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翌日、ピチカは仕事を求めて王城へ向かった。目的地は一緒なので、朝、ヴィンセントが乗る馬車に一緒に乗せてもらう。
時おり馬車がガタガタと揺れる中、ピチカは隣に座っているヴィンセントとの近い距離、そして沈黙に耐えきれずに、背中にじわりと汗をかいていた。
(何か喋らないと……!)
屋敷を出発してからずっとそればかり考えているが頭が働かない。膝の上に置いた指をそわそわと動かす。ヴィンセントはいつもと変わらぬ様子で窓の外を見ていた。
馬鹿だなとか子どもだなとか思われないようにいつもは慎重に話題を選ぶピチカだが、今は馬車という狭い空間での無言が辛くて、パッと頭に浮かんだ質問をそのまま口に出していた。
「……っヴィンセント様の好きな食べ物って何ですか!?」
勢い余って大きな声を出してしまったので、隣でヴィンセントがビクッとする。
「あ、ご、ごめんなさい」
しかしゆっくりこちらを向いたヴィンセントは、少し首を傾げてこう答えてくれた。
「好きな食べものか……。特にないな」
「え? ない?」
好きな食べ物がないというのも珍しい。会話が途切れないようにピチカは慌てて次の質問をする。
「じゃあ嫌いな食べ物は何です?」
「嫌いな食べ物も別にないな」
「え」
全ての食べ物は、好きでも嫌いでもないという事だろうか。
その後も「好きなお菓子や飲み物は?」とか「趣味は?」とか尋ねてみたが、ヴィンセントには特別好きな物も嫌いな物も、好きな事も嫌いな事もないようだった。
「では、好きな色は? よく黒い衣装をお召しになっておられますから、黒がお好きなんですよね?」
「黒? そうだな、無難な色かと思ってよく着ているが……好きなのかどうかはよく分からない。白を着ろと言われれば白でもいいし」
「そうなのですか」
ヴィンセントは不思議な人だ。だが、自分とは全く違う人だから、こうやって新たな一面を知るたびに面白いと感じる。
「ピチカは? 何が好きだ?」
「食べ物ですか?」
「食べ物でも、何でもいい」
「そうですね……」
質問された事をそのまま返しただけかもしれないが、ヴィンセントは自分に興味を持ってくれたのかと嬉しくなって、好きな食べ物やお菓子、好きな色を教えた。
「色は、昔はピンクが一番好きだったんですけど、最近は白や水色が好きです。でも黄色も好きだし、緑も、青も赤も紫も……オレンジもいいなぁ。あ、あと、今は黒も好きです!」
「そうか」
黒はヴィンセントの色だから、とは続けられなかったけれど、ヴィンセントは少しほほ笑んで相槌を打ってくれた。
その優しい反応が嬉しかったので、ピチカは城に着くまで一人ではしゃいで喋り続けたのだった。
そして城に到着して馬車を降りると、ピチカはヴィンセントと別れて歩き出そうとした。
「私はアルカン隊長を探します。お仕事頑張ってくださいね」
「いや、私も一緒に行く」
「え? ついて来てくださるのですか?」
「ああ」
きっと自分の仕事が忙しいだろうにいいのかなと思いながら、歩き出したヴィンセントの後をついていく。
そしてアルカンの執務室に向かうと、ちょうど出勤してきた彼と廊下で鉢合わせた。
アルカンは男性にしては線が細い体つきをしていて、胸の辺りまで真っ直ぐに伸びた白い髪を持つ、ちょっぴり神経質な魔術師だ。
魔術師団の隊長には経験豊富な年かさの魔術師がなる事が多いが、ヴィンセントとアルカンの二人は例外だった。まだ若いけれど才能があるので隊長職についている。
アルカンはヴィンセントを見つけると眉間の皺を深くして、相手を睨みつけながら擦れ違おうとした。どうやらアルカンは自分より才能のあるヴィンセントの事が昔から嫌いらしいのだ。
「アルカン」
「ああ゛!?」
ヴィンセントは名前を呼んだだけなのに、アルカンは顔を歪めて喧嘩腰で聞き返してくる。
アルカンは黙っていれば女性と見紛うくらい綺麗なのに、喋ると不良っぽい。「あ」に濁点つけるのやめた方がいいと思う、とピチカは思った。
