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第12話受け継がれる誓い


――召喚から四ヶ月。祝祭まで、あと一ヶ月。

午後の陽射しが鍛錬場の石畳を温めている。午前中のジャン師匠の訓練を終えた僕は、いつものように鍛錬場の端に腰を下ろして水を飲んでいた。そこへ、地を踏む重い足音が近づいてくる。


「光か。精が出るな」

「ガンロックさん!お疲れ様です。遠征から戻られたんですね」

「昨夜な。東の街道沿いに魔物の巣が出来かけていたが、大したものではなかった」


ガンロックさんはそう言いながら、僕の隣にどっかりと腰を下ろした。大きな背中が石壁に預けられる。この人が隣にいると、それだけで鍛錬場の空気が変わるんだよなぁ。岩みたいに揺るがない安心感というか。


「ガンロックさんの遠征って、いつもそんな感じなんですか?」

「魔物相手であればな。厄介なのは群れが大きくなった時だ。一匹一匹は大したことがなくとも、数が揃えば兵士に被害が出る。芽は早いうちに摘まねばならん」

「なるほど……」


こうやってガンロックさんと話す時間が、僕は好きだ。師匠たちの訓練とはまた違って、戦場を実際に知っている人の言葉ってやっぱり重みが違う。


「そういえばガンロックさんって、昔すごい伝説があるってジャン師匠から聞いたんですけど。火龍を倒した話……」


僕がそう切り出すと、ガンロックさんは少し意外そうな顔をした。それからゆっくりと、遠い目をする。


「……ああ。あれはもう十年前になるか」

「聞いてもいいですか?」

「構わんが、そう大層な話ではないぞ」


ガンロックさんは腕を組み、静かに語り始めた。


「この国の南東に、かつてベリンという小国があった。穀倉地帯に恵まれた穏やかな国でな。人口はさして多くはなかったが、民は勤勉で、レーヴェとの交易も盛んだった」

「かつて……ということは、今は」

「滅んだ。たった一匹の火龍の暴走によって」


思わず息を呑んだ。たった一匹で、国がなくなるなんて。


「火龍とは、その名の通り炎を司る龍だ。通常は深山に棲み人里には降りてこない。だが、何らかの原因で暴走した個体がベリンの王都を襲った。城壁も、石造りの砦も、すべてが灰になった。消火に動いた兵も、逃げ遅れた民も……」


ガンロックさんの声は淡々としていたが、その奥に押し殺された感情がにじんでいた。


「レーヴェに飛び火する前に、討伐の命が下った。向かったのは私と、もう一人」

「もう一人?」

「水の勇者、リュート=シュバルツだ」


水の勇者。その名前には聞き覚えがあった。


「水の勇者……確か、二年前の建国祭の時に、魔王軍の幹部を名乗った魔族に……」


僕がそう呟いた瞬間、空気が変わった。

ガンロックさんの纏う気配が、一変したんだ。声を荒らげるような怒りじゃない。もっと深い場所から湧き上がってくる、岩盤を割るような静かな激情。隣に座っているだけなのに、地面から圧力がせり上がってくるのを感じた。足元の石畳に、細い亀裂が一本走る。


「ガンロック、さん……?」

「……あやつは、レーヴェ一の槍使いだった」


低い。声が、低い。


「一対一の戦闘においては、この私をも凌ぐほどの使い手だ。水の魔法と槍術を融合させた戦い方は芸術の域にあった。そのあやつが、正面から負ける姿など――私にはどうしても想像ができん」


ガンロックさんの拳が膝の上で握り締められ、指の関節が白くなっていた。


「真面目で、誠実で、己の正しさをけして曲げぬ男だった。そういう男だからこそ、もし相手が卑劣な手を使ったなら……あやつは対処が遅れる。裏切りや騙し討ちへの備えなど、あの男は持ち合わせていないのだ」


その言葉に込められた悔しさの深さに、僕は何も言えなくなった。


「……すみません。軽はずみなことを」

「いい。お前が悪いわけではない。……すまんな、少し取り乱した」


ガンロックさんは一つ深い息をつき、握り締めていた拳をゆっくりと開いた。そして再び、遠い目をした。


「……火龍の話だったな」

「あ、はい……リュートさんと一緒に討伐に行かれたんですよね」

「ああ。あれは死闘だった。火龍の炎は岩をも融かす。私の岩壁は何度も砕かれ、二人とも満身創痍になった。それでも、リュートの水魔法がなければ私一人では勝てなかった。あやつの水槍が火龍の鱗の隙間を射抜き、私が止めを刺した。……二人がかりで、ようやくだ」


