幽霊の正体見たり枯れ女 其の参
小四郎と佐吉が武光の住んでいる長屋を訪れたのはその翌日だった。
無論、佐吉の勤めが終えてからになるので夕方過ぎになってしまった。
如月ゆえに日が暮れるのが早く、背中を通る冷気で凍えそうになる。
しかし小四郎は平気そうに鼻歌まじりにてくてく歩いていた。その後姿を見つつ、子供は風の子とはよく言ったものだなと佐吉はぼんやり考えていた。
武光は生家を追われてから、遠くの町人長屋に身を寄せている。
何を生業にしているかは不明だが、住居のが意見を窺うにあまり良い生活をしていないと佐吉は考えた。
長屋の一角の前で止まった小四郎は「ここですね」と指し示した。
「どうやって調べたんだ?」
「幸い、私には時間がたっぷりとありまして。それに昔から調べ事が得意なのです」
煙に巻いた言い方もそうだが、その時間を学問や武芸に充ててほしいと佐吉は内心思った。
気を取り直して佐吉が「御免。武光殿はおるか?」と声をかけた。
どたばたと音がしてがらりと戸が開く。
「あん? なんだあんた?」
着流しに無精ひげを生やした小汚い男が出てきた。
どこか武三の面影があるなと佐吉は思いつつ「雨森佐吉重信と申す」と名乗った。
すると男は怪訝な顔になった。
「雨森? ……そういえば、兄上の同僚にそんな名の者がいたような」
「武光殿だな? 少し話をさせてもらう」
佐吉の横柄な言い方に「話だと? こんな俺に何の話があるってんだ?」と武光はせせら笑う。
「あるのは俺ではない。こちらの小四郎のほうだ」
「お初にお目にかかります。小四郎と言います」
佐吉の後ろから現れた小四郎を見てあからさまに「なんだガキじゃねえか」と武光はつまらなそうに笑う。
「子供が俺に何の用だ?」
「子供ですので分からないことがあるんです。いくつか訊いていいですか?」
皮肉をものともしない小四郎に興味がひかれたのか「訊きたいことだと?」と比較的素直な反応を武光は見せた。
このやりとり自体が小四郎の狙い通りであることに武光はおろか、佐吉ですら気づいていない。
「武光さんは林田家の幽霊騒動に関わっていませんよね?」
「ああ。巷で噂になっているあれか。おいおい、まさか追い出された腹いせに俺がやったと言いたいのか?」
「いえいえ。関わっていませんよね、と訊きました」
つまり、そもそも小四郎は武光が犯人ではないと断じていた。
傍から聞いていた佐吉は面食らってしまう。てっきり犯人は武光だと思っていたからだ。
「ふん。だったらよ、誰が犯人だって言うんだ?」
「……お答えする前に三つほど武光さんに訊いてもいいですか?」
「さっきから訊いてばかりじゃねえか……なんだよ?」
いつの間にか協力させられているのは小四郎の会話の運び方が絶妙であるからだ。
「武光さんが勘当された理由を教えてください」
「答えづらいことを訊くガキだな……俺が務めを果たせなかっただけだ」
「ふうん。案外、器用そうに思えますけどね」
「見え透いたお世辞はよせ」
「では二つ目。今はどのようにして生計を立てられているのですか?」
これこそ答えづらい問いではないかと後ろで聞いていた佐吉は思った。
けれども、武光は「これで稼いでいる」と奥のほうから紙の束を持ってきた。
それらには細部まで凝っている浮世絵が書かれていた。
「へえ。上手な絵ですね」
「まあな。雅号は『竹光』ってんだ。知らねえと思うけどな」
無名の絵師ではあるが、素人が見ても出来の良いと思わせる作品だった。
佐吉は感心するものの、同時に疑念を抱いていた。確かに武光が絵で生活しているのは知らなかったが、それが林田家の幽霊騒動とどう関係があるのだろうか?
