第34話 高校1年生 ~あるはずのないこと~
その夜、由奈が眠った後、桂花からのLINEが入った。
(LINE)
桂花
「明日、会えない?」
由奈は翌朝起きてから気づいて返信した。
由奈
「返事遅くなってごめん。今日、午後から会えるよ」
桂花
「じゃ、中学校に1時半で」
由奈
「了解」
由奈は、にわかに楽しみな気分になる。
この前会った時には、桂花とあまり話せなかったから。
でも――
(あんな夜中にLINE送ってきてたなんて、何かあったのかな……)
一瞬、あの本のことがよぎったが、すぐに思い直す。
(もし、また本が光ったりしたら慌てて知らせてきただろうし)
昼食を食べて、由奈は出かける準備を済ませた。
外に出た途端、強い日差しに目を細めた。
静かな屋外に、セミの声だけが響いている。
中学校は待ち合わせにいい位置にある。
歩いて15分ほど。
中学校に近づくと、桂花がすでに待っているのが見えた。
「桂ちゃん、お待たせ」
「ううん。私も来たところ」
由奈はフェンス越しにグラウンドを眺めた。
校舎も見える。
「懐かしいな」
(卒業して半年も経っていないのに)
夏休み中でも、生徒や先生がちらほらいる。
桂花の表情はどこか固く、口数も少ない。
(どうしたんだろう。家で何かあったのかな……)
桂花の、少し重そうに見える手さげ。
(まさか、あの本?)
「暑いし、行こうか」
二人はそのまま、終業式の日に行ったカフェへと向かう。
天井のランプも、BGMも、あの時と変わらない。
ドアを開けた瞬間、冷たい空気が肌に触れた。
外の熱気が嘘みたいに引いた。
(この前は、ここでいろいろあったなぁ)
思い出すと、ため息が出た。
二人はあまり人目につかないボックス席を選んだ。
注文したものが運ばれてきたが、桂花はほとんど口をつけなかった。
カップを持ち上げては戻し、何か言いかけてやめる。そんな様子を繰り返している。
(なんだろう)
由奈は、急かさず待つことにした。
やがて桂花は大きく息をつくと、覚悟を決めたように手さげの口を開いた。
中から取り出されたのは、あの本だった。
外函に収められた一式が、テーブルの上に置かれる。
由奈は思わず身を乗り出す。
「この本、もう読んだの?
……やっぱり、もう光ってないね」
「うん」
桂花の表情はまだ固いままだった。
由奈は、次の言葉を待つ。
少しの沈黙のあと、桂花が小さく口を開いた。
「これ……昨日の夜、最後まで読んだんだよね」
由奈は頷く。
「書かれてたこと、思い出した?」
桂花は頷き、本を開いた。
指先で探るように、ゆっくりとページをめくる。
「読んでる途中から、だんだん思い出してきたんだけど……」
桂花の手が止まった。
ぼそり、と言う。
「こんなページ……最後に読んだ覚えなかった」
「えっ、どういうこと?」
由奈は本を自分の方へ引き寄せる。
ページに視線を落とした。
そこには、こう書かれていた。
――図書館の片隅にて、物語は再び記され始めた。
必要とされる者たちが再び集い、この本を手にしたのだ。
この本を手にした四人の若者が、動きだした。
息が止まった。
……違う。
前は、こんな終わり方ではなかった。
確か、小学生のときに読んだ最後のページは――
「帰還」で終わっていたはずだ。
由奈は、ゆっくりと表紙を見る。
〈現実世界編〉と印字されている。
この本――“記録の書”。
“異世界編”と“現実世界編”という構成になっている。
小学生の頃に読んだとき、物語は冒険を終えて現実に帰る場面で終わっていた。
だが、今読んでいるのは――
まるで物語が続いているような書かれ方だった。
「ねぇ、由奈……これ、私たちのこと、だよね」
桂花の声がわずかに震えている。
由奈は桂花を見た。
――そんなこと、あるはずがない。
そう思いながら、もう一度ページを見る。
誰かが書き足したのではないか。
透かしてみる。文字の色を見る。別のページと比べる。
……違和感はない。
ページを継ぎ足した形跡もなかった。
桂花が苦笑する。
「私も、同じことした」
「……だよね」
由奈もつられて笑ったが、胸の奥が落ち着かない。
「勝手に文章が増える本なんて……」
口にした瞬間、ぞくりとした感覚が背中を走った。
「ね、桂花、他のページにも同じようなこと、書かれてたりしたの?
