ユメウリ プロローグ
夜の街を人々が我先とばかりに歩みを進める。
周りには巨大なビルが立ち並び多くの人々を飲み込み吐き出していった。
その中心にある立体交差点では、
多くの人々が肩を揺らしながらただどこかへ向かっていた。
誰も何一つ気づく事無く、誰の肩にもぶつかる事無く。
車のフロントガラス越しにその様子を見つめる人々は、その人の流れを
ただ無機質にただ記号的にを自分たちを阻むものだと、どこか疎ましく感じていた。
その中心。
その立体交差点の中心に僕は立っている。
誰にも気付かれず、
誰にも触れられず、
誰にも疎まれない。
それがゆえに
誰からも愛されず、
誰からも抱きしめられず、
誰からも憎んでさえもらえない。
皆一様に、ぼくの存在に気づく事無く、服の裾さえ触れ合う事はない。
やがて、信号が点滅し立体交差点から人が消えた。
代わりに、鋼鉄の自動機械が、唸り声を上げてぼくの体を横切った。
けれど、ぼくは傷つきもしないし、それによって気分を害する事もなかった。
当然だった。
ぼくと彼らの間には大きな隔たりがあったから。
それは、大きな大きな『壁』と言ってもいい。
それを通り抜ける事ができたなら、きっとその人は大きな代価を
手に入れる事になるだろう。
あの人のように。
「それでは、東堂氏による講演を…」
ビルの一角に備え付けられた巨大なディスプレイに白衣を着た男が映った。
彼は、何かを早口でまくし立て、自身の正しさを証明しようとしているようだった。
だけれど、交差点の人々も、鋼鉄の自動機械に乗る人々も、
誰一人その言葉に耳を貸す事はなかった。
なぜなら、彼らはそんなもの望んではいなかったから。
彼らが望む物、それは…
ぼくは、空を見上げた。
空には無数の光が宙に浮いていた。
それは全て彼らの生み出した願いだった。
『長生きしたい』
『お金が欲しい』
『美味しい物を食べたい』
単純で、それがゆえに強き願い、夢。
ここには、それが満ち溢れていた。
ぼくは、空を見つめた。
空はどこまでも暗く、どこまでも冷たかった。
この空の先には何があるんだろう。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
だけど、すぐにパタリと考えるのをやめた。
どうせ無駄だから。
そこには、きっと『ぼくの期待したもの』があるだけだ。
ここは、そんな世界だから。
ぼくの目の前をよぎり無数の光達が宙を舞う。
まるで、透明に輝く雪のようにしんしんと。
ぼくは、ずっとこの世界でそれを見守り続けてきた。
その中の一つの光をじっと見つめてみる。
その光は、どこか頼りなさげにふわふわと宙を行ったり来たりしていた。
「おいで」
ぼくは、その光に向かって手を差し伸べた。
その光は、不規則にゆれながらもゆっくりと確かにぼくの手の中に収まった。
その光はある少年の願いだった。
『好きな娘がいた。
けど、その好意を口にだす事が出来ないまま卒業し、二人は別れ会う事はなくなった。
それでも、まだその娘の事を心に思っている。気持ちだけでも伝えたい、伝えたかった』
そんな後悔にも近い、儚げな夢。
きっと、現実の世界なら叶う事はきっとないだろう。
例え、何かの偶然で二人が出会えたとしても、その思いを口にだす事は難しい。
だけど…
この世界なら『全てが叶う』から。
ぼくは、優しくその光を、その願いを両手に包んだ。
光は、ぼくの手の中で小さく形を変えた。
一人の男の子と女の子が互いに向き合って話をしている。
やがて、二人はお互いに背を向け去っていった。
そうして手の中にあったはずの光が、消え失せていった。
きっとこれで願いが叶ったのだろう。
会話の内容は聞き取る事はできなかったけど。
もしかしたら、男の子はいとも簡単にふられてしまったのかもしれないけど。
それでも、その夢は確かにこの世界で叶えられた。
ここは、そんな世界。
全ての願いが集まり、叶えられるはずの場所。
現実では叶わない行き場の無くした夢達が、ここに集まってくるのだ。
そして、この世界はそれら全てに祝福を与えようとする。
けれど…
また一つの光が消えていった。
それは、この世界から居なくなった事を意味する。
行ってしまったのだ。別の世界に。
自身の手で夢を叶えるために。
その光はやがて、別の世界で姿形を変えてゆく。
と、
その隣を一つの影が横切った。
「拓人!そっち行ったで!」
女性の声。
「わかっている。こっちはすでに四体片付けた」
少年の声。
「上々や!」
そう言って、女性は目の前にいる巨大な怪物に向かい、トンファーを打ち付けた。
一度、二度、三度。
彼女の何倍にも匹敵する体躯に怯む事無く、その武器を振り下ろし傷めつけた。
そして…
「これでトドメや!」
一つ後ろへ宙返りを決めると一気に駆け出し、敵を一閃。
その武器は、敵の体を確かに貫いた。
敵は苦しそうな声をあげると、かすかな悲鳴を残し消え失せていった。
ぼくはただ誰にも気づかれる事無くそれを傍観しているに過ぎなかった。
ここは、そんな世界。
どこまでも優しくて、どこまでも無慈悲な夢の世界。
行き交う人々のため息も、
けたたましく鳴る自動車のクラクションも
並み居る敵を倒し気炎を上げるその女性も、
それを冷ややかに見つめる少年も。
そして、このぼくでさえ。
所詮、夢物語にしか過ぎなかった。
空を見つめる。
あぁ、また一つ光がやって来た。
それに向かいぼくは、手を差し出しこう言った。
「ようこそ、楽園へ」