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ヴォルフさんの苦悩  作者: イブスキー
9/10

第9話

 琥珀が埋め込まれた銀の指輪だった。琥珀色とは良く称したもので、赤みがかった茶色のその石には、小さなインクルージョンが含まれている。“精霊の指輪”とルーカスは言っていたが、正しくその通りで、細い羽根、人のような体、広げた手足といったその形に驚きを隠せない。よもや本物の精霊が取り込まれているとは思わないが、もしこれが虫だとしても、この世に無二とない稀少なものであろう。


「スイスター夫人が死ぬ前に教えてくれた。クルトを殺したのはルーカスだって。あの人は全部分かってたんだ」

「それでも、夫人はルーカスと普通に接していたのか?」

「クルトもルーカスも自分の息子だからって。でもルーカスに報いを受けさせなければならないから、僕に指輪をくれるって、泣きながら言ってた」

「その指輪には何の意味が……」


 ふと背後から人の気配を感じ、二人はゆっくりと振り返る。木漏れ日に黒の上着を反射させ、その男、ルーカス・スイスターは立っていた。光の加減か、薄茶の髪は緋色に透け、口元に浮かんだ含み笑いに、ヴォルフは男の本質を見たような気がした。


 心に隠している悪が滲み出た瞬間ほど、人間が獣以下であると感じることはない。エディクのように絶えず毒を放出している方がまだマシで、目の前の男に、果実から這い出してきたウジを見た時のような嫌悪を覚え、ヴォルフは思わず唾を吐きそうになった。


「それは俺が説明しますよ」

「そりゃ、わざわざ申し訳ないな」

「どうせつまらない詮索をするのだろうから、真実を俺が話した方が手っ取り早いだろうしね。その指輪を君がどうやって母から騙し取ったかは知らないが……」

「な、何っ!」


 飛びかからんばかりになったユーリィの肩を、ヴォルフは背後から押さえ付ける。振り返り睨み上げたユーリィに首を振って堪えるように促すと、彼は肩で息をしながら、怒りの矛を何とか収めたようだった。


「その指輪はね、君なんかには手に入らないような、高価な代物なんだよ」

「こんな指輪……」

「その高価な指輪を売って、あんたが潰しかけている家を立て直そうっていう算段か?」


 ユーリィを遮りヴォルフが答える。もう二度とルーカスなんかと会話をさせるつもりはなかった。


「あの男が脅迫しなければ、こんなことにはならなかったんだ」

「それほど金回りが良さそうには見えなかったが。家が潰れるほど要求したとは思えないね」

「黙れ! 母さんと引き合わせたのが裏目に出たみたいだな。つべこべ言わずに指輪を渡せ!」


 ヴォルフはこれ以上、ルーカスの醜態をユーリィには見せたくなかった。たとえ幻想であっても、ルーカスと接することでエディクを忘れようとしていた彼が、こんな姿を見たらいったいどう思っているか。前に立つユーリィがどんな表情をしているのか分からない。けれどきっとまた、あの哀しみを孕んで瞳で彼を見ているに違いないとヴォルフは思った。


「みんな、クルト、クルト、クルト。アイツがちょっと頭がいいからってチヤホヤしやがって、俺を除け者にするからいけないんだ」

「スイスター夫人は君がクルトを殺したことを知っていたんだぞ。それなのに、あんなに優しく接していたじゃないか。君だって大切な子供だって思っていたから……」

「だったらなんで、そんなガキにあの指輪を渡したんだよ」


 その言葉にユーリィが僅かに顔を上げる。


「それは、クルトを殺した罪を償わせるって……」

「ほら見ろ。結局あの人はクルトしか可愛くなかったんだ」

「お前はガキか?」


 そう言って鼻で笑ったヴォルフを睨み付けるルーカスが、だんだん哀れに思えてきた。ここにもまた、得られない愛情に悪意を抱えて生きている人間がいる。人間とはここまで下らない生き物なのかと思うほどに、彼の醜態は酷かった。


「クソッ! あの男、殺せって言ったはずなのに金だけ持って逃げたのかよ」


 吐き捨てるようにルーカスが言うと、彼の背後から例の黒ローブの男が現れた。


「それは聞き捨てならないな」

「だったら、早く奴らを殺せ。クルトの件で脅し取ってた分は、働いて貰うぞ」

「なるほど、クルト殺しで脅迫されていたのか、お前」


 要するに因果応報を身を呈して表現していたらしい。


「何とでも言え! お前らはここでクルトのように死ぬんだ」

「やってもらおうじゃないか」


 槍を構え直し、ヴォルフがにじり寄る。背後にいるユーリィに“隠れてろ”と口早に言うと、魔獣使いが動く寸前に、その肩口めがけて矛を繰り出した。しかしさすが一筋縄ではいかない相手のようで、矛先が触れる直前にバク転でかわした敵は、胸元からナイフを数本投げてくる。それを切っ先で叩き落とすと、金属音が辺りに響き、木々の間を抜けていった。


