第25話-B 高校1年生 ~意表をつかれた ~
翌日のホームルーム前。
この時間までに春日と話す機会はなかったが、どうしても意識してしまう。
(あれは、気まぐれだったに違いない。昨日は、たまたま一緒に帰る相手がいなかっただけ)
自分にそう言い聞かせながら、この時間をやり過ごそうとしていた。
そして、この日、春日は何も言ってこなかった。
(やっぱり、昨日のは気まぐれだ。帰る相手を探していただけだよね)
由奈は心の中で胸を撫で下ろす。
納得したと同時に、少しだけ残念な気持ちが入り混じっていることに気づき、自分が意識してしまったことさえ気恥ずかしくなった。
もう、考えないようにしたい。
一瞬だけ――
あの時、春日が少し緊張していたように見えたことが頭をよぎったが、由奈はすぐに打ち消した。
(気のせい、気のせい。もう、考えるの、やめ)
ホームルームの後、由奈は佳菜子に付き合って窓際に立つ。
佳菜子が待っている先輩は時々通りかかるらしく、彼女はそのタイミングを待っていた。
見かけても声をかけるわけでもない。三階なので目が合うこともないが、今は姿が見られるだけでいいのだ。
(そういうものだよね。
中学の時にも、好きな人が校庭で遊んでいるのを、昼休み中ずっと眺めている子がいたし)
裕香は例によって職員室。
教室後ろのドア付近には、春日を見に来た別のクラスの女子たちがいた。前と同じ顔ぶれだ。
今日は少し教室内に入り込んでいて、声もやや大きい。
春日の気を引きたいのだろう、その様子が透けて見えて、由奈は少しだけ面白く感じた。
春日は教室後方の壁際で友人と話している。
相変わらず爽やかな笑顔。
女子たちの声にはまったく反応していないことが、少し離れた位置からだとよくわかり、思わず苦笑する。
あの子たちも、きっと佳菜子と同じだ。
気になる相手を近くに感じて、同じ空気を吸っていられるだけで、今はそれで十分なのだろう。
そんなことを考えていると、
「ねぇ、由奈ちゃん。今日は先輩、通ると思う?」
隣の佳菜子が、答えようのない質問を投げてきた。
由奈は同じように窓の外を見ながら笑う。
「なにそれ。曜日とか、何日おきに通るとか、データはないの?」
「えー、そこまで考えてなかったなぁ」
「じゃあ、これから記録しないとね」
みんな、好きな相手のことを知りたいし、近づきたい。
由奈は、それを少し離れたところから眺めている。
(うん、これが平常運転)
「夏期講習の時、先輩に会えるといいな」
佳菜子の言葉に、由奈は微笑んで頷いた。
そして、翌日のホームルーム前。
由奈は授業ノートを見返しながら、鞄の中にしまっていた。
こうしておくと、少しだけ授業を思い出せる。
数学の授業で、少しわかりにくかったところがあった。
(ここ、あとで教科書読まないと)
そう思った、その時。
「佐山さん」
突然声をかけられ、由奈はぎくりとして顔を上げた。
春日だった。
「へっ?」
思わず声が出る。
春日は由奈の席のそばに立ち、まっすぐこちらを見ている。
いつものように爽やかに笑っているわけでもなく、控えめな微笑みを浮かべているだけだった。
どこか緊張しているようで、不安げにも見える。
そして、静かに口を開く。
「……今日は、どうかな?」
今回は「一緒に帰らない?」とは言わない。
春日は、すでに伝えてあることに対して、今日の返事を聞きに来ているのだと、由奈はなんとなく理解した。
(これ……断っても、また来るよね……)
小さく息を飲み、思わず裕香の方を見る。
裕香は、にやにやしながらこちらを見ていた。
「今日はOKしろ」と言うように、顎で合図してくる。
(ちょっと、裕香ちゃん……助けてほしいんだけど)
由奈は小さく睨んでから視線を戻す。
春日と目が合った瞬間、心臓が跳ねた。
「あ……えっと……」
(まさか、今日来るとは思ってなかった……)
けれど、春日の表情はやはり硬く、不安と緊張が伝わってくる気がした。
理由もなく断るのは、なんだか気が引ける。
何か困っていることがあるのかもしれない。
「あの、春日くん、駅まで行くよね。
だったら、途中までなら……」
「ほんと? ありがとう。じゃ、また後でね」
その瞬間、春日の表情がゆるみ、はっきりと嬉しそうな笑顔になった。
「え……」
由奈は、また思わず声を漏らす。
(やばい……なんか、返事、間違えた気がする)
その後は、ホームルームどころではなかった。
ホームルームの後、裕香が楽しそうな顔で近づいてくる。
「由奈、今日はOKしたんでしょ?」
「だって、裕香ちゃん助けてくれなかったし。
OKしろって顔してたし……断る理由、なかったし……」
「そうだよ。断ったらもったいないよ」
「ていうか、今日断っても、また来ると思った……」
「え、なんで?」
「だって、『今日はどう?』って聞かれたんだよ」
裕香は目をぱちぱちさせる。
「それ、断ってもまた来るじゃん」
「……だよね」
俯いたまま答えてから、由奈はふと思いついて顔を上げた。
「あ、でもさ。もしかして春日くん、裕香ちゃんのこと、私に聞きたいのかも」
「は?」
「裕香ちゃんにアプローチしたくて、相談したいとか。
きっとそうだよ」
その方がしっくりくる気がして、由奈は頷く。
「そんなわけないって。
春日くん、私と由奈がいても、由奈にばっかり話してるから」
「ううん、絶対、裕香ちゃんのこと!」
言い合っても仕方がないと思ったのか、
「……私いると、春日くん声かけづらいでしょ。もう行くね」
裕香は半ば呆れたように言って、その場を離れた。
(絶対そう。そうに違いない。
春日くんは、裕香ちゃんに興味があるんだ)
由奈が一人で頷いていると、
「佐山さん、帰れそう?」
穏やかな声がした。
鞄を持った春日が、すぐそばに立っている。
「あ……うん。うん」
何度も頷きながら、由奈は胸の高鳴りを抑えようとする。
(え……こんなに人がいる中で一緒に帰るの……?)
教室内の視線が、じわりと集まりかけていることを、由奈ははっきりと感じていた。




