第15話-B 中学3年生 ~見えない距離~
夏の午後、健斗が廊下を歩いていたときのことだった。
ふと、見覚えのある横顔が目に入る。
──由奈だ。
廊下の壁にもたれて、男子と話している。
由奈の前に立っているのは、同じ小学校出身で、今は健斗の隣のクラスの足立だった。
名前くらいしか知らない。
いや、楽器ができて、部活のテニスでも全校集会で表彰されていたか。
小学校の昼休みに、由奈を呼び出して廊下で話していたのを、何度か見たことがある。
たまに図書室でも、由奈に話しかけていた。
静かそうで、目元が柔らかい。
たぶん、女子からは「優しそう」と思われるタイプだ。
小学校のころより、顔立ちも整って見える。
いつも大人しくしているのに、妙に“いい人感”が漂っている。
健斗の感覚では、密かにモテるタイプ。
目の前のその背中を見た瞬間、胸の奥で小さな“引っかかり”が、ざらりと音を立てた。
廊下の空気が、どこかひんやりと感じられた。
足立がなにかを言い、それに由奈がふっと笑ってうなずく。
由奈が何か話すと、足立はその言葉を遮らず、柔らかく目を細めていた。
距離は、特別近いわけじゃない。
それなのに、その穏やかな空気が、健斗の胸の奥を微かにザラつかせた。
(あいつ……由奈のこと、好きなんだよな)
わかっていたはずのことなのに、健斗は、自分でも思いがけず、舌打ちしたくなるような感覚を覚えた。
別に、由奈は昔から知っている女子だ。
それだけだ。
けれど、足立は健斗と違って、一定のペースで由奈に話しかけている。
思いついたときに、じゃない。
由奈にとっては、小学校のころから、変わらず声をかけてくる男子。
そんな存在なのかもしれない。
同じクラスになったことはなくても、
気づけば、健斗より長く、由奈のそばにいる。
健斗の頭に、小学校のころ、由奈と話したり、笑い合ったりした場面がよぎった。
(……なんだそれ)
自分でも意味がわからず、少し戸惑う。
けど――
思えば、由奈は、なんだかんだでモテる。
小学校のころも、男子が自然と話しかけに行くタイプだったし、
あの藤野だって、「佐山さん、感じいいよな」って言っていた。
晴基も、「由奈と話すと面白い」って言ってたし……。
(まあ、言うことはわかるけどさ……)
健斗は、由奈の方へちらりと視線を送りながら、何気ないふりをして通り過ぎた。
すれ違いざま、わざと少しだけ、冷やかすような目を向ける。
視線が合ったかはわからない。
でも、一瞬だけ、由奈の背中が固まったように見えた。
その小さな反応に、ほんの少し、勝手な安心を覚える。
……すぐに、気づく。
(……俺、何やってんだ?)
そんなふうに由奈を見る自分が、少し嫌だった。
誰と話していようと、関係ないはずなのに、心がざわつく。
健斗は、その気持ちを、黙って飲み込んだ。
ある秋の放課後。
健斗は、運動場で少し身体を動かした後、汗を拭いながら、三年七組の教室の前を通りかかった。
ドア越しに見えたのは──由奈。
誰かが彼女の隣に座っている。
制服のシャツをだらしなく出したままの男子。たしか、四組の……名前は知らない。
(わざわざ来てるのか)
窓際の席で、由奈はノートを開いていた。
広げた参考書に視線を落としながら、ときおり、その男子に笑いかける。
男子は嬉しそうに笑い返す。
そして、由奈のノートを覗き込むようにしていた。
その距離感が、やけに“親しげ”に見え、
心のどこかが重くなるような、浮いているような、変な感じがした。
健斗の足が止まる。
教室の外にいた、由奈と同じクラスの男子が、健斗に気づいて声をかけた。
「なに? 佐山さん?」
軽口を叩くようなその声に、健斗は苦笑を混ぜながら返す。
「いや、なんか……あいつ。あれって、由奈と付き合ってんの?」
「いやー、多分違うと思うけどさ。
あいつ、佐山さんのこと好きなんだよ、絶対。見りゃわかるし。
しょっちゅう来てるよ、最近」
「……ふーん」
健斗は曖昧に頷いたが、喉の奥に何かが引っかかったような感覚が残った。
小学校のころからのクラスの女子で、今でも話せそうだと思えるのは、由奈だけだ。
中心女子だった華恵や莉乃とは、もう話すことはない。
何を話せばいいのかも、わからない。
当時、莉乃とは毎日話していたはずなのに、
何を話していたのかは、まったく思い出せなかった。
クラスで人気の莉乃と、カップルになるんじゃないかと噂されて、少し浮かれていたけれど。
あの頃の会話は、どこか“見られている”ことが前提だったのかもしれない。
それに比べて、由奈とは――自然に話が続いた。
いつも長話になったし、面白かった。
けれど、中学校に入ってからは、だんだんと距離ができて。
今は、その距離が、別の誰かに埋められていく。
健斗は、由奈が隣の男子と笑い合いながら、ノートにシャーペンを走らせる姿を最後にちらりと見てから、
静かに、その場を離れた。