私、前に読んだとき、こっちはサラサラっと読んじゃってて」
桂花は神妙に頷いた。
「あったよ。物語が切り替わるときの最初のページは、毎回こんな感じだった。多分、今の私たちと同じような状況になった時のこと」
無意識に由奈は息を止めた。
「……やっぱり、そうなの?」
桂花が頷く。
由奈は目を見張った。
背筋が冷え、手の力が抜けるような感覚。
「でも、なんで私たち……」
声も震えているのが、自分でもわかる。
桂花が由奈を見て言った。
「わからない。でも、偶然じゃない気がする。
これ読んだとき、私も震えが止まらなかった」
その顔を見て、由奈は自分も同じくらい不安な顔をしているだろうと思った。
「でも……。
あの時、本が私たちを呼んだ。そうとしか思えなかった」
桂花のその一言に、由奈は言葉を失った。
本が主語になるなんて、動作の主体になるなんておかしい――そう思いながらも、否定できない。
「そんなこと、あるはずないのに」
そう口にした時、健斗と晴基の顔が浮かんだ。
「……古山くんにも話してみる?
こんな話でも、きっとちゃんと聞いてくれる」
「そうだね」
由奈はスマホを取り出し、すぐにメッセージを打った。
(LINE)
由奈
「ちょっと、話したいことがあるんだ」
晴基
「ああ。なに?」
由奈
「直接会って話したいんだけど、今、時間ある?」
晴基
「あー、いいよ。どこ行けばいい?」
晴基は、20分も経たないうちにカフェに現れた。
黒い七分丈のパンツにグレーのTシャツ。
引き締まった体格がわかりやすい。
慌ててきてくれたのか、息が上がっている。
晴基の姿を見て、由奈と桂花の間には少し安堵の空気が漂う。
「ごめんね、急に呼び出して」
「ああ、いいよ。暇だったし」
由奈は、桂花と交わした話をすべて伝えた。
本に読んだことがないページが増えていたこと。
そしてそこに、自分たちのことを思わせる記述があること。
晴基は黙って聞きながら、開かれたページをじっと見つめる。
「……ほんとに、俺たちのことみたいだな」
「うん」
しばらくの沈黙のあと。
「誰かがこれやったってこと、ないよな?」
晴基は由奈と同じように、ページを透かしたり文字を見比べたりし始めたとき、由奈と桂花は思わず小さく笑ってしまった。
「それ、私たちもやったよ」
晴基は苦笑して顔を上げた。
「なら……どうする? 健斗にも話すよな?」
由奈は頷いた。
「うん。これは、話さないわけにはいかないよね」
「だな」
晴基の声は低く落ち着いていたが、
その目の奥では何かを考えているようにも見えた。
そして、晴基は低い声のまま話す。
「由奈は前に読んだときのこと、覚えてる感じだったよな?」
由奈が頷く。
「じゃ、今日、これ持ち帰って読んで。
前と違ってたところ、他にもあったらまとめて教えてよ」
「うん……」
「健斗には、由奈が読み終わった後に話した方がいいな。
みんな混乱してる。
この状況で話しても、きっと、健斗も同じことになるだけだ」
由奈と桂花は頷いた。
そして、由奈は恐る恐る本を手に取る。
(説明できない現象って苦手なんだよね。一人で眠れなくなったらどうしよう。
おばあちゃんのところで寝かせてもらおうかな……)
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その夜、由奈は一人で本を開いた。
結局、自室で読むことにした。
万が一本が光り始めたりしたら困る。
祖父母を巻き込みたくなかった。
(最悪、寝れなくなってもいい。そうなったら、明日、昼寝しよう)
そう決めて表紙を開く。
まずは〈現実世界編〉を最初から読む。
物語を読むというより、“確かめる”ように。
読み始めれば、記憶も手伝ってすらすらと読み進む。
その中の気になる箇所で目を止めた。
内容は覚えているが、細かい一字一句を覚えていたわけではないことに気づく。
“選ばれた四人が読み終えると、
異世界への扉が開かれる。
その時、彼らのそばには、手伝う者が存在する。”
“扉を開く前、この「協力してくれる大人」を、一人だけ指名する必要がある。”
由奈は静かに天井を見上げた。
カーテン越しに、夏の夜の光が揺れている。
(そんな人、すぐに思いつかない)
物語をなぞるような気持ちで由奈は読み進めた。