たった二人で龍を倒したなんて……僕には想像もつかない。


「リュートさんとガンロックさんは、どういう関係だったんですか?」


僕が尋ねると、ガンロックさんは少しだけ目を伏せて、口元を緩めた。こんな柔らかい表情、この人にしては珍しいなぁ。


「……戦友であり、好敵手であり。私があやつに抱く感情を一言で表せる言葉を、私は知らん」


そう言って、ガンロックさんは空を仰いだ。

     _____

それは、まだベリンの焼け野原に煤の匂いが残っていた頃の記憶。

鍛錬場に二つの影が向かい合っていた。一方は岩の如き巨躯。もう一方は、それに比べれば細身だが、背筋の通った長身の男。蒼い髪を後ろで束ね、手にした長槍の穂先が夕陽に銀色の線を引いている。水の勇者、リュート=シュバルツ。


「ガンロック殿、お忙しい中を訓練にお付き合いいただき、申し訳ない」


リュートは槍を立て、丁寧に一礼した。いつも通りの、真面目な男だった。


「何を言う。私の方こそ、お前との手合わせで学ぶことの方が多い。むしろこちらが礼を言わねばならん」


ガンロックはそう返してから、ふとリュートの頬に残る赤い跡に気づいた。


「……リュート。その頬の跡は何だ」

「……何でもありません」

「エリーゼ殿下か」


リュートが目を逸らした。それだけで答えは十分だった。


「何をやらかした」

「……訓練に集中しすぎて、約束していた昼食の時間に遅れてしまいまして」

「それで平手か。……レーヴェ一の槍使いが、恋人には頭が上がらんとはな」

「ガンロック殿、笑わないでいただきたい」

「笑ってはおらん」


ガンロックの口元は確かに笑っていた。リュートはため息をついたが、その目元はどこか嬉しそうでもあった。

ガンロックはふと自分の左腕に視線を落とした。火龍戦の傷痕はもう塞がっている。だが、あの時の感覚はまだ消えない。


「……リュートよ。先日の火龍の一件、お前が庇ってくれなければ私は死んでいた」

「あの場では当然のことをしたまでです」

「当然、か。……お前はいつもそうだな」


ガンロックは聖剣を地に突き立て、静かに口を開いた。


「リュートよ。神聖勇者がおらぬ今、この国を、いやこの大陸を背負える勇者はお前しかおらん。……私に万が一のことがあった時には、レーヴェを頼む」


リュートの眉がわずかに動いた。槍を持つ手が微かに止まる。


「……どうされたのですか、ガンロック殿。貴方はそのようなことを口にされる方ではないでしょう」


リュートの声には困惑と、かすかな不安が入り混じっていた。


「いや……先日の一件で、少し考えることがあってな。私が倒れた時、お前がいなければあの場の兵も民も守れる者がいなかった。……私一人では、守りきれんのだと思い知らされた」

「ご冗談を。火龍を倒したのはガンロック殿の一撃あってこそです。私一人では鱗に傷をつけるのが精一杯だった。弱気はあなたには似合いません」


リュートが微笑む。その穏やかな眼差しには、敬意と信頼がにじんでいた。


「ハハ、くだらんことを言って悪かった。訓練に戻ろう」


ガンロックが気恥ずかしげに笑い、聖剣を構え直した。リュートも槍を構えようとして――ふと、動きを止めた。


「ガンロック殿」

「……何だ」


リュートは真っ直ぐにガンロックを見据えた。その目には、先ほどの穏やかさとは異なる、深い決意の色が宿っていた。


「万が一、その時が来たのならば」


リュートは槍を胸の前に掲げ、騎士が誓いを立てるように静かに告げた。


「このリュート=シュバルツが、レーヴェも、ガンロック殿も、必ず守ってみせます」


その声には揺るぎがなかった。まるで天に誓うように。自分の命よりも先に、守るべきものを並べてみせたその言葉に、ガンロックは何も返せなかった。

リュートは少しだけ照れたように視線を落とし、それから穏やかに笑った。


「……ガンロック殿は、私に弱音を見せてくださった。ならば私は、強さでお返しします。私が強くなる理由は、守りたいものがあるからです。それだけで十分です」


その言葉を聞いた時、ガンロックの胸に去来したものを、言葉にすることは今でもできない。ただ一つだけ確かなのは、リュートの目が、あの瞬間ひどく眩しかったということだけだ。

