第43話 練習と故障
ジメジメとした梅雨、座っているだけでも汗をかき始めたこの季節。
久々に晴れた空の下、グラウンドで一生懸命走っている連中を見ているとこちら側まで余計に汗をかいてしまうなぁと思いながら陸上部所有のベンチに腰を掛けている。
チョコと俺の関係はもはや学校内公認の関係だ。
だから、こうして横に陸上部の顧問がドシッと貫禄を見せながら座っている横で俺はポテチを片手にポリポリと食べながら青春の汗を出している奴らを見る。
しかし、今日は少しばかり違った風景がここにある。
それは俺の横で俺のポテチに手を伸ばしている西条有希がいることだ。
いつもなら俺と陸上の良さを熱弁している顧問も今日ばかりは緊張気味で選手たちを見守っている。
「んー、久しぶりにここに来たけどやっぱり活気があるなぁ」
「戻りたいか?」
「もう私の実力じゃここにいられないよ。ですよね、監督」
「ん、あ~・・・どうだろうな」
相変わらず、この学校の教師陣はこいつに弱いな・・・。
思わず苦笑いをしながら、ポテチを食べる。
それにしても・・・いつもなら休憩をしているチョコがまだ練習をしている。
大会まで残り2週間と迫っているため、調子をピークに持っていきたいのはわかる。
しかし、あいつにとって本番はインターハイであって、地区大会レベルなら調子をあげる段階でいいはずだ。
ここまで頑張る理由は4継のほかにも金地彩芽という存在がいる。
「金地彩芽ってどんなやつなんだ?そんな速いのか?」
「あれ?その名前どこで知ったの?」
「チョコが言ってた。どんな奴かはお前に聞けって言ってたけど」
「チョコちゃんらしいねぇ。そっか、去年に走ってたんだっけ。彩芽ちゃんは速いよ、才能で言えば私やチョコちゃんよりも上ですよね。監督」
「おそらく。あれは持って生まれた身体と才能の結晶だ」
「へぇ、でも中学ではチョコが勝ったんだろ?」
「東の金地、西の西条・美濃って言われた。関東最速と思ってもいいよ」
「関東って強いのか?」
「化け物揃い。私やチョコちゃんレベルがいっぱい。その中でも彩芽ちゃんは抜けてた。ただ、怪我が多い子だったなぁ。中学も負傷しながら全中4位だったよ」
「ふ~ん、怪我が無ければ圧倒的ってやつか」
「だからチョコちゃんが彩芽ちゃんのことを言うのを嫌がるのは当然だね。私も陸上やってたら言いたくないし。一緒に走ったからこそ分かるよ、あの圧倒的な雰囲気。レーンに入った瞬間から人が変わったように集中して、一緒に走るこっちが弱気になっちゃう」
「去年のインハイはどうだったんですか?監督」
「去年は身体を壊して未出場だな」
「とことん大舞台に合わない奴だな・・・」
「ただ、向こうの顧問が変わったらしく、科学的にやっているらしい」
「ありゃ、ついに彩芽ちゃんもこっち側に来ちゃいましたか」
「根性論派だったのか?」
「彩芽ちゃん自体、そういう子だったから。でも中学の最後の夏では私にどんな練習してるの?って聞いてきてたから興味は持ってたんだろうね。そっか、そりゃチョコちゃんも頑張るわけか」
有希はうんうんと頷きながら俺の最後のポテチを取る。
とりあえず、金地彩芽ってのはチョコの最大のライバルってことはわかった。
監督さんもそれを意識しているのは見え見えだ。今年はただでさえ、短距離勢が厳しい状況だし、仕方がないんだけど。
だけど・・・。
「ん~、でもさっきからチョコちゃんを見てるけど・・・なんだか走り方がぎこちない気がする」
「らしいですよ、監督」
「・・・・・・・・」
「チョコちゃんってもう少しこう足を広げて走っていく感じなんだけど」
「流してる状態で分かるなんて、さすが一緒に走ってきただけあるなぁ。あいつ、ハムストロングってとこ傷めてんだよ」
「へ?辞めさせないの?悪化したら大変だよ?」
「あいつが断固拒否してる」
