第8話
街の外れに共同墓地と呼ばれる場所がある。名も知らぬ行き倒れの者から、町の実力者に至るまで、その場所に埋葬され眠っているという。
スイスター夫人の墓はその共同墓地の外れ、湖が一望できる小さな丘の上にあった。真新しいその墓石の隣には、古い墓石が二つ並んでいる。片方はスイスター氏で、もう一つはクルト少年のものであろう。
墓石に刻まれている墓誌を読むと、“その叡智、永遠なる太陽の如く”、“その煌めき、唯一つの星が如く”、“その穏やかなる光、皓月の如く”となっている。もしここにルーカスの墓が建てられたとしたら、いったいどんな墓誌が刻まれるのか、ヴォルフは大いに興味を持った。
(太陽、星、月となると、次は虹、空かな。いや案外、蝋燭だったりして)
それはともかくとして、ユーリィの姿を探してみる。周辺には大小様々な墓が並び、人一人ぐらい隠れるのは容易であろう。ヴォルフは人影を求めて、辺りを彷徨き回った。
“パーン”という軽い爆発音が聞こえてきたのは、少し経ってからである。ハッとなったヴォルフは槍を小脇に抱え、音の聞こえた方角へと走り出した。
(毎度お馴染みの展開か?!)
辿り着いた先は、墓地群から少し丘を下り、散り始めた自生の花が橙の花弁を散らしている場所を越え、細い木々が立ち並ぶ湖の畔であった。
辺りを囲む木々からこぼれ落ちる陽差しが、六角形を成して瞳へと入ってくる。目を細め、風に擦れる葉音の中から、人の気配を感じ取ると、少し拓けた場所に動く影があった。
槍を構えジリジリと進んでいく。見えない敵を警戒するのもさることながら、ユーリィにいきなり爆破されるのも敵わない。いったい何が起こっているのか、それを知るのが先決だった。
焦げ臭い匂いが漂ってきた。先ほどの爆発音によるものなら下草でも焼いたのだろうか。生木が燃えるすえた匂いに臭覚を刺激されながら更に進むと、突然何かが横から躍り出てきた。
「ヴォルフ、気を付けろ!」
ユーリィの叫び声が、静かだった木立の間に抜けていった。
ほぼ反射的に、ヴォルフは槍で身を防ぐ。同時に躍り出たモノが、槍の柄に襲いかかり、力に押されてヴォルフは数歩飛び退いた。
出てきたモノは、四つ脚の獣だった。三ツ目に長い鼻、口よりはみ出した数本の牙が無ければ、豹の類を想像するであろう。躍動的な動きでその場から飛び上がり、再びヴォルフに飛びかかってきたが、すかさず槍を両手で突き出す。だが矛先が肉を切り裂く瞬間、相手は身を捩らせて、背後へと着地した。
長く覆った焦げ茶の体毛が逆立っている。黄色く光った目には瞳がない。
「そいつ、火を吐くぞ!」
ユーリィの言葉を証明するように、目前の魔物はカッと口を開き、赤く燃える玉を二つ三つと吐き出してくる。ヴォルフは横飛びでそれをかわすと、いつの間にか背後から襲ってきた魔物に、槍の柄で一撃を加えた。
こんな事で倒せる相手ではないのは百も承知だ。屈せず伸びてきた前脚の爪に、肩口を切り裂かれる。間一髪で僅かにずれて、被害を服だけに留めると、更に突進してくる相手に回し蹴りを与え、転がるように死角へと逃げ延びた。
(手強いな。鎧無しじゃキツいぞ、これは……)
肩で息を整えつつ、間合いを取りつつ更に退く。こちらの力を見限ったらしい魔物が、余裕を持ってジリジリと迫ってきた。完全に不利な状況らしい。
ユーリィは何処にいるのだろう。探したいのは山々だが、今は敵から目を離す暇などない。再度襲ってきた相手を矛先で牽制し、火の玉を避け、爪を振り払う。噛み付こうとする牙を一本、槍先でへし折ったが、そんなことは物ともされなかった。
(コイツ、動きが人間臭いな)
経験による実感だ。
(ってことは、魔獣使いか)