     _____

「リュート。……私が生きても、お前が死んでどうするんだ……」


ガンロックさんの掠れた声が、僕を現実に引き戻した。見ると、ガンロックさんは空を仰いだまま目を閉じていた。その横顔が、岩の勇者って呼ばれるこの人のものとは思えないくらい、脆く見えた。


「ガンロックさん……?」

「……あやつは約束を守った。レーヴェを守った。だが、自分を守ることを忘れた。いつもそうだった。自分のことは後回しにする男だった」


ガンロックさんは目を開き、僕を見た。


「光。お前にあやつの面影を重ねるつもりはない。だが、一つだけ言わせてくれ」

「はい」

「生き延びろ。死んで守るなど、残された者には呪いにしかならん」


その言葉は重くて、僕の胸に深く沈んでいった。リュートさんのことを語るガンロックさんの目の奥に、取り返しのつかない後悔と、ほんの少しの怒りが揺れているのが見えた。守ると誓ってくれた人が、自分を犠牲にして先に逝ってしまった。その痛みを、この人はずっと抱えて生きているんだ。


「……ガンロックさん」

「何だ」

「僕と、もう一度手合わせしてください」


ガンロックさんが僅かに目を見開いた。


「一ヶ月前に負けてから、毎日あの時の敗北を考えながら訓練してきました。ガンロックさんと戦ったから分かったことが、たくさんある。地面を読むこと、身体の動かし方、魔力の使い方……全部、あの日があったから意味が変わったんです」


僕は立ち上がり、ガンロックさんの前に立った。


「まだ全然足りないのは分かってます。でも、今の僕がどこまでやれるのか、ガンロックさんに見てほしいんです」


ガンロックさんは僕をじっと見つめた。その視線は重く、確認するような眼差しだった。


「……何故、そこまでする。お前は召喚されただけだ。この世界の戦いに命を懸ける義理など、本来ないはずだろう」


ちょっと意外な問いだった。けど、答えは考えるまでもない。


「僕が強くなる理由は、守りたいものがあるからです。王様も、ロンネルさんも、師匠たちも、メイリーも、ガンロックさんも。……それだけで、十分です」


言い終えて、自分でもちょっと照れくさくなった。なんか大層なこと言っちゃったかな。けど、嘘じゃない。

ガンロックさんは、動かなかった。僕を見つめたまま、まるで石になったかのように。


「……ガンロックさん?」


数秒の沈黙の後、ガンロックさんはゆっくりと目を伏せた。そしてさらにゆっくりと立ち上がって、地面に突き立てていた聖剣を引き抜いた。

その顔は僕からは見えなかった。けど、聖剣を握る手が一瞬だけ震えたのは、見間違いじゃなかったと思う。


「来い、光」


振り返ったガンロックさんの目は、もう乾いていた。けどその奥に灯った熱は、さっきまでとは明らかに違うものだった。

     _____

僕は木剣を握って、深く息を吸った。足裏に魔力を落とす。「風歩」の応用なんだけど、一ヶ月前は滑るだけだった足運びに今は緩急がついている。あの完敗の日から、ジャン師匠に足腰を一から叩き直してもらって、リアンナさんの魔力操作を剣筋の一振りごとに織り込む練習を繰り返してきたんだ。同じ素振りでも、同じ魔力循環の反復でも、あの敗北を知った身体には違う意味があった。

「はッ!」

踏み込む。脚の筋繊維に沿って魔力を走らせ、身体を一気に加速させる。リアンナさんに教わった、魔力を「鎧」ではなく「筋」として使う操作だ。以前とは踏み込みの鋭さが段違いだと自分でも分かる。そのまま斜め下から斬り上げる。ジャン師匠の叩き込んだ基本の型に、薄く風の魔力を乗せてある。刃筋が空気を裂いて鋭い音が鳴った。

ガンロックさんは岩の聖剣を横に構え、受け止める。ガキィン、と重い手応えが返ってきた。前回はこの時点で弾き飛ばされて終わりだったのに、今は押し合えている。


「……ほう」


ガンロックさんの口元がわずかに動いた。けど次の瞬間、足元の石畳がぐにゃりと波打つ。来た――【岩の聖剣】による地形操作だ。地面そのものを武器にするこの人の戦法で、前の僕なら対応できなかった。

