文化祭に揺れる想い
校庭には模擬店の準備で賑わう声が響き、廊下は色とりどりの飾り付けで彩られていた。
高校校最大のイベント――文化祭が始まろうとしていた。
遼のクラスは喫茶店を開くことになり、彼は厨房担当に回されていた。
「斉藤くんは見た目が目立つから、接客させたら混乱するだろ」
そう担任に言われたからだ。
それでも、休み時間に軽く説明しただけで調理器具を使いこなし、同級生からは感嘆の声が上がる。
「さすが斉藤……万能だな」
遼は苦笑しながらも、あえて手際をゆっくりにして目立たないようにしていた。
---- 彩花の決意
一方、彩花のクラスは演劇を行うことになっていた。
配役の投票で、彩花は主役のヒロイン役に選ばれていた。
「ええっ、私なんて無理です!」
慌てて否定したが、クラスメイトの熱意に押されて断れなかった。
稽古の合間、彼女は心の中で思う。
(……遼さんに、この姿を見てもらえるだろうか)
助けられた日の記憶が胸を温め、緊張を少しだけ和らげていた。
---- 陽菜の願い
陽菜のクラスは展示とゲームコーナー。
彼女は受付を任され、真面目に準備に取り組んでいた。
けれど時折、視線は廊下を通る遼を追ってしまう。
(当日、遼さんが来てくれたら……それだけでいい)
---- 美咲の胸中
美咲は一年生としてクラスで焼きそば屋を担当していた。
友達と笑いながら準備を進めつつも、心の奥では兄のことが気になって仕方がなかった。
兄が文化祭でどんな風に注目を浴びるのか、そして彩花や陽菜がどう動くのか。
妹として、そして一人の少女として、複雑な想いが交錯していた。
---- 前夜の会話
文化祭の前夜。
美咲が兄の部屋に顔を出した。
「兄さん、明日……見に来てくれる?」
「もちろんだ。美咲のクラスも、彩花の劇も、陽菜の展示も全部回るよ」
その答えに、美咲は少し複雑そうに微笑んだ。
「……兄さんって、ほんとに優しいよね」
遼は何気なく返したが、美咲は胸の奥で小さな不安を抱いていた。
---- 文化祭当日、彩花の舞台
体育館に観客が集まり、舞台の幕が上がった。
演劇はシンデレラを題材にしたもの。
彩花は主役の少女として、真っ白なドレスに身を包んで登場した。
「……私は、夢を諦めたくない」
澄んだ声が響いた瞬間、会場は静まり返った。
舞台の上で緊張しているはずなのに、彼女の表情は凛として美しい。
客席に座る遼を見つけた時、彩花の心臓は大きく跳ねた。
(見てくれてる……遼さんが……)
その視線に支えられ、彼女は最後まで堂々と演じきった。
終幕の拍手の中で、彩花は心の奥で強く思う。
――この想いを、いつか言葉にしなければ。
---- 陽菜の展示
次に遼が足を運んだのは、陽菜のクラスの展示だった。
彼女は受付で来場者を迎えていたが、遼の姿を見つけた瞬間、表情が輝いた。
「遼さん! 来てくれたんですね!」
手作りのポスターや工夫を凝らしたゲームコーナー。
遼が楽しそうに回っているのを見るだけで、陽菜の胸はいっぱいになった。
「すごくよくできてるな」
「……ありがとうございます」
彼の笑顔に、陽菜は耳まで赤くなり、視線を逸らした。
(もっと長く一緒にいたい……)
そんな願いを抱きながら、彼女は受付に戻った。
---- 美咲の屋台
校庭に立ち並ぶ模擬店の中で、美咲のクラスは焼きそばを売っていた。
エプロン姿で一生懸命声を張り上げる美咲の姿に、遼は自然と笑みをこぼす。
「兄さん、買いに来てくれたんだ!」
「もちろん。妹の店を素通りなんてできないだろ」
焼きそばを受け取ると、美咲は得意げに胸を張った。
「どう? おいしい?」
「うまいよ。よく頑張ったな」
その一言に、美咲の瞳はきらめき、誰よりも嬉しそうに微笑んだ。
---- 交錯する想い
夕方、校舎の中庭。
彩花と陽菜が偶然出会った。
互いに遼と過ごした時間を胸に抱えたまま。
「遼さん、私の劇を見てくれたんです」
「……私の展示にも来てくれました」
言葉の端に、譲れない感情が滲む。
そこへ美咲も現れた。
「兄さんは、私の屋台も一番に来てくれたよ」
三人の間に、一瞬の沈黙が流れる。
誰も直接口にしない。
けれど、全員が同じことを思っていた。
――自分にとって、斉藤遼は特別な存在。
---- 文化祭翌日の教室