サッと視線を走らせる。相変わらず余裕はないが、相手の動きは読めてきた。魔物をかわしつつ、気配を感じ取ろうと聞き耳を立てると、ユーリィの叫び声が聞こえてきた。
「斜め後ろっ!」
と、同時にその方向から何かが一閃し、続いて人らしき足音が駆けるのを耳にした。
「後ろの黒いのは僕がなんとかする。ヴォルフはその猫もどきを倒せ!」
いきなり命令形だ。
なんとかするとは何をするつもりだろうか? まさかこの辺一体を爆撃し続けるつもりなのかと戦々恐々としながら魔物と対峙していると、そこいら中に閃光が走り、ヴォルフは背中に冷や汗を感じた。
「頼むから、俺を爆破させないでくれよ!」
「大丈夫ッ!」
何が大丈夫なんだか。
閃光煌めく中、動きが鈍くなった魔物に槍を構える。先ほどより数段遅い相手は、ヴォルフの連撃の餌食となり、数分後には地に触れ伏していた。
時同じくして閃光もおさまり、いつの間にか傍らにユーリィが佇んでいた。彼はある一点を睨んでいる。木陰に紛れ、その姿は捉える事は出来なかったが、ヴォルフもまたそこに人が立っていることを確信した。
「まだやるつもりか?」
“チッ”という舌打ちと走り去っていく足音を聞き、ユーリィはそれを追おうとした。ヴォルフはその襟首を掴んで引き留め、首を横に振った。
「深追いをする必要はないだろう?」
「で、でも!」
「追いつめたい人間は他にいる、そうじゃないのか?」
ヴォルフが優しく尋ねると、ユーリィは両肩の力をゆっくりと抜いた。
「それにしても、派手な攻撃だったな」
「閃光弾。光魔法が込められているって、ソフィニアの闇市で説明された」
「相変わらず、胡散臭いモノを持ち歩いてるな。まあ、爆弾じゃなくて良かったよ」
笑いながら戯けて言ってみたヴォルフだったが、反論もせずに俯き加減に足元を睨んでいるユーリィに、真顔を作り直した。
「怪我がないか?」
「……うん」
ユーリィは消え入るような小さな声で返事をすると、微かに頷いた。
「君はルーカスのことが好きだったのか? つまり人間としてという意味だが……」
「僕は好きとかそう言うの、よく分からない。でもルーカスが……」
「ルーカスが?」
「ルーカスともし本当に兄弟だったら、もしエディクがルーカスみたいだったら良かったのにって、そう思ってただけだ。ルーカスはいい人だと思ってたから、エディクみたいな事はしないって……」
涙声になりつつある声をユーリィは必死に堪え、最後は唇を噛んで感情を抑えたようだった。
「俺に話してくれたら良かったのに」
「だってあんなに迷惑をかけたし、ヴォルフもエディクが嫌いだろ? だから“もしルーカスがエディクだったら”なんてこと、恥ずかしくて言えるはずないじゃないか」
ユーリィが内心エディクを慕っていることは、ヴォルフも薄々感づいていた。彼は幻影を探すように、エディクの中に優しさを追い求め、そして傷付いていた。そのエディクの幻を、ルーカスに求めるのは当然のことだろう。
自分とよく似た人間を弟に持つ男。優しく、理解力があり、笑みを絶やさない兄。ユーリィはきっとルーカスに接することで、過去にあった兄との確執を忘れようとしていたに違いない。今頃になって、ヴォルフはユーリィの内面を理解する事が出来た。何と鈍かったのか、それを思うと本当に自分が嫌になる。
だが許されないのは自分だけではなく、ルーカスの方が重罪だ。彼は自分の弟を殺したばかりではなく、ユーリィまでも抹殺しようと企んでいた。その理由は定かではないが、想像しうる範囲の理由だろう。
「もしかしたら、君が例の指輪を持っているのか?」
ヴォルフの問いに、ユーリィはポケットから小さな指輪を取り出すと、右手中指にはめて見せた。