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幽霊の正体見たり枯れ女 其の弐

 さて。幽霊騒動の犯人を捕まえてみせようと啖呵を切った佐吉は、その晩に武三の家に向かった。立派な門構えの武家屋敷だ。同じ旗本ながら雨森家と同等、もしくはそれ以上の格式であると窺える。


 まずは武三の奥方である、すえに挨拶をした。

 すえは小柄で面長、食事を摂っているのか不安になるくらいの痩せた女だった。

 まるでこの人が幽霊のようだなと佐吉は思ったが、もしすえが幽霊の正体ならば家人は気づくだろうとも考えた。そのくらい特徴のある美しい顔をしていた。


「佐吉様。こたびはどうもありがとうございます」


 目の下に隈がくっきりとある。

 そんな彼女は何度も頭を下げた。


「私……怖くてたまらないのです。この世ならざる者がこの屋敷にいると思うだけで、震えてしまいます」


 あまりの怖さに子の武丸を自分の実家に預けたほどだという。

 まるでこの人自体が幽霊みたいだなと佐吉は思ったが口には出さない。


 その後、縦にも横にも大きい家人の吾作に案内されて武三の父である武吉の元に向かう。

 すれ違う家人たちはどれも小柄で痩せているなあと佐吉は疑いをもって見つめる。


「ご隠居。雨森様をお連れしました」


 吾作が部屋の前で告げると「入ってもらえ」と応じる声がした。

 障子を開けると口に紙を咥えて、梵天で刀の手入れをしている老人がいた。

 林田家先代当主の林田武吉顕家である。

 武三とよく似て恰幅の良い姿だった。


「これは雨森殿。こたびは愚息の頼みを聞き入れてくださりありがとうございます」


 刀を仕舞って礼式に則って頭を下げる武吉に「いえいえ、武三殿にはお世話になっておりますゆえ」と礼儀をもって返す佐吉。

 流石に礼儀作法の達人の四郎の手ほどきを受けた佐吉である。口うるさい武吉が惚れ惚れとする仕草だった。


「それで、こたびの騒動のことですが――」

「腹立たしいことに、この屋敷に得体の知れない輩が住み着いている様子でして」


 息子の武三と同じく、武吉は幽霊の仕業だと断じている。

 すかさず佐吉が「お任せください」と胸を張って応じた。


「俺が件の幽霊騒動を止めてみせましょう」

「おお! 心強い! 武三、お前も当主なのだからこれくらいの気概をな――」

「説教は勘弁してくれ。それと本題に入らないと佐吉殿に申し訳ないだろう」


 親の小言はいつの時代も嫌がられるものである。

 佐吉の手前もあり、ごほんと咳払いして「そもそも家人が言い出したことなのです」と話し出す。


「わしと武三、そして嫁のすえ殿と孫の武丸は見ておりません。まあ夜早く寝てしまうのですから当然と言えますが。しかし遅くまで家事を行なう家人が見てしまうのは忍びないですね」