文化祭の翌日、教室はまだお祭りの余韻に包まれていた。
「昨日の劇、すごかったよな」「斉藤のクラスの喫茶店、行列できてたぞ」
笑い声と感想が飛び交い、生徒たちは誇らしげに語り合っていた。
遼はいつも通り静かに机に向かい、話の輪に加わることはなかった。
だが、周囲の視線が自分に集まっていることは感じていた。
――舞台で彩花が見せた視線。
――展示で陽菜が浮かべた笑顔。
――校庭で美咲が見せた誇らしい瞳。
それぞれの想いが自分に向けられていることに、薄々気づきながらも、遼は気づかぬふりを続けていた。
---- 彩花の心
昼休み。
彩花は親友たちにからかわれていた。
「昨日のシンデレラ、すっごく可愛かったよ! 遼さんも見てたんでしょ?」
「な、なんで知ってるの……!」
顔を真っ赤にして否定するものの、心臓の高鳴りは隠せなかった。
(遼さん、ちゃんと最後まで見てくれてた……それだけで十分)
だが、その「十分」の裏には、もっと傍にいてほしいという抑えきれない気持ちが膨らんでいた。
---- 陽菜の想い
一方、別の教室で。
陽菜は展示の片付けをしながら、友達に冷やかされていた。
「遼先輩と話してる時、すっごく嬉しそうだったよね」
「べ、別に……!」
だが、頬は熱を帯び、瞳は遠くを見ていた。
(もっと話したい。練習を見るだけじゃなくて、隣で……)
静かな願いは、少しずつ声になろうとしていた。
---- 美咲の独占欲
放課後。
兄と一緒に帰る道すがら、美咲は文化祭での出来事を振り返っていた。
「兄さん、彩花と陽菜ちゃんのところにも行ったんでしょ?」
「当たり前だろ。三人とも頑張ってたんだから」
何気ない答え。
けれど美咲の胸に、ちくりと小さな痛みが走った。
「……でも、兄さんは私の兄さんだから」
少しだけ強い声でそう告げると、遼は苦笑した。
「分かってるさ」
美咲の心は揺れていた。
友達としての彩花と陽菜。
妹としての自分。
けれど――兄を特別に思う気持ちは、彼女だけのものだと信じたかった。
---- 文化祭から数日後の昼休み
校庭のベンチに腰掛ける遼のもとへ、彩花と陽菜がほぼ同時に駆け寄ってきた。
「遼さん、これ……お弁当作ってきたんです」
彩花が包みを差し出す。
その直後、陽菜も慌ててカバンから小さな弁当箱を取り出した。
「わ、私も……作ってきました。よかったら」
二人の手が同時に伸び、遼は思わず固まる。
「あ、ありがとう……」
周囲のクラスメイトたちがざわつく。
「え、なにあれ……」「両手に花ってやつ?」
そんな視線を浴び、彩花と陽菜の頬は赤く染まった。
---- 彩花と陽菜
「……遼さん、こっちの方が美味しいと思いますよ」
彩花がやや強気に差し出すと、陽菜も負けじと声を上げた。
「私だって、頑張って作ったんですから!」
周りの空気がぴりりと張りつめる。
遼は困り果て、慌ててフォローを入れる。
「どっちも美味しそうだし、交互に食べるよ」
その一言で場は和んだものの、彩花と陽菜の視線は互いに火花を散らしていた。
---- 美咲の苛立ち
放課後。
美咲は兄の隣を歩きながら、ずっと黙り込んでいた。
「どうした、美咲」
「……今日、彩花と陽菜ちゃんが兄さんにお弁当渡してたの、見ちゃった」
小さな声に、遼は苦笑した。
「別に深い意味はないさ」
「でも……二人とも、兄さんのこと……」
言葉を飲み込んだ美咲の瞳には、寂しさと苛立ちが混じっていた。
「兄さんは、私の兄さんなのに」
その呟きに、遼は一瞬だけ言葉を失った。
---- 三人の気持ち
その晩。
彩花はベッドの上で「今度こそ、遼さんに振り向いてほしい」と願い、
陽菜は机に向かいながら「もっと特別な存在になりたい」と決意を固めていた。
そして美咲は窓の外を見つめながら、「兄さんを誰にも渡したくない」と心の中で叫んでいた。
三人の気持ちは、すでに避けられない衝突へと進んでいた。
---- 遼の胸中
一方の遼は、自室で深いため息をついた。
「……俺は何をしてるんだろうな」
ただ守りたい。
ただ平穏に生きたい。
それだけだったはずなのに、気づけば周囲の心を揺らし、傷つけてしまいそうになっている。
窓の外に広がる夜空を見上げ、遼は胸に誓った。
――どんな形になっても、この絆を壊すわけにはいかない。