「でも・・・そっか、4継か」
「そっ。100は走らないから4継は走らせろって条件出してる」
「でも、監督さん。ここでチョコちゃんを潰すことになるかもしれないですよ」
「・・・わかっているんだが」
この監督もこの学校の記録を切るわけにはいかない。
しかし、才能のある選手を潰すわけにもいかない。そんなジレンマの中で出した条件だ。
だが、チョコの身体は確実に傷め続けている。
こうして、1年近くのブランクを持った有希でさえ、見抜くのだから相当痛めつけているんだろう。
「監督、代役はもう決めてるんですよね?」
「・・・ああ」
「あいつ止めますよ?」
「頼む」
監督は俺の問いに悔しそうな顔をしながら頷く。
チョコがいることで地区大会の4継は余裕で抜けられる可能性があった。
だが、これ以上才能のあるチョコを痛めつけるのは元陸上選手だったこの人もやりたくない事だ。未来のある人間を高校2年生で壊すのはどんな人間にもできない。
俺は監督の了解を得ると、ポテチの袋を有希に渡す。
そして、監督に4継の練習をしている選手たちを呼んでもらう。
肩で息をしている選手たちは監督の前に並ぶ。その顔は少しだけ不安そうな顔をしている。
チョコを除いて。
「チョコ、話ある」
「今、練習中なんだけど?」
「もう無理だな」
「無理じゃない。素人のあんたが何言ってんの?」
「1年ブランクのあるやつが見抜いたぞ」
「有希ちゃん・・・ちっ」
俺の後ろでベンチに座っている有希を見て、舌打ちをする。
まるで余計な事を言うな。と言いたげな目をしながら。
確かにチョコからすれば余計な事かもしれない。だけど、それがこいつの選手生命を助けた事に変わりはない。
それにチョコは知らないだけで、すでに4継の代役の人はチョコが帰ったあとにレギュラー勢と一緒にバトンを渡す練習している。
こいつのプライドを傷つけないように。
これ以上、こいつの背負っている責任とわがままで他の人が振り回さられるのは許しちゃいけない。
「チョコ、先に謝る。すまん」
「なに?いきなり」
有希に向けていた目のまま、俺の顔を見る。
しかし、その視線はすぐに外れる。
パンっとチョコの顔が横に弾ける。
「え?」
練習で賑やかなグラウンドが一瞬、シーンと静まる。
俺の右手にはチョコの頬を叩いた感触がジンジンと残る。
「これ以上無理するな」
一瞬何が起こったか分からないような顔をしたチョコの目を見て言う。
こいつはバカじゃない。
「代役は神代。以上、練習に戻れ」
「はい」
並んでいる人たちは監督の言葉を受けると練習に戻る。
あの人たちは自分たちの状況をわかっている。
もう頑張るしかないのだ。チョコという存在が抜けても勝てる事を証明するために。
「監督、こいつを帰らせます」
「頼む」
監督に了解を得て、チョコと一緒に部室へと向かう。
有希は雰囲気を読んでいつの間にか帰っていたらしい。
「悪かったな、手を出して」
部室に付いて、改めて謝る。
やっぱり手を出すのは何があってもダメだ。
チョコは俯いたまま、小さく頷く。
こいつも今まで無理をしてきて頑張ってきたんだ。
それを頬を叩かれて、やめろと言われたら腹が立つのも仕方がない。
「着替えてこい、待っててやるから」
「うん・・・」
チョコを部室の中に入れ、ドアを閉める。
そして、俺はドアの前にため息を吐いて座り込む。
今のあいつを抱きしめてやりたい。だけど、それができないのは自分がまだ弱いからだろうか・・・。
もし、ここでチョコを抱きしめたら、あいつは涙を流せない。
まだあいつの中で俺は弱さを見せられる相手じゃない。
いや、チョコがそんな弱さを見せられる相手はこの世にすでにいない。
「はぁぁぁぁ・・・」
ドアの向こう側からかすかに聞こえる小さな啜り泣く音を聞きながら、静かに大きなため息を点いた。




