父上の隠し子 其の弐
「信じられません。あの父上に隠し子がいたとは……」
呆然とする佐吉に「俺だって驚いた」と五郎左衛門は頷いた。
もっとも動揺する素振りは見られず平静だった。年の功と言ってしまえばそれで済んでしまうが。
「小四郎は齢九才になる。つまり九年間、兄者は俺やお前に隠していたようだ。あの真面目だった人が誰にも明かさなかったのは……訳が分からんが凄いことだと思う」
肩をすくめてとぼけた感想を述べる五郎左衛門に佐吉は何も言えなかった。
そのぐらい衝撃的な事件だった。
葬儀は今、屋敷で行なわれている。
そのはなれで佐吉と五郎左衛門、やえは話し合っていた。
佐吉は未だに混乱していたものの、状況を整理しようとしていた。
それもそのはず、父親の隠し子、つまりは己の弟が現れたのだ。佐吉の中で収拾をつけようと考えるのはごく当たり前だった。
「母上はご存じだったんですか? その、あの子のことを」
「あの子じゃないわ。小四郎っていうの」
「……小四郎のことを知っていたのですか?」
「ええまあ。もちろん知っていたわ」
あっさりと白状する母に頭が痛くなる思いの佐吉。
すると五郎左衛門が「小四郎の言っていたこと、本当だったんだな」と感心した。
「まさか、やえの義姉さんがすべて承知の上だとは。そっちのほうが驚きだぜ」
「……一つ一つ確認させてください。まず叔父上はどうやってあの子のことを知ったんですか?」
そもそもの発端である小四郎を家に連れてきた五郎左衛門に経緯を訊くと「今朝方、小四郎が家に訪ねてきたんだよ」と答えた。
「葬儀の刻限に遅れないように準備しているところにだぜ? かなり驚いたけど話を聞く限り本物だって分かっちまったんだ」
「どんな話を聞かされて本物だと分かったんですか?」
「兄者の話とか。あとはやえさんの話が出た。ちょくちょく会っていたみたいだよな?」
「そうよ。この前会ったのは去年の暮れあたりかしら」
「知っていただけではなく、会ってもいたんですか!?」
佐吉が喚くのも無理はない。
小四郎と交流があったのだから――本妻と隠し子という関係の二人が。
「母上は小四郎のことを容認したというのですか!?」
「そうね。我が子のように可愛がってきたわ……それの何がいけないの?」
突然の母の怒りに対し、一瞬だけ佐吉は怯んだ。
何故自分が怒られているのは分からなかったが、佐吉は反論を試みる。
「悪いに決まっているでしょう! 母上以外と、父上は――」
「あの人が息子と認めたのよ。だったら義理の母として育てるしかないじゃない」
毅然と言い切る己の母に佐吉は二の句が継げなかった。
どうしたものかと、ふと叔父の顔を見ると「俺に何か期待するなよ」と首を振った。
「雨森家の揉め事だろう? そっちで解決してくれ」
「なんて薄情なことを……!」
「別に隠し子がいたところでお前にはもう関わりのないことだろう? 家督争いなんて起こらねえしよ」
「……それはそうですが」
五郎左衛門の言葉はもっともだった。父に隠し子がいたとしても、佐吉自身の進退には問題はない。生前、四郎が隠居したおかげで佐吉は家督を継いでいる。遺産もまたすべて引き継いでいた。城勤めにも影響はないだろう。
しかしだ、尊敬していた父が、真面目一辺倒だった父が、母以外の女と子供を設けたという事実は佐吉の中で到底飲み込めることではなかった。許容量を遥かに超えている。さらに自分と同じ被害者――佐吉はそう考えていた――である母のやえがあっけらかんと小四郎を受け入れているのも、言いようのない気持ちでいっぱいだった。要は認められないのだ、父の不貞と小四郎の存在を。
けれども、それは佐吉自身の心の持ちようであり、叔父の五郎左衛門の言うように雨森家からすれば何の問題もないのだ。母が父を許している以上、息子の佐吉はとやかく言えない。
「なんですか! 結局、俺が駄々をこねているみたいじゃないですか!」
そのとおりである。けれども佐吉自身、男女の関係に潔癖なところがあるのも起因しているが、そうやって怒りに任せて喚くしかなかった。
そんな彼にやえは「あの人が亡くなったときになんだけど」と言い出した。
「小四郎はこの家に引き取るから」
「……何を言っているのですか? ただでさえややこしい状況なのに、これ以上かき乱さないでください!」
「そうも言ってられないのよ。小四郎のお母さん、いないのだから」
その言葉に佐吉は眉をひそめる。
そして母に「いないとはどういう意味ですか?」と訊ねる。
「小四郎を捨てたんですか?」
「いいえ。亡くなったのよ。産後の肥立ちが悪くてね」
「…………」
いろいろなことが起こりすぎて、何から考えればいいのか分からない中、佐吉の脳裏に浮かんだのは小四郎への同情だった。
自分が片親を失って悲嘆に暮れているのに、両親を亡くしたとなれば筆舌しがたい悲痛だろう。天涯孤独となった小四郎が頼れるのは雨森家しかない。そう考えると寂しい気持ちになる。
「……そういう事情ならば仕方ありませんね。引き取るのは構いませんよ」
