決裂の夕暮れ
朝の光が差し込む部屋で、遼がカーテンを開けようとした瞬間。
「――兄さんは、もう一切ホテルを出ないで」
美咲の声が強く響いた。
彼女はテーブルの前に座り、真剣な目で兄を見つめていた。
「外は危険すぎるの。兄さんは誰かに狙われる。誰かに奪われる。だから、出ちゃだめ」
その言葉には涙混じりの必死さがあった。
遼は口を閉ざし、ただ深く息を吐いた。
(……もう、ここまで来てしまったか)
---- 夕方
それでも、夕方になると美咲は一人で買い物袋を抱えてホテルを出てきた。
「兄さんを外に出さないなら、私が動かないと」
自分にそう言い聞かせながら、足早にスーパーへ向かう。
しかし、その後ろ姿を見ていたのは――あの双子、美優と美琴だった。
「……やっぱり、妹さんだ」
「一人で出てきた。兄さんを閉じ込めてるってこと?」
二人は顔を見合わせ、勇気を振り絞って彼女に近づいた。
「待って!」
美咲が振り返る。驚いたように目を見開いたが、すぐに警戒の色に変わる。
美優が一歩前に出て、真剣な声で言った。
「あなた、お兄さんをホテルから出さないようにしてるでしょ?」
美咲の表情が凍りつく。
「……な、何を言ってるの?」
美琴も続ける。
「私たち、何度もお兄さんと会った。あの人は困ってた。あなたに縛られてるように見えた」
「そんなこと……!」
美咲は思わず声を荒げる。
「私は兄さんを守ってるの! 危険な外から!」
双子の視線は揺らがなかった。
「本当に守ってるの? それとも……自分が不安だから閉じ込めてるの?」
鋭い問いに、美咲は言葉を失う。
胸の奥に渦巻く独占欲と不安が、強く掻き乱される。
「兄さんはいつも狙われているから……私が守らないとダメなの……」
小さく、震える声で呟いた。
その呟きに、双子は確信した。
――やはり、この妹は異常だ。
美優は拳を握りしめた。
「私たちはあの人を助けたい。だから……これ以上見過ごせない」
美琴も頷き、真っ直ぐに美咲を見つめる。
「あなたに嫌われてもいいから強硬手段にでる。だって、あの人を放っておけないから」
美咲の胸に、怒りと焦りと恐怖が一度に押し寄せた。
(兄さんを奪われる……!)
ホテル前の夕暮れ。
美咲と双子、美優と美琴の間には張り詰めた空気が漂っていた。
誰も譲らない視線。
胸の奥に溜め込んでいた感情が、ついに言葉として爆発する。
「――もういい加減にして!」
美咲が叫ぶ。
「貴方たち、兄さんの何なの!? ただの赤の他人じゃない!」
双子は一瞬たじろいだが、やがて美琴が毅然と顔を上げた。
「……赤の他人かもしれない。でも、私たちはあなたのお兄さんが好きなの」
「好き……?」
美咲の瞳が大きく揺れる。
美優が一歩踏み出し、まっすぐに言った。
「ええ。助けてもらってからずっと忘れられない。強くて優しいあの人に惹かれたの。これは偽りじゃない」
「そう。私たちは本気でお兄さんを好き。だから……あなたみたいに閉じ込めたり、縛ったりするんじゃなくて――自由でいてほしい」
美琴の声には涙が混じっていた。
「ふざけないで!」
美咲の声が震える。
「兄さんは私の兄さんなの! 誰よりも一緒にいて、一番分かってるのは私! 赤の他人が好きなんて軽い言葉で踏み込んでいい関係じゃない!」
怒りと焦りに顔を赤くし、必死に双子を睨みつける。
「兄さんは私のもので……他の誰にも渡さない!」
「違う!」
今度は美優が強く声を張った。
「兄妹で束縛なんて……ダメだよ!おかしいよ!」
「家族だからこそ大事にするのは分かる。でも、あなたがやってるのは違う。閉じ込めて、縛って……それは兄妹愛じゃない!」
美咲は息を呑んだ。
「……っ」
「お兄さんだって人間なの。未来があるの。あなたとだけで生きていい人じゃない!」
美琴の叫びは、真剣で切実だった。
美咲は震える声で言い返す。
「私は……兄さんがいれば幸せなの。兄さんも、きっとそう言ってくれてる。
だから……私は、私たちは間違ってない!」
