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 陽の当たるサンルームで侍女に淹れてもらったお茶を飲みながら、ピチカはちくちくと趣味の刺繍をしていた。趣味と言いつつ特別好きというわけではないのだが、他にする事もなく暇なのだ。

 自分はとても贅沢な暮らしをさせてもらっているなとピチカは思う。侯爵令嬢として生まれ、結婚する前も何不自由なく暮らしてきたが、ここでも自由にさせてもらっている。


 散歩に行きたければ侍女たちが日傘を持ってついて来てくれるし、甘いお菓子が食べたいと言えば料理人兼菓子職人がいつでも作ってくれる。そして買い物がしたいと言えば、仕立て屋や商人がやって来て、ドレスでも靴でも宝飾品でも、何でも好きなものを買える。支払いは後でまとめてヴィンセントがしてくれるからだ。

 とは言え、まだピチカは結婚してから物を買った事はない。ヴィンセントは何でも買えばいいと言ってくれているが、今は特に新しいドレスも宝飾品も必要ではないから。


(でも、こんな生活をしていていいのかしら)


 ピチカはふとそんな事を思った。あくせく働く公爵夫人なんていないけれど、しかしこんなふうにだらだらと毎日を過ごしてしまっていいものかと悩む。結婚する前は、ほんの二年ほどだが魔術師として働いていたので余計に。

 ヴィンセントの部下ではなかったし、仕事での関わりは全くなかったが、実はピチカも王国魔術師団にいたのだ。


(それに私も何か仕事か熱中できるものを見つけないと、ずっとヴィンセント様の事ばかり考えちゃう)


 ヴィンセントは今頃何をしているだろうか? そろそろ昼食を食べている? 危険な仕事はしていない? なんて事ばかり延々と考えてしまうのだ。

 頭の中がヴィンセントでいっぱいで、自分でも自分をどうしようもないと思う。


「結婚相手を好きになれないよりはずっといいけど、片想いも辛いわね」

「ピチカ様はヴィンセント様の事が大好きですものね」


 独り言に返事をされて、ピチカはハッと顔を上げた。いつの間にか侍女のレイラが部屋に入ってきていた。


「び、びっくりした」

「失礼しました。声をおかけしたのですが、物思いに耽っておられて気づいていただけなかったので。またヴィンセント様の事を考えておられたのですね」

「……そうなの」


 ピチカは肩をすくめて白状する。

 レイラは姉のように優しくほほ笑んで言った。


「『片想い』と、ピチカ様はそう言っておられましたが、ヴィンセント様もピチカ様の事を大切に想われているはずです。そばで見ていてそう思います。ピチカ様を見る時は、ヴィンセント様は優しいお顔をされていますよ」

「そ、そう……? そうだといいけど。実は私、恥ずかしくてヴィンセント様のお顔はまじまじと見られないの」


 ヴィンセントが違う方を向いていればチャンスとばかりにじっと観察するのだが、彼がこちらを向いている時は一秒以上目を合わせられない。

 ピチカは気を取り直してレイラに相談する。


「それでね、今考えていたんだけど、私、働こうかと思って。だってこうやって家にいてもヴィンセント様の事ばかり考えて寂しくなっちゃうだけだし、何か他の事をして気を紛らわせた方がいいと思うの」

「ですが、ピチカ様が働くのは外聞が悪いのでは? ヴィンセント様は甲斐性がないのだと思われるかもしれません」

「いいえ、それは大丈夫だと思う」


 レイラの言葉に首を横に振ってから、こう続ける。


「仕事をするなら、魔術関係の職を探すつもりだから」

「まぁ、それなら……」


 レイラが納得したのには理由がある。魔力は誰にでもあるわけではないので、この国では、魔術を使える人間はその者にしかできない仕事を積極的にやっていくべきだと考えられているのだ。

 公爵夫人が工場で働いていたり、どこかの食堂で料理人や給仕をやっていればおかしいと思われるが、魔術を使った仕事ならばそんな事は思われない。逆に印象が良くなるだろう。


「ですが、どうやって仕事を探されるおつもりです? 何か当てがあるのですか?」

「王国魔術師団にいた頃の上官に訊いてみようかと思ってるの。基本的に魔術師は数が足りていないし、何か仕事はあるはずよ」


 こうなるなら結婚を機に仕事を辞めなければよかったかも、とも思うが、また正式な魔術師として魔術師団に戻るつもりはない。何故ならヴィンセントがそうであるように魔術師団の仕事は忙しく、復帰すればピチカも仕事漬けになるかもしれないからだ。

