第33話 高校1年生 ~現在地~
7月18日(火)
――この日は古文と数学の夏期講習。
由奈は昇降口の掲示板で部屋割を確認した。
二科目とも、自分の教室だった。
教室に行くと、裕香と佳菜子が話していた。
「おはよう」
ほとんどが同じクラスの生徒だが、別のクラスの生徒もいる。
古文の講習が終わると、この教室で数学の講習を受ける生徒が入って来た。
休み時間、由奈たちは雑談して過ごす。
裕香や佳菜子たちと話すと楽しいし落ち着く。
彼女らは、今の時間を一緒に過ごしている同級生なのだ。
終業式に会った健斗や晴基は、今となっては過去の時間を一緒に過ごした同級生という感覚だった。
思い出は共通だし、不思議な体験を共有した仲ではあるけれど、今の日常の中で起きたことではない。
確かに、光る本のことは普通じゃなかったし、またもや同じ四人で見てしまったけれど……。
由奈はもともと科学的に説明できないことは苦手だが、あの光に関してはあまり怖いと思わなかった。
(あれ、絶対に超常現象だけど……私が考えても仕方ないよね。
何かあったら、桂花が知らせてくるだろうし)
そう思って振り払い、目の前の友人の話に耳を傾ける。
佳菜子は相変わらず先輩が気になるようだ。
掲示板で二年生の講習をチェックしたようだが、先輩が受ける講習を把握できていないと嘆いていた。
佳菜子が真顔で言った。
「もっと早く来て昇降口で見張ってようかなぁ」
それを聞いて由奈と裕香は笑う。
「確かに、そうでもしないとなかなか会えそうにないもんね」
「もしかして、図書館行ったら会えるかもよ?」
佳菜子は嬉しそうな顔をする。
「あっ、そうかも!」
由奈はふと思いつく。次は数学の講習。
普段の授業の先生――つまり、裕香が気にしている先生が担当だ。
(裕香ちゃん、もう、気にしてるってレベルではないかもしれないな)
由奈は人差し指で裕香の腕をつついて小声で言った。
「裕香ちゃん、先生に会うの、楽しみ?」
14日が終業式で、それ以降は会っていないはずだ。
(一学期、数学の授業は毎日あったから、少し空いている感じがするだろうな)
裕香は少し目を大きくして頷いた。
由奈も笑顔を返す。
佳菜子が二人の様子を見て不思議そうな顔をしたが、先生が入ってきて三人は散るように席に戻る。
数学の先生は相変わらず知的な雰囲気だった。
由奈は無意識に斜め前にいる裕香に目をやる。
裕香は配られたプリントに目を落としてからしっかりと先生の方を見た。
横顔がちょっと嬉しそうだ。
数学の講習は復習だったので、由奈にも理解しやすい内容だった。
ただ、少し不安は残る。
(これって、問題の解き方を覚えちゃっただけだよね)
ため息をついて鞄にノートやプリントを片付ける。
(まぁ、問題や用語に馴染むと、ある時、ふっとわかることもあるけど)
少し裕香たちと話そうと顔を上げると、
右側に背の高い影を感じた。
はっとして見上げると、春日だった。
(あ……)
「佐山さん」
相変わらず涼しげな目。
吸い込まれそうな感覚になる。
「あ、うん」
「今日、この後、予定とかある?」
「……えっと……」
思わず、裕香と佳菜子に視線を送ると、ニヤニヤした顔でこちらを見ている。
(ちょっと……助けてほしいんだけど!)
そう思いながら春日に視線を戻そうとすると、見覚えのある姿が視界に入った。
(……古山くん!)
