小さな避難者
夕暮れが迫り、瓦礫の街に長い影を落とし始めた。アキラは、崩れかけたオフィスビルの一階部分が陥没してできた、コンクリートと鉄筋の洞窟のような空間に身を潜めていた。外では、**「常識の革命党」**のメンバーによる破壊活動を示す叫び声や金属音が、不規則に響いていた。彼の**鋭敏な聴覚**は、それらの音が南西方向(おそらく風力発電施設)へ次第に遠ざかっていくのを捉えていたが、油断はできなかった。
アキラは**右後肢**を折り曲げて腹の下に収め、**左後肢**を前方に伸ばし、低い待機姿勢を保っていた。全身を覆う黒い**綿羽**が断熱層となり、急速に冷えていく外気を遮っていた。**左前肢**の白黒の風切り羽にある**切れ目**からは、数本の**羽枝(barbs)** が乱れて飛び出している。彼は細長い**吻**を伸ばし、**第I指(親指)** と **第III指**を使って、無意識にその乱れた羽枝を整えようとした。**半月形手根骨**の可動域の広さが、この細かい動作を可能にする。しかし、注意力は常に外に向けられていた。**大きな眼球**は、入り口付近に差し込む黄昏の光を捉え、**四色型色覚**が、瓦礫の間から見える空の色の微妙な変化(紫外線の減少、可視光の赤みの増加)を感知していた。
飢餓感が胃を締め付けた。最後に食べたのは地震前の朝の餌だった。飼育下では定期的に供給された新鮮な肉(主にラットや鶏肉)が、今は全くない。彼の**高い代謝率(恒温性)** は、エネルギーを絶えず要求していた。**優れた嗅覚**は、風に乗って運ばれるかすかな腐肉や焼け焦げた匂いを捉えるが、それらは危険が近いことを示す信号でもあった。**鋸歯状の歯**が生えた**顎**をわずかに動かし、無意識の咀嚼運動をした。
その時、かすかな——しかしアキラの耳にははっきりと聞こえる——すすり泣くような音が、彼の隠れ場所から十数メートル離れた瓦礫の山の向こうから響いてきた。人間の声だ。しかも、これまで聞いた大人たちの声よりも、はるかに甲高く、小さい。
アキラの羽毛が微かに逆立った。警戒と、本能的な警戒対象(人間)への忌避感が湧き上がる。しかし、その泣き声には、先ほどの革命党員たちのような威圧感や攻撃性はまったく感じられなかった。むしろ、彼自身が感じている恐怖や孤立感に似た、弱々しい何かが込められていた。彼の**発達した大脳半球**が、この「違い」を処理していた。
好奇心が警戒心をわずかに上回った。アキラは静かに**右後肢**を床につき、体を起こした。崩れ落た天井のコンクリート板の陰を利用し、物音を立てずに隠れ家の奥から入り口へと移動した。**尾**を地面すれすれに保持し、**半硬直化した基部**がバランスを保つ。入り口の歪んだ鉄骨の陰に身を隠し、彼は慎重に首を伸ばした。
瓦礫の山の麓。崩れた自動販売機と倒れた街路樹が絡み合った隙間に、小さな人間の影があった。**ケイ**だ。10歳の日系カナダ人少女。色あせたピンクのパーカーは埃まみれで、左膝から血が滲んでいる。長い黒髪は乱れ、涙で頬に泥の筋ができていた。彼女は丸くなり、震える肩を抱きしめていた。そのすぐ横には、破れたリュックサックが転がっている。
アキラの**優れた視覚**が細部を捉える。少女の身長、体形、負傷箇所、周囲に他の人間がいないこと。彼女の血液が反射する微かな紫外線を、彼の**紫外線を含む広い波長域の色覚**がかすかに感知している。**空間認識能力**は、少女と自身の位置、周囲の障害物、逃げ道を瞬時に分析した。
*一人きり… 弱っている… 脅威ではない…?*
