歪む世界
夜明け前の薄明かりが、ハルオの家の割れた窓から差し込み始めた。アキラは居間の隅で、**半硬直化した尾の基部**を壁に接触させたまま、微動だにせず見張りを続けていた。**大きな眼球**は、外の通りと玄関口を交互に精査し、**優れた暗所視力**で夜明けの微妙な光の変化を捉えていた。彼の**聴覚**は、遠くで続く不気意な破壊音や、時折響く銃声のような鋭い音に常に警戒を向けていた。**「常識の革命党」**の活動は、夜が明けても収まる気配がなかった。
台所から、かすかな物音とハルオの呟きが聞こえた。
「…水はあと数日分…。食料は…エナジーバーが数本、乾パン少々か…」。ハルオは松葉杖をつきながら、限られた備蓄を確認していた。彼の足の不自由さが、食料調達を困難にしていた。ケイは毛布にくるまって眠っていたが、不安そうな表情を浮かべている。
アキラは、ハルオの**声のトーン**(焦りと疲労)と、ケイの**微細な表情変化**を観察していた。彼の**高い知能**と**社会的知性**は、この小さな「群れ」が置かれた危うい状況を理解していた。空腹感が自身の胃を締め付ける。彼は静かに首を振り、**吻**を窓の外へ向けた。警戒を怠ってはならない。
その時、アキラの**羽毛**が突然、首筋と背中で逆立った。**優れた聴覚**が、家のすぐ外、庭木の茂みの向こうで、複数の重い足音と、抑えた声での会話を捉えたのだ。革命党員のそれだ。
「…ここら辺はまだ手付かずだな。あの古臭い家、見ろよ」低い男声。
「壁に残った太陽パネルが目障りだ。あれも偽りの平和の象徴だぜ」別の声。
「壊しとくか? ついでに中を漁れるかもしれん」
アキラは即座に行動した。警戒音を発する代わりに、彼は素早くかつ静かに居間の中央へ移動した。**左後肢**でケイのいるソファの脚を軽く叩き、次に**右前肢**を伸ばして台所の方向を指した。緊急事態の知らせだ。ケイが目を覚まし、恐怖の表情を浮かべる。ほぼ同時に、ハルオも警戒して台所から松葉杖の音を立てずに這うように出てきた。アキラの羽毛の逆立ちと鋭い視線が、危険の接近を物語っていた。
外で金属のぶつかる鈍い音がした。恐らく、庭にあった物置や壊れた太陽電池モジュールを蹴っている音だ。
「よし、まずはこいつの掃除からだぜ!」
ガシャーン! 鋭い金属音と共に、壁面に辛うじて残っていた**全天候型太陽電池モジュール**が力任せに叩き割られる音がした。破壊音がケイの小さな悲鳴を誘った。ハルオは即座に彼女の口を優しく押さえ、静かにするよう合図した。
アキラは割れた窓の陰に身を寄せ、片方の**大きな眼球**で外を覗いた。二人の革命党員が、バールのような工具で、剥がれかかったモジュールを破壊していた。**量子ドット増感層(PbSナノ結晶)**が砕け散り、**4接合タンデム構造**の層(ペロブスカイト、CIGS、シリコン)がむき出しになり、**トンネル接合を形成する高度にドープされた半導体層**が破断しているのが、彼の**高解像度の視覚**で確認できた。モジュール表面の**超撥水・親油性ナノコーティング**は、破壊の衝撃で剥がれ落ちていた。一人の党員が、むき出しになった**量子ドット層**をバールで抉りながら嘲笑った。
「は! こんな脆いもんが未来のエネルギーか? 笑止千万だ! 俺たちの信じる『常識』こそが、真の強さだ!」
彼らの破壊行為は続き、家の外壁そのものを傷つけ始めた。玄関ドアを蹴る音も聞こえた。ハルオは顔を強張らせ、松葉杖を武器のように握りしめた。ケイは震えながらハルオの袖を握った。アキラは**第II指**の**鎌状爪**を無意識に開閉し、飛びかかるべきかどうか、瞬時の判断を迫られていた。相手は二人、武装している。正面からの衝突は不利だ。
しかし、革命党員たちは、突然、懐の通信機(古いタイプのトランシーバー)から入った連絡で行動を変えた。
「…ああ? 分かった…中央公園東口の避難所か? 了解。今から向かう」
彼らは破壊を中途半端に止め、急ぎ足で去っていった。どうやら、より「優先度の高い」標的(おそらく移民やLGBTQ+支援者が集まる場所)への襲撃命令が入ったようだ。
ハルオは深く息を吐き、緊張が解けたように壁にもたれた。ケイは泣きじゃくった。「怖かった…あの人たち、なんであんなことするの…?」
「…歪んだ信念さ、ケイちゃん」ハルオの声は怒りと悲しみで震えていた。「自分たちの考える『正しい世界』のためなら、破壊も暴力も厭わない。科学も、多様性も、平和も…彼らが『不純』と見做すものは全て敵なんだ」。彼の目が壊された太陽電池モジュールの残骸に向けられた。「あのパネル…本当は、曇りの日でも、雨の日でも、かすかな光を効率よく電力に変えて、人々を助けるはずだったのに…」
アキラは彼らの会話を理解できなかったが、ハルオの**声のトーン**(深い怒りと絶望)と、ケイの**身体的反応**(強い恐怖と悲しみ)が、外の集団の危険性を改めて刻み込んだ。彼は窓際に戻り、党員たちが去った方向を**鋭い視覚**で見つめた。その空間認識能力が、彼らが向かった「中央公園東口」が、この地域で最も脆弱な人々が集まる場所であることを、地形と記憶から推測させた。