足裏の感覚で石畳が盛り上がる兆候を読み取る。あの日の敗北が教えてくれたのがまさにこれなんだ、地面への意識。魔力を足に集中させて、隆起するより先に横へ跳んで安定した足場を確保する。


「地を読めるようになったか」


ガンロックさんが静かに言う。けれど手は緩めない。聖剣を地に突き立て、半径数メートルの石畳を一斉にせり上げる。鋭い岩壁が四方から迫った。


「ウィンドスラッシュ!」


風の刃を三連射して前方の岩壁を切り裂き、突破口を開く。以前なら一発撃つだけで集中が途切れていたけど、今は身体を動かしながら魔法を編める。裂け目から飛び出して間合いを詰め、魔力を纏わせた木剣を打ち込んだ。

ガキンッ!

鍔迫り合い。岩の聖剣と木剣が軋む音が響く。押しているわけじゃないし、ガンロックさんは微動だにしない。だけど一瞬で押し返されることもなくなっていて、それだけで嬉しかった。


「力も上がったな」

「師匠たちのおかげです……!」


鍔迫り合いの最中、ガンロックさんの足元から石の蔓が伸びてくるのが見える。脛を掴もうとしている。


「させないっ!」


足元に氷の魔力を叩きつける。「アイスグラウンド」――地表を薄く凍らせ、石の蔓の動きを鈍らせる。完全には止められないが、一瞬の隙は作れる。その隙に鍔迫り合いを解き、後方へ跳躍。

「フロストランス!」

空中から氷の槍を三本、扇状に射出。ガンロックさんは聖剣を一閃し、二本を叩き落とす。だが三本目が肩口を掠め、外套の端が凍りついた。


「氷も使いこなし始めたか。器用だな」

「ありがとうございます……でも、まだ足りないっ!」


着地と同時に水の魔法を編む。

「ウォーターカーテン!」

水膜を正面に展開して視界を遮る。けどこの手はガンロックさんに一度見せちゃってる。だからこそ裏をかくんだ。水膜の陰で横じゃなく真下へ。膝を折って地面すれすれの姿勢から一気に踏み込む。ガンロックさんの警戒は横への回り込みのはず。その読みの逆を突く。

「はああっ!」

下段からの突き上げ。木剣の切先にありったけの風を載せた一撃。

ガンロックさんの目が細まった。だが――地面に沈んだ。岩の聖剣の能力、地中潜行。足元が液体のように飲み込み、僕の突きは空を切る。

一瞬で背後の地面からせり上がり、聖剣の横薙ぎが迫る。

「くっ!」

咄嗟に木剣を縦に構えて受ける。衝撃が両腕を貫いて膝が折れそうになったけど、歯を食いしばって踏ん張った。前の手合わせではこの一撃で吹き飛ばされて終わったんだ。今こうして耐えられていることが、この一ヶ月の全てだと思った。


「……いい。一ヶ月で別人だ、光」


ガンロックさんの声に、初めてはっきりとした賞賛が混じっていた。けど同時に、余裕が消えた声でもあった。

次の瞬間、ガンロックさんの足が大地を踏み鳴らす。

ドォンッ!

地面全体が波打った。石畳が砕け、岩の柱が四方から突き上がる。逃げ場を潰し、頭上からも岩塊が降り注ぐ。岩の聖剣の真骨頂。鍛錬場そのものが、ガンロックさんの支配領域になる。

「ウィンドスラッシュ!」

頭上の岩を斬る。だが左右から岩柱が迫る。

「アイスウォール!」

左手を突き出し氷の壁を展開して岩柱を受け止めるが、すぐに亀裂が走る。長くは持たない、でも一瞬あればいい。右手に魔力を集中し、風を纏わせた全力の一閃で右の岩柱を叩き割った。砕けた破片が頬を切ったけど、道は開けた。

包囲を抜け、距離を取る。荒い息を整える。ガンロックさんも僅かに息を乱している。互いに消耗している。


「……ガンロックさん。本気で来てくれてますか?」

「六割といったところだ」


六割か。前回は三割程度だったって後で聞いたから、僕は確実に強くなってる。けど裏を返せば、あと四割の壁がまだ残っているってことだ。

胸の奥で何かが疼いた。光の魔法――召喚されてからずっと体の奥底で脈打ち続けてる、リアンナさんが言ってた「希望と結びついた力」。まだ制御もできないこの力を、ここで使うべきなのかな。

