転校と不安
翌朝、遼と美咲は荷物を抱え、長く滞在していたホテルを後にした。
帰路、二人はほとんど言葉を交わさなかった。
(……元の生活に戻る。それが正しいはずだ)
遼はそう自分に言い聞かせる。
けれど、心のどこかで――あの街に戻ることの難しさを痛感していた。
遼は美咲に向かって静かに切り出してみた。
「彩花や陽菜もきっと俺たちのことを心配してくれているよな。早く学校にいかないと――」
その言葉を聞いた瞬間、美咲の瞳が大きく見開かれた。
そして、まるで何かに取り憑かれたかのように震えながら呟く。
「……嫌。嫌……絶対に嫌……!」
美咲は両手で耳を塞ぎ、頭を振った。
「彩花や陽菜が兄さんに近づくなんて……そんなの絶対許さない!」
声は次第に叫びへと変わり、涙が頬を濡らしていく。
「……彩花も陽菜も危険だよ!」
そんな言葉に、遼は息を呑んだ。
(……やはり……もう元通りとはいかないか)
「美咲。……俺たち、転校しよう」
「転校……?」
美咲の声は涙で掠れていた。
「元の学校に戻れば、彩花や陽菜にも余計な心配をかけてしまうかもしれない。だから、新しい場所でやり直そう」
美咲はしばらく黙っていたが、やがて兄の胸にしがみつき、口を開いた。
「そうだよね……兄さん、次の学校では私から絶対に離れないよね……」
(……環境を変えても、解決にはならないかもしれない。それでも――)
遼は妹の頭を撫で、静かに抱きしめ返した。
---- 数週間後
二人は別の街の学校へ編入することが決まった。
新しい制服、新しい教室、新しい出会い。
だが、そのすべてを前にしても、美咲は兄の手をさらに強く握りしめた。
「兄さん、転校しても……私の隣から離れないで」
「……ああ」
遼はその重みに胸を押し潰されながらも、新しい日々への一歩を踏み出した。
---- 転校初日
新しい街、新しい学校。
遼と美咲は並んで校門をくぐった。
緊張と期待が入り混じる中、まずはそれぞれのクラスへ案内される。
遼は2年生の教室へ、美咲は1年生の教室へ。
廊下で分かれる瞬間、美咲は不安そうに兄の袖を掴んだ。
「兄さん……」
「大丈夫だ。すぐにまた会える」
遼の微笑みに頷いたものの、美咲の胸のざわめきは消えなかった。
2年生の教室。
担任が遼を前に呼び出す。
「今日から新しい仲間が加わる。自己紹介を」
遼が一歩前に出た瞬間、教室の空気が変わった。
「遼です。よろしくお願いします」
それだけの言葉なのに、どよめきが広がる。
整った容姿、凛とした立ち振る舞い、落ち着いた声。
ただそこに立つだけで周囲を圧倒していた。
「……え、めっちゃイケメン」
「芸能人かと思った」
「転校生ってあんな人だったのか……!」
女子生徒の視線は釘付けになり、男子でさえ羨望を隠せない。
同じ頃、一年生の教室で自己紹介を終えた美咲は、席につきながらざわつく声を耳にした。
「ねえ、2年にやばいくらいかっこいい転校生来たって」
「美咲さんのお兄さんなんでしょ?うちの学校のレベル一気に上がったんじゃない?」
「先輩かぁ……見に行きたいな」
美咲の心臓がドクンと跳ねた。
(……兄さん、もう話題になってる)
机の下で小さな拳を握りしめる。
(やっぱり……ここでも兄さんは狙われる……!)
昼休み。
遼の机の周りには、あっという間に人だかりができていた。
「どこから来たの?」
「部活は入る?サッカーとか似合いそう!」
「よかったら校舎案内するよ」
次々と声が飛び交い、遼は困ったように微笑みながら応じていた。
その様子は、廊下を通りかかった美咲の目にも映った。
(ダメ……兄さんは私の兄さんなのに……また奪われちゃう……!)
胸を掴まれるような痛みに、思わず視線を逸らす。
---- 放課後
校門へ向かう途中で合流した美咲は、兄の手をぎゅっと握った。
「兄さん……やっぱりどこに行っても注目されちゃうね」
「そうかもしれないな。でも気にするな。俺は――」
遼の言葉を遮るように、美咲は必死に訴える。
「どこに行っても、兄さんは私の隣にいて。絶対に」
遼は一瞬驚いたが、やがて静かに頷いた。
「……ああ」
新しい環境、新しい世界。
だが美咲にとって、その全ては兄を失う恐怖を再び突きつけるものだった。
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