「子分がいないと戦えない野郎に負けるかよっ!」


 叫びながら、槍を握って相手に詰め寄る。まるで猿の如く逃げる男だったが、ヴォルフのスピードには一歩及ばず、やがて追い詰められ、腹へ喰らった一撃で、口から血を吐き出し、その場へ崩れ落ちていた。


「チッ、世話を焼かせやがる」


 捨て台詞を吐き、振り返る。既に逃げの体制に入っていたルーカスに狙いを定め、ヴォルフは血に染まった槍を引き抜くと、彼に向かって突進しようと走り出した。


「や、やめろ!」


 恐怖に歪むルーカスの顔に腹が立つ。これほど情けない男に、たった十五年で人生を終わらされたクルトが哀れでならなかった。ユーリィに似たその少年がもし生きていたなら、彼は今頃どんな夢を見ていた事だろう。


「自分が死ぬ時は、命乞いかよ」

「お、俺は何も悪くない……」

「へぇ、お前の弟が聞いたら、あの世から唾を吐くぜ」

「クルトは、クルトは俺から全部奪ったんだ。だからアイツが……」

「うるせぇ!」


 そう怒鳴って、ヴォルフが槍を繰り出そうとした瞬間だった。


 何か紫色のモノが背後から真っ直ぐに飛んできて、ヴォルフの頬を掠め、ルーカスの胸元を貫くのが見えた。


「ぐぁぁぁぁぁ!」


 おぞましい叫びが静寂色の湖畔を切り裂いて、八方へと飛んでいく。鮮血が風に散る花の如く辺りを染め、ルーカスの体は横倒しに地面へと崩れていった。


 槍を握り締め、ヴォルフは茫然と立ち尽くしていた。足元に転がるルーカスはピクピクと痙攣を始め、ほぼ瀕死の状態で宙を見つめている。まだ息はあるが、死に至るまで数分はかかるまい。


 何かが彼を襲ったのは分かったが、それが何か、ヴォルフにはまったく見えなかった。


 やがて草を踏む足音が後方から流れてくる。顧みればユーリィがその手にシミターを握り締め、悄然とした顔でこちらへと歩み寄って来ていた。


「君がやったのか?」


 ヴォルフが優しく問い質す。


「よく分からない……」

「分からない?」

「剣舞でコイツを倒そうと思った。コイツだけは許せなくて。だけど『鎌鼬の舞』を踊り始めた途端、体が言うことをきかなくなって、気付いたらこの指輪から……」


 そう言って差し出した指輪には、例の精霊は姿を消していた。


「ま、まさか精霊が……?!」

「あの人は、“ここにはロアが眠っている”と言ってた」

「ロアって言うと、“死者の魂を宿している”というあれか……」


 もし本当にそうだったとしたら、ルーカスを襲ったのは夫人の魂だったのか、それともクルトのだろうか。


「俺は……悪くない……」


 足元でルーカスが呻くようにそう呟き、やがて死に絶えた。いずれにしても彼は報いを受けたのだ。ヴォルフは瞳を冷たく凍らせて、その死骸を見下ろしていた。


 


「アイツ、どうして僕を母親の所に連れて行ったんだろう?」


 帰り道、ユーリィは感情の籠もっていない声で呟いたのを、ヴォルフは穏やかな目で彼を見返した。


「あんなヤツの気持ちは知らないが、少しは罪悪感があったのかもな。それとも母親に取り入ろうと思ったのか」

「僕、本当はルーカスがクルトを殺したんじゃなかったらいいって思ってた」


 淡々と言ったセリフだったが、何処か痛々しい響きがある。


「ルーカスがクルトを殺してなければ、エディクだって僕を本当は嫌いじゃないんだと思えたから。エディクのこと嫌いなのに変だよな」


 乾いた笑いを浮かべた少年の顔が、とても寂しく感じられる。言葉とは裏腹に、彼は永遠に“兄”を追い求めているのかもしれない。幼かった彼にとって、世界の全てはきっと兄だったのだ。どんな虐待を受けようとも、子供が母を求めるように、彼はエディクを求めて生きてきたに違いない。


「エディクもアイツみたいに、“俺は悪くない”って思ってるんだろうなぁ……」

「君の兄貴は、あの男ほど馬鹿じゃないと思うぜ。エディクは自分が悪いことを知ってるはずだ」

「それは最低最悪だ」


 そう言いながら、ユーリィの顔が明るく輝いたように見えたのは、気のせいだろうか。


 

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