「俺はそこを怪しんでいます。失礼を承知で申し上げますが、家人たちが結託して何かを企んでいるのでは?」

「ほう。何を企むと?」

「たとえば……給金の値上げとかはどうでしょうか?」


 すぐさま武三が「それはありえないな」と否定した。


「むしろ下げてもいいから夜の勤めをやめさせてくれと言い出す始末だ」

「ふむ……まるで逆のことを言ったのですね」

「おそらくだが、家人の仕業ではないと俺は考える。外部の人間が忍び込んで行なっている……あまり考えたくないことだがな」


 その考えどおりならばゆゆしき事態である。

 それなりの格式のある武家屋敷に人が出入り可能ということを表しているのだから。

 そしてこの場の三人は言及しなかったが、もしも本物の幽霊ならば――


「ともかく。雨森殿は武三と一緒に女の幽霊を捕まえてくだされ。上手くいった暁には――」

「いえ。俺は武三殿の頼みゆえ引き受けました。無用にございます」


 武三と武吉は顔を見合わせた。

 そう言われては報酬を提示するのは野暮である。


「そうですか。武三、お前良き友を持ったな……では見張りのための部屋を用意しました。そこをお使いください」


 こうして佐吉は武三と共に寝ずの番で幽霊が出てくるのを待つことにした。

 夕飯は出されたが二人は少なめに食した。腹が満ちると眠くなるからだ。


 女の幽霊が出てくる時刻はだいたい決まっていて丑三つ時らしい。

 その辺りも作為的に思えてならない。


 出る前の間に佐吉は武三にいろいろと話を伺った。主に家人のことだ。

 家人は全部で六人いて体格も似たり寄ったりの小柄で痩せだという。

 先ほどの吾作は例外で昔から太っているらしい。


 ゆっくりと更けていく夜。

 佐吉は次第に緊張してきた。

 寝ていないということもあるが、少しずつ身体の感覚が鋭敏になっていく。


 一方、隣の武三はあくびをするほど落ち着いていた。

 幽霊だとすればどうしようもないが、十中八九それはないだろうと考えていた。

 それに今日は出てこないかもしれないとものんきに構えていた。


 半月が周囲を照らす丑三つ時。

 佐吉は障子を静かに開けた。

 そろそろ出てきてもおかしくない頃合である。

 しかし見張りがいるのに出るわけがない――そう思っていた。


 その者はすうっと屋敷の廊下に現れた。

 白装束の大柄で痩せている、恨めしい顔をした髪の長い女だった。

 まるでこの世を憎んでいるような、儚んでいるような、それでいて怒りに満ちた表情だった。


「うっ! 貴様――」


 驚愕する佐吉と武三を一瞥すると、滑るように奥の間へと走っていく。


「待て! 何者だ!」


 誰何しながら佐吉は刀を持って幽霊を追いかけていく。

 武三も遅れて駆けていく。


 女の幽霊が部屋の一室の中に入った――障子は開けっ放しだ――のを見て佐吉は息を整えて、数寸ほど間を開けて「南無三!」と押し入る。おそらく幽霊と相対するだろうと覚悟を決めていた。


 はたしてそこに幽霊の姿はなかった。

 まるで煙か幻のように、影も形もなく消えてしまっていた。

 佐吉は己の隣で武三がごくりと唾を飲み込んだ音を聞いた。


「どういうことだ? まさか、本物の幽霊が憑りついているのか!?」


 喚く武三の横で佐吉は何も言えずに、ただ立っているだけしかできなかった。

 彼もまた幽霊が出た衝撃で呆然としていたからだ。



◆◇◆◇



 佐吉と武三が林田家の屋敷で幽霊を見た――その噂はたちまち広まった。

 どこからか漏れたのかは皆目分からない。しかし人の口には戸が立てられないものだと、当人の佐吉は改めて思い知らされた。おそらくは林田家の家人の誰かだとは思うのだが、確証はなかった。それを言及しても武三に恥の上塗りをしてしまう。だから佐吉は口を噤んだ。


 市井で広まったことで噂に尾ひれがつくようになった。

 件の幽霊は先代の武吉の亡くなった奥方で、恨みがあって化けて出た――身内の不幸をネタにするのは噂好きの町人の悪いところである。確かに武吉の奥方が亡くなったのは昨年のことだ。しかし恨みがあっても化けて出るような人ではないと息子の武三は否定した。そもそも、身内に厳しい武吉だが奥方を邪険にするような男ではない。


 またそれとは別の噂が出てきた。それも嫌な後味のものである。

 林田家には武三の弟がいた。名を武光という。この者は剣術や学問、礼儀作法などをやらせても中途半端で、適当に務めを果たすしか能がなかった。ある日、城勤めで失態してしまい、とうとう武吉から勘当されてしまった。今では行方知らずとなってしまった。


