第38話 オレンジの香り
「よぉ、今日も頑張っていたな」
太陽の出ている時間が長くなり始めた月。
クラス委員会の会議も終わり、グラウンドに行くと陸上部員がグラウンドを走っていた。
他の連中たちはまだ練習しているというのに、チョコはすでにストレッチをしている。
「俊悟。何か用?」
「彼氏だろ?」
「はいはい。それより何の用?」
「いや、暇つぶし」
「あっそ。あと10分待って」
「まだストレッチするのか?大変だな」
「まぁね、これでもスプリンターだから。ちゃんとしないといざって時に怪我する」
「辛いとこだな、学校の期待の星も」
「そうでもない。そのおかげでこうやって自分勝手にプランを立てられるんだから」
「他の部員から反感買わないか?」
「買う。かなり買ってる。特に先輩から」
「よくそんな環境でやれるな」
「昔からそうだったから慣れた」
ぐね~っと身体を曲げながら言う。
中学からずっと自分一人でやってきたんだ、孤独には慣れてしまっているのだろう。
そういうの分からないけど。
しばらく、柔軟しているチョコを見ながら時間を潰す。
そして、着替えてくる。と言ってチョコは部室棟へと向かっていく。
その後ろ姿は今、グラウンドで走っている連中たちとは全く違う。
これが全国で有数の走り手だと思わせる背中だ。
あの背中は今まで何十人、何百人、何千人という人間たちを落としてきた人間の背中だ。
「お待たせ。帰ろう」
「良いのか?先輩達の事」
「別に。最近、気まずいんだ。最後の大会も近くなってきているし」
「陸上って個人競技だろ」
「まぁね。でも、枠はあるから。私はすでに決定事項だからあと数枠しかない」
「なるほど、先輩同士が悪いわけか。そこに元凶であるお前が参加したらややこしくなるってことな」
「そゆこと。ほら、行こう、今日は寄り道せずに帰る予定だから」
「あいよ」
制服姿に着替えたチョコからは少しだけオレンジの匂いがする。
少し前まではこんな匂いはしなかったが、前に部活後に一緒に帰っている時に汗の話題を振ったせいだろう。
あの時は別に悪い意味じゃなくて、頑張ってるんだなって感じで褒めたつもりなんだけど。
「そういえば、最近まだやってんの?有希ちゃんとファミレス談」
「あぁ、あれな。あいつ、たぶん気が付いてる」
「私とあんたの?」
「それ以外何があるんだよ」
「確かに。そっか…気付いてるか」
「なんだ、気になるのか?」
「いや、別に。それよりも今日は時間ある?」
「なんだよ、さっきは直帰するって言ったくせに」
「いや、俊悟は暇なのかなって」
「暇だな、帰ったらゲームするだけだし」
「そう。それじゃ私の家に来る?」
「……は?」
「別に厭らしい意味無い。ただ、2人きりになれる空間がそこしか思い浮かばないだけだし。他にあるなら別にそこでも良いけど」
「いや、俺としては別に良いんだけど。いきなりなんだよ」
「話したいことがある感じ。ほら、行こ」
チョコはそう言って俺の手を取り、バス停の方へと急かす。
どれだけ早く出ても結局バス停でバスを待つことになるのだが、今日に限っては何故かバスを待っている時間はしーんとしていた。まるであの付き合い始めた頃のように。
変な沈黙はむずむずと違和感があるが、別に嫌というわけじゃない。
周りに人が居ないから手は繋いだままだし、会話が無くても幸せというか心が落ち着く感じはある。
だけど、こいつが自分の家に呼んでまで話すことってのはなんだろうか…。
別れ話なら別にチョコの家でする必要性が無い。むしろ、場所としては最悪の場所だ。
他の可能性としては……まぁアレしか無いわけだけど……あぁ、俺は結構厭らしいのかもしれない。
「スケベ顔になってる所、悪いけどそういうの一切無いから」
「………なんかすまん」
違ったらしい。この線は今回に関しては無いと自分に言い聞かす。
ということは何を話すのだろうか……。
バスが来るまでじっくりと考える時間はある。
しかし、そう言う時に限って時間ってのは早く感じられ、いつの間にかバスがこちらへ向かってくる。
「なぁ、何話すんだ?」
「まだ言えてない事。ほら、手を放して」
「あぃよ」
バスが停車すると共に俺とチョコの手は離れ、バスの中に入る。
そして、定位置とも言える座席に2人座り、流れる風景を見る。
その流れる風景を見ながら俺はチョコから何を語られるのかという疑問に答えを探し続けた。