視線を止めると目が合った。
思わず、何か表情に出ていたらしい。
春日が不思議そうに少しかがんで由奈の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
突然、春日の整った顔が視界に被さってきて思わず声が出る。
「わっ」
それを見た晴基はニヤリとして教室を出ていった。
「あっ、春日くん、ちょっとごめんね」
由奈は教室を出た晴基に追いつき、背中に呼びかける。
「古山くん!」
晴基が振り返る。
「おう、由奈」
何事もなかったかのような声だった。
「いたなら声かけてよ」
「いや、声かけようと思ったら春日いたからさ。
また、一緒に帰るの?」
晴基はさっきと同じ顔でニヤリとした。
「えっと……それは……これから……。
そっ、それより、変なふうに思わないでよね」
「は? 春日のこと? 別に変じゃないじゃん」
「違うよ。誤解しないでねってこと」
「誤解? なにそれ。
明らかに春日から来てるじゃん」
「だから、そんなわけないって」
それを聞いて晴基は苦笑した。
「……そう言われても、俺にはよくわかんねーけど。
……なぁ、春日、待ってるんじゃないの?」
「あ……っ! そうだ。
古山くん、またね」
由奈は晴基に手を振り、慌てて教室に戻った。
春日は由奈の席の横に立って待っていた。
由奈は同じ教室にいた女子生徒の視線が気になる。
「ごめんね、春日くん。さっき中学の同級生がいて」
「うん。
もう、よかったの?」
相変わらず春日は穏やかだ。
「うん。もう大丈夫。ごめんね。
……で、なんだっけ?」
「……今日、一緒に帰れたらって思って」
春日はいつも通り、押しすぎないように配慮してくれている。
終業式の時には桂花と会う約束をしていて、春日の誘いを断った。
今日は用事もないし、断るのも悪い。
――でも
(また、注目されるなぁ)
春日を見ていた女子たちに目をやると、今も春日を見ていた。
同じクラスで春日を狙っている女子は、古文の時にはいたけれど、今はいない。
(もう、注目されてるか……)
由奈は笑顔で答えた。
「うん。今日は大丈夫だよ」
春日も嬉しそうに笑う。
「じゃ、鞄、取ってくるね」
気づけば裕香も佳菜子もいなくなっていた。
(裕香ちゃんは、もしかして、先生のところかな……)
席に鞄を取りに戻った春日に、別のクラスの女子が声をかけていた。
綺麗で背も高く、春日とバランスが取れているように見える。
(ああ。別のクラスで春日くんに近づきたい子には、同じ講習受けてたらチャンスだよね)
声をかけた女子は少し恥ずかしそうだが、春日と話せて嬉しそうだ。
(初めて春日くんと話すのかな。
気になる子に、ああやって声かけられるの、すごいな)
けれど、二人のことをじっと見ているわけにもいかない。
由奈は席に座って復習でもしながら待っていようと鞄からプリントを取り出したが、春日はすぐ戻って来た。
「ごめんね、お待たせ」
「……あれ? もういいの?」
「うん」
「そう……なの?」
女子の方を見ると、その子は荷物を片付けていた。
どこか物足りなさそうだ。
(私、邪魔しちゃったかな……。春日くん、私と約束した後だったし)
「帰ろうか」
「うん」
春日が歩き始める。
由奈が後ろを歩き出すと、春日が歩調を合わせてきた。
(春日くんは、こういう子だよね)
前と同じように、春日は廊下の掲示物に目を配りながら歩く。
由奈も自然と並んで眺めることになる。
(ああ、またみんなに見られる……。
けど、掲示物って、役に立つこと書いてあって勉強になるかも。
こうやって春日くんと歩くまで気づいてなかったな)
改めて春日に感心した。
階段下の掲示物を眺めながら由奈は聞いた。
「……春日くん、さっき話してた子って知り合い?」
春日は由奈を見ながら言った。
「え、知らないよ」
「……そっか。あの子、さっき春日くんのこと見てたから」
「へぇ、そうだった?」
こともなげに、春日はそう言った。
(あんな綺麗な子だったのに、春日くんてあっさりしてる。慣れてるのかな……さすがだな)
「あの子、春日くんともっと……」
そう言いかけたとき、見覚えのある顔が視界に入った。
――佳菜子が気にしている先輩だった。
思わず声が出た。
「あっ」
春日が少し驚いた顔をする。
「どうしたの?」
「あっ、ごめんね。それがさ……」
事情を話すと、春日は興味深そうに頷いた。
「へぇ」
講習後の二年生が、続々と由奈と春日がいる方へ向かって歩いてくる。
(やっぱり春日くん、注目集めてるな)
由奈たちのところを通り過ぎる前から、何人かが春日を見ているのがわかった。
由奈は居心地が悪くなり、春日の後ろに立った。
人目につかなくなった気がして、少し落ち着いた。
そして、佳菜子が気にしている先輩が近づいてくる。
由奈は少し春日に寄って、小声で言った。
「ほら、あの人」
春日は由奈を見て、少し間を置いて答えた。
「……うん」
二人並んで背中を見送る。
「すっごい偶然。佳菜ちゃんに教えてあげたら喜ぶな」
「そうだね。感じ良さそうな人だったね」
「だよね」
由奈は嬉しそうに言った。
春日は由奈に微笑み返した後、じっと見つめてきた。
「佐山さんて、友達のこと話すとき、楽しそうだよね」
「え、そうかな」
春日は優しく笑った。
「うん、こっちまで楽しい気分になる」
――綺麗な笑い顔。
由奈はその笑顔を見上げながら思った。
(この人、誰にでもこうなんだろうけど。……きっと自覚ないよね)
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由奈は帰宅してからも、胸の奥が落ち着かなかった。
――どうしてだろう。
『佐山さんて、友達のこと話すとき、楽しそうだよね』
何度か思い出し、由奈は小さく息を吐いた。
嬉しい、というより――少し意外だった。
これまで、外見でも成績でもないところを、男子から見られていたことがなかったから。
――でも
春日なら、誰のこともちゃんと見ているのだろう。
だから、あんなふうに言える。
そう思うと妙に納得できた。
それに、佳菜子の気になる先輩のこともわかって、今度教える楽しみができた。
(やっぱり、今日も学校、楽しかったな)
そう思って、由奈は明かりを消した。




