いて立ち上がると、アルカンはすらすらと長い呪文を唱え始めた。よくそんなに口が回るなと思うくらい早口だ。どうして舌を噛まずにいられるんだろう。

 そして詠唱が終わると、ピチカの体から次々に魔術陣が浮かび上がった。全て円形で、白や水色、紫色に発光していて、盾くらいの大きさのものもあれば、ピチカの身長と円の直径が同じくらいの大掛かりなものもある。

 全部で十はあるだろうか。円の中では魔術文字と図形が複雑に組み合わさっていて、パッと見ただけでは何の魔術なのか分からない。というか、時間をかけて調べてもピチカでは解析できないだろう。


「え、何これ?」


 目を丸くして、自分の周りに浮かんでいる魔術陣を見つめる。

 アルカンは眉をひそめながら言う。


「自覚なかったのか? これはお前にかけられてる魔術だぞ」

「私に? いつの間に……」

「誰かに呪われてるのかと思ったが、どうやらお前に害をなすような術じゃないようだな。それにこんな複雑な術を何個もかけられるのはお前の旦那くらいだ」

「ヴィンセント様が? ……もしかして例の爆発魔術……?」


 顔を青くして言うと、アルカンが「何か心当たりがあるのか?」と尋ねてきたので、ピチカは昨日の夜の顛末を一通り話した。森へ通う事になった自分を心配してヴィンセントが魔術をかけようとしてくれたのだが、その術があまりに物騒だったので断ったのだ、と。

 アルカンは魔術陣に一つ一つ触れて、その術を解析しているようだった。並の魔術師では高度な術の解析なんて無理だが、アルカンならできるのだろう。


「クソ。ムカつく事に、ややこしくて全ては解析できねぇが……」


 顔を歪めてチッと舌打ちしてから続ける。


「どれも敵が爆発するような術じゃない。お前を守るような術ばかりではあるが、誰かを酷く傷つけるような攻撃魔術は組み込まれていない」

「よかった……。でもヴィンセント様ったら、本当にいつの間に魔術をかけたのかしら」


 とても有り難いけど、言ってくれればよかったのにとも思う。だけどピチカが『何かあればシールドを張るので大丈夫です』と断ったので言い辛くて、こっそり術をかけたのかもしれない。

 

「もう。勝手に術をかけるなんて!」


 ヴィンセントは心配してこんなにたくさん術をかけてくれたのかと思うと嬉しくて、言葉とは裏腹にピチカがニヤニヤ笑っていたら、アルカンに睨まれた。


「ニヤニヤするな」


 隊長がパチンと指を鳴らすと魔術陣はピチカの体の中に戻って見えなくなる。


「ああ……! ヴィンセント様の愛の結晶が。ずっと見ていたかったのに」


 ヴィンセントが自分に向けてくれている想いが愛なのか、それともただの情なのか、一応妻という立場にある人間に死なれては面倒だという気持ちだけなのかは分からないが、勝手に愛だという事にしておく。


「うぜぇ夫婦め」


 アルカンはイライラと顔をしかめたが、次には真面目な表情になって言う。


「……だが、意外だな。あいつは、誰かを憎む事もなければ誰かを愛する事もない奴だと思っていた。何にも関心や興味を持つ事のない、つまらない奴だと。結婚も周りがうるさいから適当な人間を選んでしただけだと思ったが、意外にもお前を大事にしているのか?」

「私に聞かれても……。でも冷たくされたり、ぞんざいに扱われたりはしていません。それにこんなにたくさん術をかけてくださるという事は、やはり一応は大切に想ってくださっているのかも」


 祈るように両手を組んで、喜びの花を散らしながら恍惚として言う。

 しかし冷めた表情のアルカンには「もう帰れ、お前」と返されてしまった。


「だいたい、何しに来たんだよ。ここへは森で何か異変を見つけた時と、一ヶ月に一度の定期報告の時に来るだけでいいと言っただろ」

「あ、いえ、今日は仕事を紹介していただいたお礼のために来たんです」


 そう言って、持ってきたお菓子をアルカンに渡す。中身は、砂糖を表面にまぶして焼き上げたサクサクのスティックパイと、しっとりと甘い宝石のようなマロングラッセだ。


「お仕事をしながらつまめるものにしました。でもパイは机の上にこぼさないようにして食べてくださいね。マロングラッセも手がべたつくので、その手で書類や魔術道具を触らないように気をつけてください」

「ジュリアみたいな事を言うな」


 ジュリアとは、アルカンの補佐官をしている魔術師だ。歳は二十代後半で色っぽい女性だけど、お母さんみたいに面倒見が良い人物なのだ。


「あ、そうだ、ジュリアさんと一緒に食べてくださいね。二人分はありますから」

「嫌だ」


 アルカンはそう言うと、お菓子の入った袋を机の一番下の引き出しに仕舞った。独り占めする気に違いない。アルカンはこう見えて意外と甘いものが好きなのだ。それを知っていたから、ピチカはお菓子をお礼の品に選んだのだが。

 しかし甘党だという事は周りにバレたくないらしく、知っているのはピチカとジュリアくらいだろう。一隊員だったピチカが何故アルカンの甘党を知っているかと言うと、魔術師団にいた時に『お菓子を買っていても違和感のない人物だから』という理由で選ばれ、ひそかにアルカン用のお菓子を買い出しに行かされていたからだ。

 とにかく、お礼のお菓子は喜んでもらえたようでよかった。


「では、これから〝王の森〟に行ってきます」

「ああ。定期報告は一ヶ月に一度でいいと言ったが、菓子を持ってくるなら毎日でもいいぞ」


 毎日は無理だけど週に一度くらいなら持ってきてあげようかと思いつつ、ピチカは森へ向かうために退室したのだった。


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