 そうすればヴィンセントとの擦れ違い生活が始まってしまうおそれがある。今でさえ一緒にいられる時間が少ないというのに。


「お給料は少なくていいから、適度な時間で切り上げられる仕事が何かあればいいけれど。非常勤魔術師みたいな職はないかしら?」


 しかしここで悩んでいても仕方がない。


「とりあえず、元上官に会いに行く前にヴィンセント様にも話をしてみるわ。まずは仕事をしていいか、許可を貰わなきゃ」


 たぶん快く許可をくれるだろうと思うが、黙って仕事を始める事はできないので一応だ。



 そして夜、やはりヴィンセントの帰りは遅かったが、ピチカはまだ寝ていなかったので、寝巻きのワンピースの上にストールを羽織り、急いでヴィンセントを出迎えた。

 しかし玄関まで出る前に、階段を下りている途中でヴィンセントと鉢合わせする。


「お、おかえりなさいませ!」

「……ただいま、ピチカ」


 ヴィンセントに見つめられると恥ずかしくて居心地が悪くなる。お風呂に入ったせいで髪がまだ濡れていてぐしゃぐしゃだったかもと、さり気なく手櫛で直す。

 ヴィンセントは階段を上がってくると、ピチカに向かって淡々とした声で言う。


「まだ起きていたのか。私の帰りが遅い時は先に寝ていて構わないと言ったのに」

「あ、はい……そうなのですが……」


 仕事の話をどうやって切り出そうか迷っているうちに、ヴィンセントは「おやすみ」と言ってピチカの頭に手をポンと置き、自分の寝室に向かってしまった。

 

(え……! 今の何!? ポンって!)


 ピチカは目を丸くして赤面する。感情表現の乏しいヴィンセント相手なら、こんな些細な触れ合いでも喜べる。

 頭ポンの感動に打ち震えるピチカだったが、今日はヴィンセントに仕事の許可を貰うために待っていたので、慌てて小走りで追いかけた。


「ヴィンセント様、待ってください。実は少しご相談したい事があって……」

「相談? 人払いをした方がいいか?」


 ヴィンセントは振り返って、訝しげに言った。


「いいえ、大丈夫です」


 ピチカがそう答えると、ヴィンセントは目の前の自分の寝室の扉を開け、ピチカを中に招き入れた。そして椅子に座るよう勧めてくれる。


「ありがとうございます」


 ピチカは椅子に腰掛けて、立ったままのヴィンセントをちらりと見上げる。ヴィンセントは従者に上着を脱がせてもらいながら尋ねてきた。


「それで、相談とは?」

「はい、実は魔術関係の仕事をしようかと思っていて、それでヴィンセント様に許可を頂きたくて」


 本格的に魔術師として働こうとしているわけではなく、あまり長時間拘束されないような仕事をするつもりだと説明する。

 しかしヴィンセントはいい顔をしなかった。


「何故仕事をしようと思ったんだ? 金が必要なわけではないだろう?」

「ええ、もちろん。ヴィンセント様のおかげで豊かな暮らしができていますし。ですが、私にもせっかく魔力があるので、それを何かの役に立てたいのです」


 それも本音だが、もう一つの『ヴィンセント様の事を一日中考えるのをやめたいから』という理由は言えなかった。

 ヴィンセントはまだ不満顔だ。


「だが、魔術を使うような仕事は危険が伴うものも多い。あまり危ない事はやってほしくない」


 ヴィンセントはどうやら自分の事を心配してくれているようだと思って、ピチカはぱちぱちと瞬きをした。意外だが、大切に想われているようで嬉しくなる。

 それとも『自分の妻』という立場の人間が怪我をしたりすると、余計な仕事が増えて面倒だと思っているだけだろうか?