だがその瞳の奥には、不安と恐怖が揺れていた。
双子の真剣な気持ちを真正面からぶつけられ、心の奥で「自分は間違っているのでは」という影が膨らみ始めていた。
夕焼けに染まる空の下、三人の言葉は鋭くぶつかり合い――ついに避けられない決裂の時を迎えようとしていた。
「兄妹での束縛なんて、間違ってる!」
美琴の声が夕暮れの路地に響いた。
「間違ってなんかない!」
美咲の瞳には涙が溜まり、必死に叫んだ。
「私にとって兄さんは……世界のすべてなの! 他の誰にも渡さない!」
美優が一歩前へ出る。
「でも、それはあなたのためでしょ? お兄さんの幸せはどうなるの!?」
「兄さんの幸せは私と一緒にいること!」
言葉を吐き出すたびに、美咲の声は震え、感情は暴走していった。
「違う!」
双子の声が重なる。
「お兄さんは自由であるべき。未来を閉ざされていい人じゃない」
「あなたが守るって言ってるけど……それは守るんじゃなくて、縛ってるだけ!」
美咲は顔を歪め、両手を強く握りしめた。
「どうしてそんなこと言うの……? 私がどれだけ兄さんを想ってるか分からないくせに!」
その時だった。
ホテルの扉が開き、遼が姿を現した。
「――もうやめろ」
その低い声に、三人は一斉に振り返る。
遼は険しい表情で二人と妹の間に立った。
「美咲。これ以上は……もう限界だ」
「兄さん……」
「俺たちは帰ろう」
短く、それだけを言った。
「か、帰る……?」
美咲は信じられないという顔をした。
遼は真剣な眼差しで妹を見つめる。
「このまま逃げ続けても、何も解決しない。
お前を守りたいからこそ、俺は正面から向き合うべきだと思うんだ」
美咲の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「……やだ。兄さんがいなくなっちゃう」
遼は妹をそっと抱き寄せ、静かに言った。
「いなくならない。俺はずっとお前の兄さんだ。だから一緒に、帰ろう」
その光景を見ていた美優と美琴は、何も言えなかった。
(やっぱり……この妹は普通じゃない。それでも……兄は必死に妹を守ろうとしてる)
その姿に胸を締め付けられながら、二人はただ立ち尽くしていた。
---- ホテルの部屋
ホテルの部屋に戻ると、空気は重苦しく沈んでいた。
美咲はベッドに腰を下ろし、俯いたまま動かない。
遼は荷物をまとめ始め、スーツケースに衣服やノートパソコンを詰め込んでいた。
「……本当に帰るの?」
美咲のか細い声が響く。
遼は手を止めず、静かに答えた。
「帰る。もう、これ以上は逃げられない」
「帰ったら……兄さん、またみんなに狙われちゃうよ」
「そんなことはない。自分のことは、自分が守る」
「違うの……!」
美咲は立ち上がり、兄の背にしがみついた。
「兄さんが優秀だから、放っておかれないんだよ。みんなが兄さんを奪おうとする。私だけの兄さんじゃなくなっちゃう……」
その声には恐怖が滲んでいた。
遼は苦い表情を浮かべながらも、妹の手を優しく外す。
「美咲。お前の気持ちは分かる。でも、世界から逃げ続けても幸せにはなれない」
夜が更ける頃、荷物はすべて整った。
遼はベッドの脇に腰を下ろし、まだ涙ぐんでいる妹の頭を撫でた。
「明日、出よう」
「……兄さんが一緒なら」
「当たり前だ」
美咲は目を閉じ、しがみつくように兄の肩に顔を埋めた。
---- 遼と美咲がホテルに戻る少し前
街灯の下で美優と美琴は立ち尽くしていた。
窓に映る兄妹の影を見ながら、美琴が小さく呟く。
「……あの人、本当に帰るつもりなんだね」
「でも、帰ったってすぐに解決するとは思えない」
二人の瞳には強い決意が宿っていた。
「追いかけよう。だって、私たちは……助けたいんだから」
「うん。きっとまだ、私たちにできることがある」
静かな夜風の中で、双子の想いはますます固く結びついていった。
※興味を持っていただきありがとうございます。ブックマークや評価や感想をいただけると、とても励みになります!