父上の隠し子 其の参
「俺が犯人だと……? 何を言っているんだ?」
呆然と佐吉が言ったのは、指摘されて数瞬のことだった。
犯人扱いされて怒りを覚えなかったわけではない。
ただどうして自分が犯人なのか、そしてその根拠はなんなのかと考えてしまう。
「犯人、という言い方は悪かったですね。これはただの事故のようなものですから」
小四郎は余裕な雰囲気を崩さない。
五郎左衛門が「事故だと? どういうわけだ?」と怪訝そうに訊ねる。
「そうですね、では私の推察を聞いてくれますか?」
物腰柔らかい言い方に佐吉も五郎左衛門も、やえもおふみも弥平も黙ってしまう。
理由は分からないが、何故か聞き入ってしまう声をしていた。
「まず弥平さん。無くなった金額はいくらですか?」
「二……じゃなかった、一両です」
また間違えたなと佐吉は思いつつ「俺が一両を隠し持っているとでも言うのか?」とやや強めの語気で訊ねる。次第に怒りが湧いてきたのもあるが、子供の幼稚な考えで場を乱すのは好ましくないと考えていた。
「いえいえ。隠し持ってなどいないでしょう。もしそうでも自分から言い出したりしません」
「では無くなった一両はどこにあるんだ?」
「それが間違っているのです。だって――そもそも一両は無かったのですから」
ますますおかしな話になっていく。
すると話を聞いていた五郎左衛門が「じゃあ香典帳が間違っていたのか?」と腕組みをした。
「そのとおりです。この箇所を見てください」
香典帳を開けて指し示したのは香典帳の右端に書かれている、三、の文字だった。
ずいぶんと奇妙な形をしている――二画目が一画目よりも長かったからだ。
「これを書いたのは佐吉さんであるとおふみさんから聞いていました。私も書いているところを見ました。そして金額は真横に書かれていました。均整となるように」
真面目で実直な佐吉が書いたのだから、丁寧になるのは当然だ。
そのとき、やえが「ああ、そういうことなのね」と頷いた。
「佐吉。香典帳が乾く前に閉じたでしょ」
「あ……」
突然、弟がいると明かされて驚きのあまり香典帳を閉じたことを思い出す佐吉。
無論、筆で記入するので乾くのに時間がかかる。
そしてよく見れば左端に書かれた、一の文字が他よりも薄かった。
「やえさんの言うとおりです。佐吉さんは左端、最後の行に一を書いて、乾く前に閉じてしまった。だから数が合わなくなってしまったんです」
二が三になってしまったのだから一両足りないのは当たり前だ。
よくよく見れば簡単な話だった。
「良かったなあ佐吉。一両は盗まれていない。勘違いだったってわけだ。これで一件落着だな」
「そう、ですね」
どこか腑に落ちない心地をしつつ、佐吉は小四郎を見た。
子供らしい笑顔で笑っていた。
確かに冷静に考えれば簡単なことだった。
香典帳を見ればそれこそ一目瞭然だっただろう。
しかしそれを一瞬で見抜くのは相当頭が柔らかくで賢い人間だ。
「母上、小四郎は……」
「昔からそうなのよ。失せ物探しも得意でね。どんな難問も解いてしまうの」
やえの言葉に得意そうな顔をする小四郎は「五郎左衛門さんの言ったとおり、これで一件落着です」と笑った。
「さあ。葬儀を再開しましょう。みなさんお待ちかねですよ」
◆◇◆◇
「どちらに行かれるんですか?」
葬儀が終わった深夜のことだった。
雨森家の玄関を出ようとして振り返ったのは――下男の弥平だった。
しかし小四郎だと分かると「坊っちゃんですか……」と安堵した。
小四郎は玄関の前で佇んでいた。
「いえ。ちょっとした用事がありまして。坊っちゃんのほうこそ、こんな遅くに何の用ですか?」
「奇遇ですね。私も用事があるんです」
小四郎は門の壁に寄りかかったまま弥平に笑いかけた。
その無邪気な表情に弥平もつられて笑みを返す。
「弥平さんに訊きたいことがありまして。どうして一両を盗んだんですか?」
聞いた弥平は一気に無表情になる。
そして続けて小四郎は「何か事情があるんですよね?」と言う。
「そうじゃなければ、あなたのような真面目な人が道を外すわけがありません」
「あ、はは。坊っちゃん。何を言っているんですか? 昼間の一両は解決したじゃないですか」
「本当は二両無くなっていたんですよ」