 しかしこのまま屋敷にこもる生活を続けていると、ピチカはヴィンセントの事を考えるあまり、精神的に健康な状態でいられなくなるかもしれない。

 

 と、そこでヴィンセントは、いい事を思いついたとばかりにこう言う。


「そうだ、それなら私の元で働けばいい」

「ヴィンセント様の元で? でも第一隊はエリート部隊ですし、私にできるような仕事がありますか?」

「ピチカは私のそばで事務仕事をしてくれればいい。書類をまとめたりとか……後は……そうだな、休憩の時に一緒にお茶を飲んだりとか……まぁ同じ部屋にいるだけでいい」

「それ仕事じゃないですよ」


 思わず言う。ヴィンセント様って実は天然なのかも、とピチカは思った。

 大体、ピチカがヴィンセントのそばでちゃんと仕事ができるわけがないのだ。緊張してしまってドジばかりするに決まっている。


「それに、事務は魔術を使う仕事ではないですし」


 続けてそう言うと、ヴィンセントは拗ねたようにほんの少しだけ唇を尖らせた。

 

(え? なにそれ。なにその表情! 可愛い!)


 ピチカは心の中で叫んだ。そして『ヴィンセント様ラブ!』の旗をバッサバッサと振る。

 今のヴィンセントの表情に胸を撃ち抜かれてしまったので、ピチカは心臓を抑えつつ、息も絶え絶えに言う。


「明日、アルカン隊長のところへ行ってもいいですか? 何か仕事を紹介してもらおうと思っていて……」


 従者は上着を片付けに部屋を出ていき、ヴィンセントはシャツの一番上のボタンを外し、長い髪を鬱陶しそうにかき上げた。


「アルカンか。ピチカは第五隊にいたんだったな」

「はい。第一隊と違って平和な部隊でした」


 冗談めかして言う。第五隊はシールドを張ったりといった防御魔術が得意な魔術師たちの集まりで、隊長のアルカンを除いて性格も穏やかな人が多かった。

 一方、ヴィンセントがまとめる第一隊は、防御魔術も攻撃魔術もその他の魔術も得意な万能魔術師たちの集まりだ。

 なので第一隊は高給取りではあるものの、いつも難易度の高い仕事をさせられている。万能かつ天才のヴィンセントはそれでも余裕で仕事をこなしているようだが、隊員たちは毎日が修羅場らしい。

 ピチカは話を元に戻して、ヴィンセントに懇願する。


「ヴィンセント様、お願いです。仕事をしてもいいでしょう?」


 恥ずかしい気持ちを抑えて、じっとヴィンセントを見上げる。

 ヴィンセントは難しい顔をしていたが、やがてピチカから視線を外して言った。


「そこまで言うのなら仕方がない。自由にしなさい」

「ありがとうございます!」


 心の中でホッと息をつきながら立ち上がる。これで仕事が見つかれば、ヴィンセントの事を考えて悶々と日中を過ごす事はなくなるだろう。



***



 ピチカが部屋を出て行った後、ヴィンセントはすぐに補佐官のノットに通信を試みた。

 街で適当に買った小さなテディベアのぬいぐるみを取り出すと、それに向かって声をかける。


「ノット、聞いてくれ」

「うおっ!? 何?」


 ヴィンセントが話しかけると、テディベアは驚いたように目を丸くした。口からはノットの声が聞こえてくる。

 

「この声、隊長!? いきなり俺にテディベアなんて渡してきて『部屋に置いておけ』って言うから何かと思えば、何ですかこれ! 何でテディベアが喋り出すの!?」


 ノットの元には、今ヴィンセントが持っているのと同じようなテディベアがあるのだ。ヴィンセントはテディベア二つに魔術をかけて、その一方をノットに押し付け、離れていても話ができるようにしていた。

 ノットは今、若手の兵士や魔術師が使う寮の自室にいるようだ。

 

「今日、家に帰ったら、ピチィが走って迎えに出てきてくれたんだ」


 混乱しているノットを尻目に、ヴィンセントは淡々と自分が話したい事を話す。


「あんた、ピチカちゃんとの事を報告するためにこんな術開発したんですか!? 離れてても普通に話せるなんてすごい術なんですから、もっと大々的に発表してくださいよ! すげー有益な術ですよ、これ!」

「髪を下ろしたままで寝巻き姿のピチィも可愛いんだ」

「聞けよ、俺の話!」

「だけどな、ピチィは仕事がしたいらしく、俺としてはずっと家にいてもらいたいんだが、お願いされてつい『自由にしなさい』と言ってしまった。俺はどうしたらいい?」

「知らないですよ!」


 これどうやったら通信切れるんだと思いながら、ノットはテディベアを投げたくなったのだった。

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