その逡巡が一瞬だけ足を止めさせてしまった。見逃すガンロックさんじゃない。地面が液状化して、石の枷が足首を掴んでくる。


「迷うな。次の一手を打て」

「……っ!」


足首を氷で覆って石の侵食を止め、風で砕いて脱出する。けど着地した瞬間、ガンロックさんが目の前にいた。踏み込みが速い。聖剣が振り下ろされる。

身体強化を全開にして横へ跳ぶ。肩を掠めた刃の風圧だけで身体が半回転して、地に手をついてなんとか立て直した。

やっぱりこの人は強い。僕の水も風も氷も、ガンロックさんの地形支配の前だとどうしても一手遅れちゃう。大地そのものがこの人の戦場で、その上に立ってる限りこの不利は覆らない。なら――覆すには、あの力しかないんだ。胸の奥の脈動がさっきからどんどん強くなってる。まるで僕の覚悟を待ってるみたいに。

けど、怖い。制御できる保証なんてない。暴発したらガンロックさんを傷つけてしまうかもしれない。


「ガンロックさん。一つだけ、お願いがあります」

「言え」

「光の魔法を……撃たせてください。制御できるか分かりません。でも、今ここで踏み出さないと、僕はいつまでも――」

「撃て」


ガンロックさんが遮った。


「ただし、全力でだ」

「え……?」

「お前は魔王を討つ勇者だ。“試す”などという生ぬるい構えで放ったものが、魔王に届くと思うのか。全力で撃て」


ガンロックさんは聖剣を正面に構えた。地面から岩の壁が何重にもせり上がって、全身を覆う岩の鎧が形成されていく。あれは防御じゃない。僕の全力を真正面から受け止めるっていう宣言だ。


「でも、僕の光魔法がガンロックさんに直撃したら――」

「光よ」


ガンロックさんの声が、これまでで一番低くて、一番熱かった。


「あまり舐めるなよ。この岩の勇者を。レーヴェの鎧、ガンロックを!」


その一言が、胸を貫いた。

僕は守ろうとしてたんだ、ガンロックさんを。けどそれはこの人の覚悟と誇りを踏みにじることなんだ。岩の勇者としての矜持を賭けて、リュートさんを失ってもなお折れなかったこの人の誇りを賭けて、全力で来いって言ってくれてる。なら応えなきゃ。

目を閉じる。胸の奥でずっと脈打っていた光に手を伸ばした。触れた瞬間、全身を白い熱が貫く。水でも風でも氷でもない、もっと根源的な力だ。心そのものが燃えるみたいな感覚が全身を駆け巡る。

脳裏に声が響いた。誰の声かは分からないけど、この魔法の名前だけがはっきり浮かんでくる。

両手を突き出す。掌の間で光が凝縮していく。白から金へ、金から純白へと色を変え、光が光を呼んで収束が加速する。鍛錬場の空気が震え、石畳に白い亀裂が走った。身体中の魔力が根こそぎ引きずり出されていく感覚に血管が焼けるように熱くなり、視界が白く滲んでいく。

でも、止めない。止めちゃいけない。

「――『セイクリッド・レイ』ッッ!!」

掌から放たれた光の奔流が、鍛錬場を白く塗り潰した。

轟音。地面を削り、空気を焦がし、真っ直ぐガンロックさんへと突き進む光の柱。古代の神聖勇者が魔王を追い詰めたとされる、伝説の光魔法。

ガンロックさんは一歩も退かなかった。

「おおおおおッッ!!」

聖剣を正面に突き立て、岩の壁を五重、六重、七重に展開する。地面から引き抜いた岩盤が盾となり、光の奔流を受け止める。一枚目が砕ける。二枚目が融ける。三枚目に亀裂が走り、四枚目を削り、五枚目を貫き、六枚目で光の勢いがようやく鈍り――七枚目で、止まった。

