独り占めの願い
サッカー部の練習が始まると、グラウンドの端に見慣れた姿があった。
――村瀬陽菜。
「また来てるな」
仲間の部員が小声で笑う。
遼は軽く手を振って誤魔化した。
彼女は決して騒がず、ただベンチに座りノートを膝に置きながら、じっと遼の姿を追っていた。
ボールを蹴る音、チームメイトの掛け声。
そのすべてが彼女にとっては「遼の世界」を覗く時間だった。
陽菜は気づいていた。
遼が練習中、常に全力を出しているわけではないことを。
他の選手を引き立てるように動き、チーム全体を支えている姿。
彼が本気を隠していることを、ほんの少しだけ察していた。
(どうして……? 本気を出せば、もっと輝けるのに)
そんな違和感が、さらに遼を気になる想いを強めていた。
---- チームメイトの噂
「なあ、あの子、遼のファンなんじゃない?」
「練習ごとに来るって、すごいな」
部員たちが半ば茶化すように話す。
遼は苦笑しつつも否定はしなかった。
陽菜の真剣な眼差しを知っているからこそ、軽々しく言葉にできなかったのだ。
---- 練習後
帰り支度をしていると、陽菜がそっと近づいてきた。
「今日も、お疲れさまでした」
「ありがとう。毎回見に来てくれてるな」
「……迷惑ですか?」
不安げに尋ねるその声に、遼は首を横に振った。
「そんなことない。応援してもらえるのは、やっぱり嬉しいから」
一瞬、陽菜の表情がぱっと明るくなり、その頬は夕焼けのように染まった。
---- 美咲の視線
帰宅後、美咲は兄に問いかける。
「兄さん、最近よく陽菜ちゃんが部活見に来てるよね」
「……そうだな」
「……ふーん」
その短い返事には、ほんのわずかな棘が含まれていた。
妹にとって、兄を特別に思う気持ちは変わらない。
そこに「友達」という存在が踏み込んでくることに、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
---- ある日曜日の午後
遼が家で参考書を開いていると、玄関から賑やかな声が聞こえた。
「お邪魔します!」
リビングを覗くと、美咲と陽菜、そして彩花が並んで座っていた。
三人で宿題をしようと約束したらしい。
「兄さん、数学ちょっと教えて」
美咲が声をかけると、遼は笑いながら席に着いた。
「……ありがとうございます、遼さん」
彩花が少し照れくさそうに礼を言い、陽菜も眼鏡の奥で静かに頷く。
その場の空気は和やかに見えた。
だが、三人の胸の内にはそれぞれ違う感情が芽生えていた。
---- 彩花の胸のざわめき
遼が陽菜に解き方を説明している。
「ここはこうやって考えると分かりやすい」
「なるほど……!」
陽菜が感嘆の声を上げる。
そのやりとりを見つめながら、彩花の心が揺れていた。
(遼さんは、私にだっていつも優しい。でも……陽菜ちゃんを見る目が、少し違う気がする)
自分だけの特別だと思っていた存在を、友達と共有するような不思議な感覚。
胸の奥で、まだ言葉にならない小さな棘が生まれていた。
---- 美咲の複雑な気持ち
一方で、美咲も気づいていた。
彩花と陽菜、二人とも兄に惹かれていることを。
(兄さんは私の兄さん。誰にも取られたくない)
そんな気持ちを抱えながらも、妹としての立場では強く言えない。
友達を大切に思う心と、兄を独占したい心がせめぎ合い、彼女の胸を締め付けていた。