アキラの思考は、言葉ではなく、感覚とイメージの連鎖だった。しかし、彼の**高い知能**は状況を評価し、この小さな人間が当面の脅威にはならないと判断した。警戒レベルが一段階下がり、羽毛の逆立ちが収まりかけた。
その瞬間、別の危険が接近した。
低いうなり声。そして、重い足音が瓦礫を踏みしめる音。
アキラの**耳孔**がピンと立ち(羽毛の下で)、首が即座にそちらを向いた。通りを隔てた倒壊ビルの影から、一頭の**野犬化した大型犬**(おそらく飼い主を失ったジャーマンシェパード)が現れた。痩せているが筋肉質で、牙を剥き、よだれを垂らしている。赤く充血した目は、瓦礫の山の麓にいるケイをしっかりと捉えていた。飢えと恐怖で理性を失い、攻撃態勢に入っている。**優れた動体視力**を持つアキラですら、犬の筋肉の震えと攻撃直前の微妙な重心移動を見逃さなかった。
ケイは危険に全く気づいていない。すすり泣きに集中している。
野犬が、**後肢**で地面を蹴った! 低い姿勢で、まっすぐケイめがけて突進を開始する。距離はわずか20メートル。到達まで数秒だ。
アキラの**本能**が炸裂した。行動は思考に先行した。
「ギャーッ!!!」
甲高く鋭い、金属をひっかくような警告音を発すると同時に、アキラは隠れ家から飛び出した。**後肢**の**大腿骨**と**脛骨**に繋がる強力な筋肉が収縮し、**指行性**の足がコンクリート片を強く蹴る。彼の軽量な体躯(**約20kg**)が、驚異的な加速度で前方へと弾き出された。長い**尾**が水平に伸び、バランスを保つ。目標は、犬とケイの間への割り込みだ。
野犬は突然現れた異形の捕食者(アキラをそう認識した)とその奇声に驚き、突進を一瞬躊躇した。その隙が命取りとなった。
アキラは、犬の進路を遮る位置に**左後肢**で着地し、体をぐるりと回転させて野犬と正対した。**全身の羽毛**を最大限に逆立て、体を大きく見せると同時に、**右前肢**を高く掲げた。そして、**第II指**の特大の**鎌状爪(約10cm)** を完全に露出させ、それを犬の顔の前で威嚇するようにゆっくりと振った。鉤爪の先端が、かすかな夕日を受けて不気味な光を放つ。この「鎌状爪のディスプレイ」は、デイノニコサウルス類の潜在的な威嚇行動をアキラが本能で再現したものだった。
「ウゥ…グルルル…」
野犬は低くうなり、歯をむき出した。しかし、アキラの予想外の出現、奇妙な外見、そして何よりもあの巨大な鉤爪が、その攻撃意欲を削いだ。犬は数秒間アキラと睨み合ったが、ケイを襲うより、この新しい脅威から離れることを選んだ。警戒しながら後ずさりし、やがて来た道を引き返し、瓦礫の影に消えていった。
アキラは野犬の姿が完全に見えなくなるまで、威嚇の姿勢を崩さなかった。心臓がドキドキと激しく鼓動していた。**恒温性**を維持するための高い代謝が、アドレナリンの影響も相まって、全身に熱を巡らせていた。
危険が去ったことを確認すると、アキラはゆっくりと体勢を緩めた。羽毛の逆立ちが収まる。そして、ゆっくりと首を回し、瓦礫の隙間にいるケイの方を見た。
ケイは恐怖に凍りついていた。涙も止まり、大きな瞳で突然現れた漆黒の羽毛の生物を、息をのんで見つめている。彼女の目には、アキラが野犬を追い払った奇妙な一連の動作(飛び出し、威嚇、鉤爪のディスプレイ)は、理解を超えていたが、少なくともあの怖い犬を追い払ってくれた「何か」であることはわかっていた。恐怖と、わずかな安堵が入り混じった感情が、震える小さな体に表れていた。