小四郎はにこやかに「おふみさんに聞きました」と語り出す。
「初めは二両無かった。でも弥平さんが数え直して一両無いと分かったとおっしゃっていました」
「…………」
「二両無くなったのが間違いだったと言えば他の人も確認します。しかし一両間違いだったなら最初の人の数え間違いと見なされます。それよりも一両無くなったほうを問題視します」
弥平の額に汗がどんどんあふれていく。
小四郎は「香典帳を見て魔が差した、と私は考えます」と言う。
「香典帳の数字を見て思いついたのでしょう。折を見て自分から話すつもりでしたよね?」
「…………」
「沈黙は金と言いますが……まあ続けますね。その間違いを指摘すれば一両の問題は解決します。そして誰にも疑われることなく、一両を盗むことができます」
小四郎の言葉に弥平はその場に座り込む。
そして「あっしをどうするつもりですか?」と訊ねた。
「旦那様に言いますか? それとも奉行所に突きだすんですか?」
「いえ。しませんよ。それよりも私が訊きたいのはどうしてそんな真似をしたのか、ただそれだけです」
弥平は小四郎の言葉を疑った。
正直に話したところで許される保証はない。
けれども、小四郎は「私は分からないことが嫌いです」と微笑む。
「悪癖だとは思うのですが、どうしても知りたいんですよ」
「……あっしには年の離れた兄がいます。その兄が借金して首が回らなくなりました」
ぽつりぽつりと弥平が事情を話し出した。
「後どうしても一両足らないんです。もし払えなかったら……一家は離散して、兄と奥さん、そして子供たちは……」
「なるほど。人助けのためですか」
小四郎は頷いて「それなら納得しました」と道を開けた。
弥平は「何をなさっているんですか?」と呆然とした。
「どうぞ行ってください」
「何を馬鹿な……あっしは香典泥棒ですよ?」
「私が知りたかったのは弥平さんの事情です。それさえ分かれば止めるつもりはありません。元から糾弾する気もありませんしね」
弥平はゆっくりと立ち上がった。
申し訳のない顔をしている。
しかし小四郎はにっこりと笑って手を振った。
さあ行けと言わんばかりに。
「すみません……! この御恩は決して忘れません!」
弥平は玄関から飛び出した。
そして夜の町へと走っていく。
「……さてと。私も寝ましょうかね」
「その前に俺の問いに答えろ」
小四郎が振り向くと、佐吉が玄関の戸から出てきた。
目を丸くする小四郎に「いろいろと腑に落ちなかったからな」と佐吉は言った。
「どんな点が腑に落ちなかったんですか?」
「仰々しく推察とやらを話したところからだな。それに二度も弥平は言い間違えた。おふみさんに聞いて、香典帳を確認したら一両足りない。だから犯人と思わしき者を見張っていた」
「それは弥平さんのことではなく、私のことですか?」
「ああ。だけど弥平が犯人だとは思わなかったな」
少しだけ悲しげな顔になる佐吉に「私が犯人だったほうが良かったですか?」と小四郎は茶化すように言う。
「馬鹿なことを言うな。誰が犯人でも後味の悪いことになる」
「そうですか。では何故、弥平さんを見逃したんですか?」
「……弥平には世話になっていたからな。そのお礼だ」
佐吉は顔を背けた。それは嘘をついたからだ。
真面目な男が道を誤るのは個人的に許せないことだが、自身の父親が隠し子である小四郎を残して死んだのを思い返した。そんな父の香典で人が助かるのならいくらでもくれてやりたい気分だった。
「ええ。私も弥平さんにはお世話になりました。遊んでくれたこともあります」
「そうか。じゃあ戻るぞ」
「ええと。戻っていいんですか? 私、弥平さんを見逃したんですけど」
佐吉は頬を掻きながら「それこそ馬鹿なことを言うな、だ」と言う。
「ここがお前の帰る家だ。母上からそう言われなかったか?」
「…………」
「お前にはいろいろ教えないといけないことがある。それだけだ」
ふと佐吉は小四郎を見た。
自分と半分だけ血が同じの弟を見た。
子供らしくてちょっぴり恥ずかしがっている、そんな笑顔だった。
「はい! ありがた山のとんびがらすでございます!」
「……ふん」
こうして佐吉は小四郎を受け入れた。
父の隠し子を弟として迎え入れたのだった。