 その者の怨念が屋敷の幽霊を招いた――そう噂されてしまう始末である。

 声を大にしてそれはでたらめだと言いたい佐吉であったが、幽霊を見た当人が否定しても説得力がない。結果として黙るしかないのだ。


「それでは私、市井の文化を学んできます」

「――っ、いい加減にしろ!」


 そんな鬱屈した数日を過ごした後、例によって例のごとく、小四郎が学問を放り投げて屋敷を後にしようとする――佐吉の怒りは爆発した。


「お前はいつまで怠けるつもりだ! 少しは言うことを聞いたらどうだ!」


 普段よりも激しい怒りに小四郎は面食らってしまう。

 はあはあと佐吉が荒い呼吸を整えようとする中、小四郎は「いかがなさいましたか、佐吉さん」と不思議そうに訊ねる。


「うるさい! お前には関係ないだろ!」

「ありますよう。機嫌が悪いから怒鳴ったりしたんでしょう? その理由は何ですか?」

「…………」

「件の幽霊騒動ですか?」


 今話題の噂を知っているのは市井で遊んでいたからだ。

 佐吉は顔を背けて「ああ、そうだ」と吐き捨てた。


「その幽霊騒動、私が解決してみせましょうか?」

「何を言っているんだ? 学問を怠けるお前が解決などできるわけがないだろう」

「まあまあ。それは置いといて。佐吉さんが知っていること、話してくださいよう」


 甘えるような声に鬱陶しさを覚えた佐吉だが、無邪気な小四郎の顔を見ていると、怒っているのが馬鹿らしくなってくる。

 もちろん、小四郎が面白がっているのは分かる。

 けれども、この騒動を解決できるのなら――話してもいいだろう。


「……どんなことを知りたいんだ?」


 気の迷いとしか言えないが、佐吉自身どうにかしたいという気持ちが強かった。

 それに個人的な葛藤よりも幽霊騒動を解決する方が優先である。

 この辺りは堅物ゆえの公平さだとも言えた。


「まずは幽霊が出たときの状況。次に屋敷の人数とその詳細。後は佐吉さんから見た先代の武吉さんの印象です」


 前の二つは分かるが、最後の問いは不明瞭だった。

 武吉の印象など幽霊騒動に関係するのだろうか?


 よく分からないまま、聞かれたことを佐吉は話す。

 ふんふんと頷きながら小四郎は聞く。


 幽霊が出たときは追いかけて、それが部屋に入ったところに一拍置いてから中に入ると、誰もいなかった。

 屋敷には武三の家族四人と家人六人いて、その特徴を丁寧に話す。

 そして最後に武吉のことだが、少し話したぐらいで深くは知らないというのが正直なところだった。


「なるほど。噂では身内に厳しい人とことでしたが」

「まあそれはあるだろう。俺の前で武三殿を貶していた。謙遜ともとれるがな」

「分かりました。ありがた山のとんびがらすでございます」


 無駄口を叩きながらしたり顔で得心した小四郎に「もしかして犯人が分かったのか!?」と佐吉は身を乗り出す。


「ええまあ。しかし、佐吉さんは幽霊を信じていないみたいですね。どうしてですか?」

「……別に大した理由はない。それよりも犯人は誰なんだ?」

「今は言えません。目星は付けましたが、確証がないのですよ」


 佐吉はじれったいと思ったが「ではどうすれば確証が持てるんだ?」と訊ねた。


「勘当されたという武光さんに話を伺いたいです」

「なんだと? まさか、犯人はそいつなのか?」

「まあまあ。落ち着いてください。その人が犯人ではありません。ま、きっかけだとは思いますが」

「きっかけ? 犯人の動機を言っているのか?」


 小四郎はにこにこ笑いながら「そのとおりでございます」と頷いた。


「では武光さんのところへ行きましょう」

「行方知れずと聞いているが」

「町人長屋に住んでいると聞きました。市井の噂は馬鹿になりませんね」

「その噂のせいで困っている……待て。どうして知っているんだ? 事前に調べたのか?」

「ありゃ。気づきましたか」

「……俺が幽霊騒動のことを話すのを織り込み済みってわけか? とんでもない奴め!」


 小四郎は悪戯小僧そのものの顔で舌を出した。


「お褒めに預かり光栄ですね」

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