「何か用か? 用があるならさっさと喋れ。俺は忙しいんだ。お前ののんびりダラダラしたお喋りには付き合ってられねぇんだよ」
早口で言いながらポケットに手を突っ込み、背の高いヴィンセントに近づいて間近で睨み上げている。ヴィンセントはそれを不快に思う様子も面白がる様子もなく、いつも通り無表情だ。
「さっさとと喋れって言ってんだろ」
「ア、アルカン隊長!」
アルカンはヴィンセントに早く話すよう促しながらも喋る隙を与えないので、思わずピチカが口を挟んだ。ヴィンセントの後ろからひょっこり顔を出して声をかける。
「お久しぶりです、ピチカです!」
「あん?」
眉根を寄せたままこちらを見たアルカンは、「ピチカか」と呟いて戦闘態勢を幾分解いてくれる――わけではなく、今度はピチカを睨みつけてくる。
「公爵夫人が城に何の用だ? お前にはがっかりしたぜ。俺の部下でありながらヴィンセント野郎と結婚するなんてな」
「ヴィンセント野郎って何ですか」
「城に何しに来たんだよ。ヴィンセントについて来たのか? 城はてめぇらがイチャイチャデートする場所じゃねぇんだぞ、消えろ」
「もう! ヴィンセント様の才能に嫉妬するのは勝手ですけど、それでヴィンセント様や私に当たるのはやめてください」
「ああ゛!?」
「『あ』に濁点つけてこっちを睨むのやめてください!」
眉間に皺を寄せて顔を近づけてくるアルカンにピチカが「ひー」と怯えていたら、今度はヴィンセントがピチカとアルカンの間に入ってくれた。
「アルカン、妻を睨むのはやめてくれ」
ヴィンセントはマイペースに続ける。
「ところで、少し話があるんだ。お前の執務室に入っていいか?」
言いながら、すでにヴィンセントは目の前にあった扉を勝手に開けようとしている。そこはアルカンの執務室だ。
鍵がかかっていたので開ける事はできなかったが、ヴィンセントはドアノブをガチャガチャやっている。
「おい、やめろ馬鹿!」
ドアノブを壊されてはたまらないと、アルカンはヴィンセントを押しのけて仕方なく鍵を開ける。
「ったく、何なんだよ」
そしてブツブツ言いながら部屋に入っていった。ヴィンセントは当たり前のような顔をして後に続き、ピチカも「失礼します」と言いながら入室する。
「それで、何だよ話って。さっさと話してさっさと出てけ」
「ピチカに仕事をやってくれ。危険がないものを」
「はぁ!?」
ヴィンセントは必要最低限の事だけしか言わないので、ピチカが補足説明した。ずっと家にいても時間が余るし、魔力を有効活用したいのだと言うと、アルカンはヴィンセントを顎で指して言う。
「それなら、旦那に仕事をもらえばいいだろ」
「俺のところにくる仕事はピチカには荷が重いものばかりだ。それに危険なものも多い。とにかく安全な仕事が欲しい」
「あと拘束時間は移動時間含めて一日八時間以内だと助かります。奉仕のつもりでやるので、お給料はなしでもいいですから」
「要求ばかり多い夫婦めっ!」
アルカンは文句を言いながら、こう続けた。
「大体、仕事なんてしたって長く続けられねぇだろうが。どうせすぐにガキができるんだ」
「ガキ? ……あ! に、妊娠するって事ですかっ!?」
「何びっくりしてんだよ。子ども作る気ねぇのか?」
「そんな事はないですけど……」
もちろんいずれは授かりたいと思っているが、今はまだ寝室だって別で寝ているのだ。
結婚初夜、ヴィンセントは同じ寝室を用意してくれたのだが、ピチカがあまりに緊張してベッドに入る前に気を失いそうだったので、「慣れるまでは別の部屋で寝よう」と提案してくれ、ピチカはありがたくそれを受け入れた。
「まだ結婚して一週間ほどですし……」
ピチカが顔を真っ赤にしていると、ヴィンセントがアルカンにこう言ってくれた。
「アルカン、お前は無神経な奴だな。配慮がない」
「お前に無神経なんて言われたくねぇ! この無感情野郎が!」
「け、ケンカしないでください」
ちゃんと仕事を紹介してもらえるだろうか? と心配しながら、ピチカはあわあわと二人を止めたのだった。