第2話
ソフィニアを出発して十日後、ヴォルフは指定された町に着き、指定された時間にギルド前で待っていた。会って早々、ご機嫌を損ねたくないので、しばらく抱き締めたり、無理やりキスしたりするのは我慢しようと決意している。今回は恋の駆け引きを楽しんで、それから徐々に懐柔していき、最後は……。
妄想で歪みかける口元を必死に引き締め、ヴォルフは周囲を見渡した。
魔法都市ソフィニアからほど近いこの町は、内陸部に大きく入り込んだ湾岸にある。避寒地としても有名で、真冬には北から大勢の富豪や貴族達が訪れる。建ち並ぶ家々は石灰で出来た白壁で、気温が下がり始めるこんな時期でも、太陽が反射して眩しかった。
まだ大陸が冷え込むには早すぎるせいか、人通りはそれほどない。しかし通り過ぎる人間は一様にヴォルフをジロジロと眺めていく。ギルド前で槍を片手に立っている男は、ちょっとした見世物のようだ。鎧こそ付けていないが、黒の分厚い皮のジャケットとブーツ、しかもブルーグレーの髪を束ねた ――伸びてしまったので結んでいるだけだが―― 男は、こんな長閑な町では珍しいのかもしれない。少々気恥ずかしくなり、ヴォルフは待ち人が早く現れないかと、ブーツの爪先をイライラと動かした。
やがて一台の馬車が通りの向こうから現れた。どこか錆び付いているのか、車輪を軋ませながら近づいてくると、ヴォルフの前でぴたりと止まる。
その扉がゆっくりと開き、やがて現れたのは“愛しき君”、ユーリィ・イワノフその人だった。
地面に降り立った彼の金髪が風になびく。やや吊り気味の目が上目遣いにヴォルフを見る。白目の少ないその瞳は凪いだ海のように青く、以前よりも輝きがあった。相変わらずの無表情だが、形の良い唇にも少し笑みが浮かんでいた。
「久し振りだな……」
内心の喜びを押し殺し、ヴォルフは優しくそう言った。
「うん」
「背が伸びたか?」
「ちょっと、ね」
はにかみながらそう言ったユーリィを、ヴォルフは改めて見下ろした。
モスグリーンの上着には、相変わらずポケットが沢山付いている。その中にはきっと秘密道具が隠されているのだろう。この半年でどれくらい爆破したのか聞いてみたかった。
片手には何故か大きなバスケットを持っている。蓋付きの四角いその籠は、まるでピクニックからの帰りのようだ。ユーリィには似合わないそれを、ヴォルフは怪訝な顔でじっとみた。
「その籠は……」
そう言いかけた時、ユーリィの背後から人の気配がした。
扉が開かれた馬車から若い男が姿を見せる。爽やかな笑みで降りてきたその男は、「こんにちは」と言いながらユーリィの横に立った。
薄茶の髪は綺麗に整えられ、上質の上着には皺一つ無い。いかにも上流階級と言った風情の男は、笑みを絶やさずヴォルフに手を差し出した。
「はじめまして、グラハンスさん。僕はルーカス・スイスターと言います」
「あ、ああ」
「驚かれてるようですね」
「ええ、まあ、少し」
握ったルーカスの手はやけに冷たかった。
「今日は貴方に会う約束だとユーリィ君が言うので、ここまで送ってきたんですよ。ねぇ?」
「うん」
ルーカスを見上げたユーリィの顔は、ヴォルフには見せたことのない微笑みがあった。
もしかしたら最悪の事態が発生しているのかもしれない。目の前の光景を見ながら、ヴォルフは気の遠くなるような気持ちでいた。
「じゃあ、明日もよろしく頼むね」
ユーリィが頷くのを見て、ルーカスは馬車へと引き返す。窓から片手をあげて挨拶をした彼を乗せて、馬車は車輪を軋ませながら二人の前から消えていった。
“あの野郎はどこのどいつだ?!”と、胸ぐら掴んで尋ねたいのを必死に我慢して、ヴォルフは表情を崩さずにユーリィを見た。あれほど期待していた再会が、辛いものに変わっていく。
「えっと、誰?」
「話は宿でするよ。まだ決めてないんだろ、泊まるところ?」
ヴォルフの足元に置かれている荷物を見ながら、ユーリィはそう言った。