「最後の問いです。勘当されたのはいつぐらいですか?」
「睦月の中頃だったな。半年前に母が亡くなってから誰も庇ってくれなくなった」
「そうですか……よく分かりました。ありがた山のとんびがらすでございます」
納得のいった様子で頭を下げてそのままどこかへ行ってしまう小四郎。
佐吉は武光に礼を言って小四郎を追いかけた。
その場にはよく分からないという顔の武光だけが残された。
「おい小四郎。先ほどの問いはなんだったんだ? それで犯人が分かるのか?」
「ええ。十二分に分かりました。さあ佐吉さん。手はずを整えてください」
「手はず? 何をすればいいんだ?」
小四郎は笑みを絶やさずに「決まっているでしょう」と言い切った。
「もう一度幽霊を見るために、林田家の方々に渡りをつけてください」
◆◇◆◇
佐吉が武三に頼み込んで林田家の屋敷にやってきたのは二日後のことだった。
昨日は武三の母の月命日で日が悪いとのことだった。
当然、小四郎もその場に来ていた。目をらんらんと輝かせて外を眺めるのを、武三は不思議そうに見て「その子が話していた小四郎か」と佐吉に訊ねる。
「ええまあ。今日で幽霊騒動を解決するそうです」
「なんだと? ……不思議な術でも使えるのか?」
半信半疑な武三に「不思議な術など使えませんよ」と小四郎は笑う。
「むしろ不思議なことを無くすために来ました」
なんとも自信ありげな言い様に武三は「頼もしいな」と感情を込めずに言う。
目では、大丈夫かこの子、と語っていた。
佐吉もまた小四郎の考えが上手くいくかどうか、判断付かなかった。
さて。夜が更けて丑三つ時。
いよいよ件の幽霊が現れる時刻となった。
部屋の火鉢の炭がばちっと音を立てた――そのときである。
「き、来ました! 幽霊ですよ!」
やや興奮気味に小四郎が喚く。
佐吉が障子をばっと開けた。
はたして、大柄で痩せている幽霊がこの前と同じく廊下に立っていた。
「やい幽霊! お前は私が退治してやるぞ!」
勇ましく小四郎が叫び幽霊を追っていく。
「小四郎! 一人で無茶するな!」
遅れて佐吉と武三が後を追う。
またしても幽霊が部屋に入る。
小四郎がその部屋の障子を開けた。
そこには誰もいなかった――
「また消えたぞ! どういうわけだ!?」
武三が驚愕する中、小四郎は周りを見渡した。
家具などはなく、隠れられる空間がない。
ふと小四郎が畳を調べ始めた。ほとんど寝転ぶように見ている――
「佐吉さん、武三さん。その畳をご覧ください」
部屋の左奥の隅の畳が浮いていた。
佐吉と武三が目で合図して畳の左右に分かれる。
そして畳を引き上げた――そこには女の幽霊が身を縮こまらせて床下に隠れていた。
「なにぃ!? この女、何者だ!?」
「ええ。私には分かっております」
小四郎は笑顔のままこちらに顔を合わせないようにしている幽霊に言う。
「吾作さんですね。あなたしかいないと思っておりました」
◆◇◆◇
すぐさま吾作は縄を打たれた。そして小四郎と佐吉、武三と武吉が事情を訊くことになった。
「まさか吾作が犯人だったとは……しかも奇怪なことにここまで痩せた……」
武三が慄きながら言ったとおりである。
太っていた吾作だったが、今では見る影もなく痩せていた。それも謎であった。
「即刻、この者をつまみ出せ!」
「お待ちください、武吉さん」
小四郎の静かな声に武吉は「何を待つというのだ!?」と怒りを湛えながら言う。
「林田家に恩義ある身でありながら、このようなことを!」
「私の推察を聞いてくれますか? おそらく林田家にとって良い話になると思います」
不思議な子供だと佐吉は改めて思う。
幼いながら人が静聴しようと思える声音をしていた。
生来のものだろう。それこそが小四郎の秀でた才能なのだ。
「吾作さんは私利私欲のために行なったわけではありません。現に給金の話は上がっていませんでしたし」
「確かにそうだが……では何が目的なんだ?」
「はっきり言いましょう。勘当された武光さんのためです」
「なに!? ではあの武光が黒幕なのか!?」
早合点した武吉の大声を遮って「違います! 武光様は関係ありません!」と吾作は喚いた。
「そうですね。これは――吾作さんが勝手にやったことですから」
「……どういうことだ? さっぱり分からんぞ?」
首をかしげる武吉と同様な気持ちの一同。
すべてが分かっている小四郎が「説明しましょう」と申し出た。
「まず幽霊騒動で林田家に注目を集めます。その後、幽霊が出るようになった理由は、武光さんを勘当したから、という噂を流す……その予定だったんですよね?」
