或る男の記録。
黒い髪。赤い瞳。男は月光に照らされた部屋の中で、眠りから目覚めた。
机に置かれた薄い紙と、一冊の分厚い本。本棚に並べられた、お気に入りの小説や、専門書。その内の一冊を、細く白い手が何気なく手に取った。ぱらり、と捲る音。手垢の残る古い本である。そして、その本に描かれた一枚の挿絵。
それを見た、瞬間。ふと、脳裏に浮かぶ光景。先程まで寝ていた男が最後に見た、優しい光景だった。
男女一対。長く伸びた影。重ねられた手と手。曲がった背中。縁側に座る二人は、縁側のある古風な庭に居た。白く輝く太陽光に包まれた二人が、大樹の下に座り、微笑みあっていた。周囲に人は居ない。隠れている訳でもないし、逃げている訳でもないようだ。
茶髪の髪のままの、男。彼は優しく女の肩を抱いた。
桃色の髪をした、女。彼女はそっと男に寄り添った。
幸せだ、と。
貴方の隣が夢のようだ、と。
ずっと共に居よう、と。
真っ白に包まれて、二人は消えた。正しく記すなら、男の眼前で「映像が消えた」と、記すべきなのだろうか。男には、何が起こったのか解らなかった。ただ一つ分かるのは、「自分が見たモノが夢であった」事だった。ただそれだけだった。
男は考えた。
これは何だったのだろう、と。男には、「夢」の概念が無かった。概念は無かったが、「記憶」の概念はあった。何故かは知らない。だが男はそういう人だった。
男は、筆を手に取った。何かを思い立ったのである。
その日から、男は部屋に籠った。
男には家族もいなかった。自分が住んでいる家には、最低限の家具と、食器と。
敢て数えるのならば、一対の人形が男の家族だった。
これが、男が生涯を傾けた伝説の作品であった。
(続く)
初めまして。壊拿と申します。
これは、廓と戦の御話。だけど事実史は全く関係がありません。
果たして、どんな物語になるのでしょう?
これは、男が夢の果てに見た(唯一憶えていた)最後の光景を、男がその前後を想像して作品にする、そんな物語です。