「お前がそう言える優しい子で、私は嬉しいよ。さて、あの子を――」
迎えに行こうと腰を浮かせたやえだったが、部屋の外から「旦那様! ご母堂様!」と大声がした。何事かと佐吉が障子を開けると、中年の男性である下男の弥平が慌てていた。
「どうした弥平。何かあったのか?」
「だ、旦那様! 大変でございます!」
弥平は息を整えながら、少しの間を空けて喚いた。
「香典が盗まれました! 額が合いません!」
「……なんだと?」
◆◇◆◇
葬儀が中断して主だった者が居間に集められた。
家の主である佐吉。その母のやえ。叔父の五郎左衛門にその妻のおふみ。そして知らせに来た下男の弥平である。
その他の参列者は別室にて待機している。事情を話していないので何が何だか分からない様子だ。
「そもそも、葬儀の途中で香典なんか数えているからこんなことになったんだろ」
文句を垂れているのは五郎左衛門だった。
それをおふみが「あなた様、そう言わないでください」とたしなめる。
おふみは少しふくよかだが、柔らかい見た目と同様に慈愛にあふれた女性だった。
「葬儀が終わった後にするべきことは山ほどありますから。その負担を減らすために香典の整理をしていたのですよ」
「だが結果として嫌な思いをすることになる。香典盗んだ犯人探しをしなくちゃいけねえからな」
普段はいい加減な叔父のくせに倫理観だけは立派なものだと佐吉は密かに思った。
しかしそれには言及せずに佐吉は「弥平、経緯を教えてくれ」と言う。
「はい。おふみ様が……香典が足りないとお分かりになりまして」
「どのくらい足りないんだ?」
「二……いえ、一両でした。あっしも数え直しましたので確かです」
弥平は下男ながらも計数に強く、四郎が生前のときは少額ながら金の管理も任せていたほどだった。
おふみもまた、武家の奥方ゆえに算術に長けている。その二人が間違うわけがない。
「じゃあ話は簡単だな。香典を少なく書いた野郎がいるわけだ。金がどこぞに消えるわけがないからな」
五郎左衛門は腕組みをしてそう結論付けた。
それを素直に受け取る者はいないだろう。誰かが盗んだ可能性が否定しきれないのだから。けれども、五郎左衛門の言うとおりにしておけば丸く収まる。
葬儀で香典泥棒が出たとなれば雨森家の評判は地に落ちる。
世間体が悪いのもそうだが、武士の面子が丸つぶれになってしまう。
五郎左衛門は危惧して敢えて妥協案を口に出したのだ。
「……いえ。おそらく犯人がいるはずです。探しましょう」
「はあ。佐吉、本気で言ってんのか?」
武家ならば分かる理屈を佐吉は当然承知していた。
だけど、尊敬している父親の葬儀で出た不始末を見過ごすことはできなかった。
五郎左衛門はそんな甥の性格を把握していた。だから先んじて言ったのだが、どうやら無駄だったとため息をつく。
「どうやって犯人を捜すんだ? まさか参列者全員に『香典を盗みましたか?』と訊ねるんじゃないんだろうな?」
「恥をさらすような真似はしたくありませんが……」
参列者に事情を話すしかないと佐吉は断じていた――が、そのとき「弥平さん、ここにいたんですか」と障子が開く音がした。
小四郎である。にっこりと微笑んでいるが場の深刻な空気に「どうかなさったんですか?」と不思議そうに首をかしげた。
「ああ。小四郎の坊っちゃん。今大事な話をしていますので……」
「大事な話? いったいなんでしょう?」
「ちょっと待て。弥平、お前小四郎のこと知っていたのか?」
弥平が坊っちゃんと呼ぶのは当主を継ぐ前の佐吉しかいなかった。
だから佐吉は弥平が小四郎を父の隠し子だと知っていたと分かった。
「あ……すみません。先代様には口止めされていました」
「えっと。弥平さんにはいろいろ遊んでもらいました」
またも頭が痛くなる思いの佐吉だった。
「それで、何があったんですか?」
「その……香典が……」
「弥平。それ以上言うな。子供に話すことではない」
厳しい口調ではっきりと言い放ったのは、未だに小四郎を己の弟と認めていない証だった。
やえが険しい顔になっているが、佐吉にしてみれば当然の反応だ。
「ああ。香典が足りないんですね。弥平さんとそこの……おふみさんでしたっけ。騒いでいました」
合点が言ったとばかりに手を叩くと、小四郎は「香典帳を見せてください」と持っていたやえに言う。
佐吉が止める間もなく「いいわよ」とやえは手渡してしまった。
ぺらぺらとめくって「ああ、なるほど」と頷く小四郎に五郎左衛門は興味深そうにしている。
「小四郎。なるほどって言ったが、まさか犯人が分かったのか?」
「はい。あたりき車力車引きでございます」
これにはこの場にいた全員が驚いた。
訊いた五郎左衛門も「本当か?」と真偽を疑っている。
「香典帳を見ただけで分かるのか?」
「香典が少ない理由も分かっております。まず結論から申し上げますと――」
小四郎はにこにこ微笑みながらゆっくりと指で示した。
その人物に全員の注目が集まる。
「――あなたが犯人です」
小四郎が示したのは、佐吉だった――