衝撃波が鍛錬場を吹き抜け、砂塵と蒸気が渦巻いた。

「は……っ、は……っ……」

膝が崩れて手をついたけど、もう指の感覚がない。身体中の魔力を使い果たして一滴も残っていなくて、視界がぐらぐら揺れて空と地面の境が溶け合っていく。

「やっ……た、の……かな……」

声が掠れて、それきり身体が動かなくなった。鍛錬場の石畳に倒れ込むと、冷たい石の感触が頬に触れた。意識が遠退いていく中で、霧の向こうにガンロックさんの姿が見えた。

立ってた。

けどその姿は壮絶だった。七重の岩壁は跡形もなく砕け散って、全身を覆っていた岩の鎧はほぼ全壊してる。聖剣の刃は半ばから折れて、胸当ての岩には深い亀裂が走っていた。左腕がだらりと下がって、膝がかくかくと揺れて、口の端から一筋の血が流れている。

「……見事だ」

ガンロックさんの声は掠れていた。けどその顔には、今まで見たことないくらいの笑みが浮かんでいた。


「制御もなく、身体もまだ出来ていない状態で、これほどの光魔法を……末恐ろしいな、光」


その言葉を聞いたところで、僕の意識は完全に途切れた。

     _____

セイクリッド・レイが放たれた瞬間、城全体が揺れた。

宰相執務室では棚の書物が一斉に崩れ落ち、ロンネルが椅子から立ち上がった。窓の向こう、鍛錬場の方角に白い光の柱が空を突き刺しているのが見える。

「……何事だ!」

廊下では兵士たちが足を止め、窓の外を凝視していた。光の柱は一瞬だけ太陽よりも眩しく輝き、そして消えた。代わりに地鳴りのような轟音が城壁を震わせ、窓硝子がびりびりと鳴った。


「鍛錬場の方角だ!」

「あれは……魔法か!?」


城の回廊を掃除していたメイリーは、轟音で手にしていた水差しを取り落とした。割れた陶器が足元に散らばるのも構わず、窓に駆け寄る。鍛錬場から立ち昇る白い蒸気と砂塵が見えた。

「勇者様……!」

水差しの欠片を踏み越え、メイリーは走り出した。

訓練場の裏手で木剣の手入れをしていたジャンは、地面の揺れに片膝をついた。次の瞬間、鍛錬場の方角から押し寄せてきた熱風に目を細める。

「おいおい……何だ今のは!」

立ち上がり、全速で駆け出す。その横を、リアンナが風の魔法で加速しながら追い抜いた。

「魔力の残滓……光魔法!? しかもこの規模は……!」

リアンナの顔から、いつもの余裕が消えていた。

三人が鍛錬場に辿り着いた時、目に飛び込んできたのは――半壊した石畳の上に倒れ伏す光の姿と、折れた聖剣に縋るように立つガンロックの姿だった。

「勇者様ッ!!勇者様!!」

メイリーが石畳の破片を踏み越えて駆け寄り、倒れた僕の傍に膝をつく。

「おい坊主!!しっかりしろ!!」

ジャン師匠の怒号が鍛錬場に響く。


「魔力の完全枯渇だ。生命維持に必要な分まで使い切っている……ジャン、担いで。私が魔力を補填しながら運ぶよ」


リアンナさんの声は冷静だったけど、僕の脈を取る指先にわずかに力がこもっていた。

「勇者様……勇者様……っ!」

メイリーの震える声と、頬に触れる温かい手。泣いてるのかな。ごめん、心配かけて。

「……だいじょう、ぶ……」

それだけ絞り出して、僕の意識は闇に沈んだ。

     _____

鍛錬場に残されたガンロックは、折れた聖剣を杖代わりに身体を支えながら、光が運ばれていく背中を見つめていた。

全身が軋んでいる。岩の鎧の残骸が、ぱらぱらと崩れ落ちる。七枚の壁を張って、ようやく止められた。もし六枚で力尽きていたら――考えたくもない。

あの光は、知っている。書物や伝承で語り継がれてきた、太古の神聖勇者が放ったとされる輝き。それと同じものを、今この目で見た。……伝承は、何一つ誇張していなかった。むしろ言葉では足りぬほどだ。あれを正面から受けて立っていられたことの方が、奇跡に近い。


「……太古の勇者と、同じ光だ」


呟きは誰に聞かせるでもなく、静かな鍛錬場に落ちて消えた。

ガンロックは空を仰いだ。午後の陽が目に沁みる。その陽射しの中に、蒼い髪の男の背中が見えた気がした。


「見ていたか、リュート。……お前が守ったこの国に、英雄が現れたぞ」


折れた聖剣の柄を握り締め、ガンロックはゆっくりと膝をついた。その肩が一度だけ、小さく震えた。


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