第7話
次の朝、別れの挨拶をしにユーリィの部屋を訪れた。永遠の別れぐらいはしてもいいだろう。あのまま別れたのでは、さすがに後味が悪い。
だが彼の部屋を何度叩いても、まったく反応は無かった。どうやら完全に嫌われたらしい。肩を落とし、部屋を引き払う為に宿屋の主人を訪ねると、眠たそうな男は怪訝な顔でヴォルフを見返した。
「お帰りですか?」
「ええ」
「ユーリィ様は残るんですか?」
「そうみたいだね」
「だったら、あの伝言はなんだったのかな……」
「伝言?」
主人は大きく頷くと、入口の扉を眺めながら、
「今朝早く、ユーリィ様はお出かけになりましたよね?」
「出かけた?! どういうことだ?」
ヴォルフの勢いに押されて、主人が一歩退く。
「知りませんよ」
「伝言ってなんだ?」
「もし今日中に自分が戻らなかったら、貴方に部屋を引き払うように伝えくれと」
(いったいどういうことなんだ?)
もう随分日が高くなっている。閑静な町を往来する辻馬車を避けながら、ヴォルフはスイスター屋敷の前で立ち尽くしていた。
結局、宿部屋を引き払うのは取り止め、荷物を部屋に投げ込んで、ユーリィを探しに出てから半時が経っている。スイスター家を訪れたが残念ながらルーカスは留守だった。もしかしたらユーリィと一緒なのかと思ったが、使用人は“町の会合に出かけた”と教えてくれた。
(ルーカスと一緒だと思ったんだけどな……)
もしそうなら心配する事はない。宿部屋を引き払えというのも、ルーカスとしばらく暮らすつもりなのかもしれないじゃないか。
だがこの胸騒ぎはなんだろう。何か不自然なものが感じられるのだ。何かがおかしいと思っているのに、それが何かわからない。
(それはなんだ? 考えろ、ヴォルフ)
出会ってから今日に至るまで、変だと思った事を一つ一つ思い出してみよう。ユーリィが言った事、ルーカスが言った事、夫人が言った事など思い出せば、何かが見えてくるかもしれない。
(そういえば、夫人が死んだ時、ユーリィの様子は少し変だったな。あんなに懐いていたルーカスにも妙な態度だった)
そういえば何か伝えようとしたことがあったことを思い出す。“ルーカスがもし……”。彼は確かそう言った。
(あの時、アイツは何を言おうとしたんだ? もしなんだって言うんだ?)
ヴォルフは小さく首を振った。ユーリィの心が掴めない。こんなに大切に思っているのに、その心が読めない自分が情けなくなってきた。
(今は凹んでる場合じゃない。それより屋敷で見たあの男も気になるな。目つきがやたら悪くて、胡散臭いヤツだった。使用人だって言われたけど、あれはどう見ても使用人じゃないな。どっちかというと同業者だ。
同業者? つまりハンターってことか? だがあれがハンターなら、真っ当な仕事などしている輩ではない。どちらかというと暗殺やその手の類を生業にしている男だ。
暗殺? 暗殺って誰を暗殺するつもりだ? まさかスイスター夫人? いや、彼女は間違いなく病気だった。毒でジワジワ殺すって手もあるが、別にハンターでなくても出来るな)
その時、自分の言葉にヴォルフはハッとなった。
(まさかルーカスが母親を? でも何の為に? もしそうなら夫人が気付かないはずがない。彼女は鮮明で、物事がきちんと見える人だった)
ならばどういうことだろう?
ヴォルフは回転の悪い自分の頭にイライラした。こんなに俺は鈍かったのだろうか。
「アルがいてくれたら……」
友人の顔を思い浮かべ、その名前を口にしてから、ヴォルフは大きく首を振った。
(無い物ねだりは止めよう。とにかく出来る限り考えろ、俺。そういえばルーカスは指輪がどうとか言っていた。母親が死んで何日も経っていないのに、あんな話を始めるなんて変じゃないのか?)
そう思ったヴォルフは、近くを通りかかった男に尋ねる事にした。
「スイスター? ああ、昔は羽振りが良かったが、息子の代になってからはサッパリだね。最近奥方が亡くなって、もう風前の灯火ってヤツよ。昔からあの長男には両親も手を焼いていたから、死んでも死にきれなかっただろう。この屋敷を手放すのも時間の問題だな。せめて下の息子が生きていたら、もう少し違っていたんだろうが……」
「下の息子って、クルト君のことか?」
「ああ、あの子はこの町きっての天才と言われて、ソフィニアの学校でも首席だったそうだ」
だんだん話は見えてきた。クルト少年が“魔物に殺された”という時点で気付くべきだったのかもしれない。幾ら外の世界には魔物の類がごまんといるとはいえ、町に住んでいる人間が早々に魔物になどには襲われはしない。
もしかしたら弟殺しの首謀者はルーカスかもしれない。屋敷にいたローブ男も何か絡んでいる可能性もある。
けれど未だにユーリィの気持ちが分からない。彼はルーカスの本性を知っていたのだろうか? 例の指輪に関しても、ルーカスが尋ねた時、彼は無表情に“知らない”と答えたが、あれは嘘をつく時の彼の顔ではなかっただろうか?
「ユーリィ、何で俺に相談してくれないんだ?」
一番近くにいたつもりだったが、彼にとっては本当に意味のない存在だった自分を改めて思い知る。
「俺はそんなに信用されていなかったのか……」
泣きたくなるほど悔しく情けなかったが、今はそんな事を考えている場合ではない。ユーリィが何かしでかそうとしているような気がするのだ。そして本人もそれが危険を孕んでいると感じている。でなかったら、“部屋を引き払え”など伝言するはずがない。
「何処だ、何処にいる?」
その時ふと、ヴォルフの脳裏にある場所が浮かんできた。
(きっとあそこだ)
そこ以外に考えられないと妙な確信を持って、ヴォルフは屋敷の前から離れた。