**昼過ぎ。** 革命党の一団は去ったが、街の緊張は高まるばかりだった。ハルオとケイは、壊れた太陽電池モジュールの残骸を片付けようとしていた(安全確保のため)。アキラは庭の生け垣の影に身を潜め、周囲の警戒を続けていた。彼の**鋭敏な聴覚**が、再び近づいてくる足音——今回は一人で、軽く、しかし慌てている——を捉えた。
生け垣の外の道を、一人の若者が必死に走って近づいてくる。**ソラ**だ。20代前半。ショートカットの髪は乱れ、顔には擦り傷がいくつかある。息が切れている。身に着けているのは、ボランティア団体のジャケット(「多様性支援ネットワーク」のロゴがかすかに見える)だが、それが逆に危険を招いているようだった。彼女はハルオの家の前で立ち止まり、崩れた門と破壊された太陽電池パネルを見て一瞬躊躇したが、追手の足音が迫っているのを感じ、決死の覚悟で庭へと飛び込んだ。
その直後、数人の革命党員が角を曲がって現れた。
「逃げたぞ! あの裏切り者め! あっちだ!」
彼らはソラの逃げた方向を指さし、追跡を開始した。
ソラは息を殺して、家の裏手の物陰に身を隠そうとした。その時、生け垣の陰から現れた、漆黒の羽毛に覆われた生物の姿に、思わず声を上げそうになった。アキラだ。彼はソラを一瞥すると、**左前肢**を素早く伸ばし、**第III指**で家の裏口(勝手口)の方向を指し示した。次に、**尾**をそっと振り、「早く」という合図を送った。アキラの**空間認識能力**が、ソラが追手から隠れ、家の中へ逃げ込める最短ルートを即座に把握していたのだ。
ソラは驚きと混乱を感じつつも、その生物の動作が明らかに「助け」を示していると直感した。彼女はうなずき、アキラが示した方向へと素早く移動した。アキラはソラの背後にぴったりとつき、**尾**で彼女の動きを誘導するようにして、裏口の壊れたドアへと導いた。ハルオがちょうどそのドアを開けようとしていた。外の騒ぎを聞きつけたのだ。
「早く中へ!」ハルオが声を潜めて叫んだ。ソラが駆け込み、アキラも素早く続いた。ハルオはすぐにドアを閉め(鍵は壊れていたが)、バリケード代わりに近くの机を押し当てた。
数秒後、革命党員たちの足音と罵声が家の裏手を通り過ぎていった。
「見失った! くそ! 次に見つけ次第、あの非国民は…!」
罵声は次第に遠ざかった。
ハルオの家の居間で、ソラは壁にもたれ、肩で息をしていた。恐怖と疲労で震えている。ケイが水の入ったコップを差し出した。
「…ありがとう」ソラがかすれた声で言った。彼女はハルオとケイ、そして隅で警戒を続けるアキラを交互に見た。「…あの…あなた方は…? そして、これは…?」アキラを指さした。
「私はハルオ。元生物学者だ。こちらはケイちゃん。そして…彼はアキラ。多摩動物公園から…」ハルオは説明した。ソラはアキラを見つめ、その生物的な完成度に驚嘆しつつも、追手の恐怖が優先した。「…私はソラ。…ボランティアで、避難所の支援をしていたんですが…」。彼女の目が一瞬、危険を伺うように窓の外を見た。「革命党が…私のような『常識に反する存在』を標的にし始めて…。避難所が襲われ、逃げてきたところです…」。
ハルオは重くうなずいた。「聞いている…。街はどんどんおかしくなっている」。彼の目がソラが握りしめている、小さな**ポータブル通信機**(頑丈な筐体、衛星通信アンテナが付いている)に留まった。「その機械は…?」
ソラは通信機をしっかり握った。「…衛星回線で繋がってる。まだ…かすかだけど情報が入る」。彼女は機械のスイッチを入れ、小さなスクリーンに表示される、乱れた文字列や断片的な映像を見せた。「革命党…どんどん組織的になってる。次は…」彼女の声が詰まった。「…次は、郊外の風力発電施設を襲撃し、電力供給を止めようとしてる…。ここから北西5キロの…」
スクリーンには、低解像度ながら、**小規模風力発電施設**の映像と、革命党の襲撃計画の断片(「発電機破壊」「変電所占拠」の文字)が映し出されていた。ハルオは顔を強張らせた。「電力が止まれば…病院の予備電源も持たない…暖房も…水の浄化装置も…!」
ケイは恐怖でソラの袖を握った。アキラは居間の隅で、三人の人間の**表情**(恐怖、怒り、決意)と、ソラが持つ機械から発せられる**微細な電子音**を観察していた。彼はソラの言葉を理解できないが、その**声のトーン**と、スクリーンに映る風車の映像、そしてハルオの**強張った表情**から、新たな巨大な危機が迫っていることを鋭く察知した。彼の**優れた空間認識能力**は、ソラが示した「北西5キロ」の方角を即座に頭内マップに落とし込んだ。そして、**発達した大脳半球**が、この情報が「群れ」の存続に直結する重大な脅威であると結論づけた。彼は**尾**をそっと立て、全身の**羽毛**をわずかに逆立て、警戒態勢をさらに強めた。外では、革命党の脅威は去っていない。それは形を変え、より組織的に、街そのものの命脈を狙い始めていた。ソラがもたらした情報は、この隠れ家に、重い現実と、避けられない決断の時が来たことを告げていた。