「……坊っちゃんは何でもお見通しなんですね」
観念した吾作に「私にも分からないことはありますよ」と小四郎は笑顔で返す。
「待て小四郎。お前は得心したようだが、いくつか分からないことがある」
「なんでしょうか、佐吉さん」
「まず吾作の身体だ。前に会ったときには太っていた。今日の晩のときもだ。しかし今は枯れ木のように痩せている。いったいどういうことだ?」
「人間は太った状態から痩せることもできます。おそらく半年前から徐々に痩せていったのでしょう。太って見えていたのは服の中に布か何かを入れていたからです」
「しかし顔はどうやって太っているように見せた? そのせいで顔を見ても吾作とは分からなかった」
化粧をしてカツラを被って女に見せていたとはいえ、頬がこけているほど痩せていたら見分けはつかない。
「顔は口の中に綿を入れていたのです。それならば太っているように見えます」
「なるほど。しかしお前はいつから吾作を疑っていたんだ?」
「最初からですよ。だって佐吉さんの話を聞く限り、他の家人は小柄なんでしょう?」
「小柄でも背丈を高くする方法はあるはずだ。底の高い下駄を履くとか」
「滑るように速く動いていたのでしょう? 下駄を履いたらそんなに素早く動けませんし、からんころんと音も響きます」
「……うーむ、そのとおりだ」
一応、理にかなっていたので佐吉は反論しなかった。
「まあ煙のように消えた方法はなんとなくしか分かっていませんでした。それでも床下に隠れるだろうとあたりをつけていました。ま、予想が外れなくて良かったです」
「それも気になっていた。一拍置いた状態でも畳を開け閉めできるのか?」
「それは難しいでしょう。しかしあらかじめ開けておいて隠れて閉めるのならばできます」
小四郎は「他に分からないことはありますか?」と一同に訊ねる。
「吾作がどのように幽霊に扮していたのかは分かった。しかし武光が原因だという話は上がっていない。そろそろ教えてくれぬか?」
武吉が焦れたように言う。
小四郎は「それは吾作さんから話を伺いましょう」と余裕で返した。
「吾作さん、今なら聞き入れてくれますよ」
「……今は亡き奥方から頼まれたことなんです」
ぼつりぼつりと吾作は動機を話し始めた。
「自分が死ねば、武光様を勘当すると奥方様はおっしゃっていました。だから吾作、私が化けて出たことにして勘当をなんとか取り下げるように計らってほしいと」
「馬鹿なことを……そのようなことで勘当を取り下げるわけがないだろう」
武吉が首を大きく振った。傍から見れば浅はかな行ないだろう。しかし吾作は亡くなった奥方のために、自らを省みずに幽霊騒動を起こした。それが頑固な武吉の心に刺さってしまう。
「武光さんの勘当を解くのはどうでしょうか?」
「小四郎。それは出過ぎた進言だ。いくらなんでもこんな情けない理由では――」
佐吉が苦言を呈するが「情けない? どこが情けないんですか?」と小四郎は珍しく拗ねたような顔で遮った。
「鬼籍に入ったとはいえ、奥方の願いを必死に叶えようとしたんですよ? その忠節は武士の家人として立派じゃないですか。どこも情けなくないですよ」
「一理あるがな。武士の面子というものがある」
「……面子は家族よりも大事なんですか?」
口を尖らせたまま小四郎は言葉を紡いだ。
「家族がいないのは寂しいんです。頼る人がいなくて教えてくれる人がいない。真っ暗な道を手探りで歩くものなんですよ。そりゃあ武士にとって面子は大事でしょう。見栄を張りたい気持ちも分かります。でもね――血を分けた親子がくだらないことで仲違いするのはみっともないんですよ」
ほとんど無礼な言いざまだったが、武吉も武三も咎めたりしなかった。
小四郎の言葉を噛み締めているようだった。
「ま、私がいくら言おうが頑迷な人には伝わらないでしょうけど」
一転、笑顔になって小四郎は「万事解決しました」と佐吉に告げた。
「さあ帰りましょうか……そうそう、佐吉さんに訊きたいことがあったんですよ」
「なんだ? お前の推察の外にあることか?」
「どうして――幽霊を信じていないんですか?」
初めっから佐吉は幽霊を否定していた。
幽霊騒動に遭遇してからは苛立ちすら見せていた。
佐吉は「もし幽霊がいるのなら」と小四郎を見据えて言う。
「真っ先に俺の元に化けて出るだろう――父上がな」
「それまたどうして?」
「お前がいるからだよ」
目をぱちくりさせる小四郎に佐吉は根拠を突きつけた。
「お前という息子を俺に託そうとする。真面目な父上ならば生前言えなかったことを死んだ後に頼んでくるはずだ。律儀なお人だからな」




