第14話 中学2年生 ~そのうち終わる~
放課後の教室。
窓の外は夕暮れに染まり、冬の風が木の葉を揺らしていた。
ガラス越しに差し込む光はやわらかく、机の上を淡く照らしている。
ほとんどの生徒はすでに帰り、残っているのは数人だけ。
由奈は窓際の席で、数学のノートを広げていた。
夕焼けが窓から差し込み、教室の床を淡いオレンジに染めている。
そんな空気の中で、静かな足音が教室の入り口に響き、廊下の冷たい空気が、教室の中をかすかに揺らした。
「……あれ、由奈?」
顔を上げると、そこに健斗が立っていた。
驚いたような声に、由奈も一瞬、言葉を失う。
「……あれ、どうしたの?」
「いや、ちょっとこっちの方に用があって、たまたま覗いたら、由奈が勉強してたから」
そう言って、健斗は少し照れたように笑った。
由奈と健斗の教室は離れているので、用事がなければあまり来ない。
由奈は一瞬戸惑い、すぐに表情を整えて答えた。
「そうなんだ。私はちょっと復習中」
「由奈、勉強は順調なの?」
健斗の問いかけに、由奈は軽く肩をすくめた。
「まぁまぁね。……でも、わからないことも多いよ」
「由奈は、昔から勉強できるもんな」
「そうでもないって」
鉛筆をくるくる回しながら、由奈はちらりと健斗を見る。
まさか、今さらこんなふうに、わざわざ話しかけてくるなんて思っていなかった。
由奈は、健斗が今年の体育祭前からつい最近まで、同じクラスの女子と付き合っていたことを、桂花から聞いていた。
でも、もう別れたとか――
期間にして三ヶ月程度。
そのことを桂花から聞いた時には、由奈はすごく驚いたと同時に少し胸が重くなったが、それは表には出せなかった。
由奈にとっては、思っていたほど重くは感じなかった。
そうなれた自分に、少し安心する。
そして今、由奈はその話題に触れてみたかったが、なんとなく言い出しづらい。
「高野くんは、勉強頑張ってるの?」
健斗は眉を少しだけ上げて、軽く笑った。
「ぜーんぜん。わからないことだらけ」
「誰かと一緒にやればいいのに」
「そもそも、やりたくないんだよね。できるだけ勉強しない高校に行きたいわ」
それを聞いて、由奈は一瞬だけ目を伏せ、ぼそりと言った。
「……莉乃ちゃんは、多分、K高校だよ」
「は?」
健斗は、急に出てきた莉乃の名前に驚いたようだ。
「いや、なんでもない」
由奈は、再び小さくそう言った。
健斗の反応からしても、今は莉乃を気にしている様子はない。
莉乃の名前が出たこと自体が、健斗には不意打ちだったのだろう。
すると、由奈のクラスメイトの男子が入ってきた。
「由奈、宿題できたら、教えて」
(小学校が違っても、「由奈」って呼ぶんだな)
健斗は、無意識にその男子をじっと見た。
「あれ、ごめん、邪魔した?」
その男子は少し慌てたが、由奈は掌を顔の前で左右にひらひらと振って言った。
「ううん、全然。宿題って、これのこと?」
由奈はそう言って、プリントを男子に手渡した。
「そそ。ありがと、ちょっと見せて」
「うん」
男子はプリントを受け取り、自分の席に着いた。
(……由奈とは、ずいぶん話したり、言い合いしたり、笑い合ったな)
そんなことを思っていると、由奈が男子に声をかける。
「あ、それ、三番目は私もあんまり自信ないから」
彼は、その言葉に手を挙げて答えた。
由奈はそれを見て、かすかに笑う。
健斗はその表情を見ながら、一瞬、心がざわついた。
二人のやりとりを見ていて、今の自分は由奈の世界の枠外にいるように感じられた。
そして、由奈のクラスメイトが何人か、教室に入ってきた。
部活が終わったのかもしれない。
いつの間にか、窓の外の空は、夕焼けから鈍い群青に変わっていた。
「高野くん、ちょっと待ってると、古山くんも来るよ」
「いや、晴基には、また会いに来るよ。今日は……」
(由奈を見かけて、ちょっと話したくなって声をかけた)
浮かんだ言葉を飲み込む。
「……もう、帰るから」
健斗は、俯きながらそう言った。
「そっか。わざわざありがと」
由奈はそう言って、座ったまま小さく手を振った。
「うん。じゃあ、また」
健斗はそう言って手を振り、教室の出入り口に向かった。
由奈は、健斗の背中を見送った。
そして、再び机の上のノートに目を落とす。
(……こういうのも、もう終わりなんだろうな)
今だって、健斗と話す機会はほとんどない。
高校は、きっと別になる。
健斗とは違う道を歩む。
そこで感じたのは、寂しさと同時に湧き上がった、かすかな安堵感だった。
静かになった教室で、由奈は再びペンを走らせる。
けれど、少し集中力が足りない。
――由奈の脳裏に、夏祭りの夜がよみがえる。
「由奈も浴衣似合いそうだけどな」
あの時の健斗の声。
あれは、多分、ただの社交辞令。誰にでも言うやつ。
でも、ずっと心に残っている。
由奈は息をついて、小さくつぶやいた。
「ほんと、そのうち、終わるんだから」
その言葉は、誰に向けたわけでもなく、ただ、夕焼けの中に溶けていった。