アキラもケイをじっと見つめ返した。**大きな眼窩**に収まる眼球が、少女の表情、体の震え、膝の傷を詳細に観察する。彼の**高い知能**と**社会的知性**は、この小さな人間が今、極度の恐怖と混乱の中にいることを理解していた。飼育員とは異なるタイプの人間だ。より小さく、弱々しく、そして——不思議と——脅威を感じさせない。
一歩、また一歩。アキラはケイに対してゆっくりと、斜めに近づいた。正面からまっすぐ向かうのは、多くの捕食者や草食動物にとって脅威と見なされることを、本能か学習かで知っていたのかもしれない。**尾**を地面につけ、体を低く保ち、頭をわずかに傾けて、できるだけ「非脅威的」な姿勢を示そうとした。
ケイは微かに身を引いたが、逃げたり叫んだりはしなかった。アキラの奇妙な姿への恐怖心はあったが、彼が犬を追い払ってくれたこと、そして今の奇妙に慎重で控えめな動きが、彼女の直感に「危険ではない」と訴えかけるものがあった。
アキラはケイの数メートル手前で止まった。彼の**鋭敏な視覚**が、転がっているリュックサックを捉えた。そして、リュックの横からわずかにはみ出している、銀色の包装紙に包まれた棒状の物体を識別した——**エナジーバー**だった。飼育員が時々間食として食べているのを、檻越しに見たことがある。高カロリーの食べ物だ。
空腹感が再び強く襲った。アキラはリュックサックとエナジーバーを見つめ、次にケイを見た。そして、ゆっくりと**右前肢**を伸ばし、**第III指**をリュックの方向へと、ごくわずかに動かした。この動作は、彼の**高い知能**と**学習能力**に基づく、意図的なコミュニケーションの試みだった。餌が欲しいという、単純な要求の表示だ。
ケイはアキラの視線と、奇妙な指の動きを追った。彼女の目がリュックサック、エナジーバー、そして再びアキラへと移る。恐怖心が薄れ、好奇心と、何かを理解しようとする思考が働き始めた。震える手を伸ばし、リュックサックの横にあるエナジーバーを拾い上げた。
アキラの**瞳孔**がわずかに開いた。期待の表れだ。
ケイは一瞬ためらったが、エナジーバーの包装を破り、半分に折った。そして、震える手を伸ばし、その半分をアキラの方向へ差し出した。彼女の小さな声が、夕暮れの静けさにひっそりと響いた。
「…どうぞ。お腹、空いてるんでしょ?」
アキラはケイの手と、差し出されたエナジーバーをじっと見つめた。彼は一歩前に踏み出し、細長い**吻**を慎重に伸ばした。**鋭い歯**は見せず、エナジーバーを優しくくわえ取った。柔らかい包装紙と、甘く脂っぽい匂いが鼻腔を満たした。彼は一歩下がり、エナジーバーを**第I指**と **第III指**で押さえながら、素早く飲み込んだ。高カロリーの味が、飢えた体に染み渡る。
ケイは、アキラがエナジーバーを受け取って食べたことに、ほんの少し安堵した表情を見せた。彼女は残りの半分を自分でかじり始めた。
二人(一羽と一人)は、崩れた街路樹の影で、沈みゆく夕日を背に、奇妙な共存の瞬間を分かち合った。互いの種族への理解は皆無だったが、少なくともこの瞬間、互いが相手に直接的な脅威ではないこと、そして共にこの破壊された世界に放り出された避難者であることを、本能と知性のレベルで感じ取り始めていた。アキラの警戒心は完全には消えていないが、この小さな人間への認識は、「単なる危険な大型生物」から、「注意深く観察すべき、複雑な存在」へと、わずかに変化したのだった。遠くで革命党の叫び声が再び聞こえ始め、二人の間に生まれたかすかな絆は、未知の明日への不安に包まれていた。