#8「母性を生み出すには」
八雲との電話を終え、気づけば時刻は20時半になろうとしていた。
その頃、雪月は一つ悩みを抱えていた。長い時間、我慢していたモノ。ホラー番組を見終えた後、一人が怖くてできていなかったこと。それは、お花摘みだ。
「――う、うぐ、、、もう、我慢、でき、ない……」
二時間以上も前から、ためていた尿も、これ以上は、ためれない。
「……もう、仕方、、ない、、、」
ソファーに座っていた雪月は、立ち上がる。勇気を振り絞ってお手洗いに向かった。
お手洗いの扉を開け、中に入って用を足した。
「ふぅ……」
間一髪のところで間に合い、用を足し終えた。
最悪、台所でする案が、頭の中にはあった。しかし、それをしてしまえば、台所を見るたびにそのことを思い出してしまいそうだったから、罪悪感をずっと抱いてしまいそうだったから、それはできなかった。
リビングに戻ったところで、スマホを見ると、八雲から連絡が来ていた。
――今、雪月ん家の前についたんだけど、何階の何号室だったっけ?
と、言う内容だった。
「『八階の八○三号室だよ』っと……」
先ほどの電話で伝えていた一部を、もう一度伝える。
――了解!! ありがと!!
連絡が返った来たところで、家の中にある、インターホンが鳴る。
宇奈月家の住むマンションは、オートロック式だ。
「はい」
『雪月〜?お泊まりに来たよ〜』
モニターには、膨らんだバッグを持った、髪の青い女の子が、映っていた。
「――はい、どうぞ」
確認して、一階の扉を開ける。
待つこと約一分、今度は玄関ドアの外にある、インターホンが鳴った。
真っ暗だった廊下の電気を点け、玄関に行き、鍵を開け、内側からドアを押す。
「――こんばんは、雪月」
開けると、八雲が挨拶をする。
「――いらっしゃい、八雲」
雪月も挨拶を返す。八雲の顔を見て、ホッとした自分が居たのを感じた。
「……ねぇ、雪月、上がらせて貰う前に、一つ、いいかな?」
ホッとしていた雪月に、彼女は、目を逸らして、なにかを言いたげにしている。
「な、なに……?」
『なにか忘れてきたのか、それとも、廊下が散らかっているのか?』など思いながら、なにかを言うのを待つ。
「えーと、、、な、なんで、Tシャツ姿、なのかな〜?って……」
昼に着替えた、薄青いTシャツを、指しながら、言ってくる。
「え、あー、これはね、お昼にご飯をこぼしちゃっ――」
なぜTシャツを着ているか説明する。
「いや、そうじゃなくって、、、その、黒が……」
彼女の指は、Tシャツよりもしたの股間辺りを指している。
「え――」
下腹部辺りに、目線をやる。
すると、風が吹き、Tシャツの裾にギリギリ隠れていた、黒い下着が、完璧に露出した。
「――おぉ、大人……」
少し前かがみになって、露出している雪月の下着を、見つめた。
風が止み、また裾で下着がギリギリ隠れた。
「あ……お、お邪魔しま――って、ちょっ――」
家に上がろうとする八雲を、外に置いたまま、一度、ドアを閉めた。
「……ぁ、あ、ああ、、ああああああ!!」
そして、あまりの恥ずかしさに、叫び声を上げてしまった。
雪月は、ベランダに干していた、グレーの短パンを履いて。
玄関に戻った。
「――はい、どうぞ……」
再度、ドアを開け、八雲を家に入れた。
「お、お邪魔しまーす」
八雲は、やっと玄関に足を踏み入れる。
「あ、これ。お母さんが持ってけって」
八雲は、別に持っていた紙袋からなにかを取り出す。
「……これは?」
渡してきたものを受け取る。
「温泉まんじゅう……だったかな?」
「温泉まんじゅう……あ、ありがとう」
どうやら、昼に見たニュース番組が行っていた、あの温泉地が販売元のようだ。
「――あいあい、靴はこう並べたらいいかな?」
温泉まんじゅうを見つめている隙に、八雲は雪月の後ろにある玄関框で靴を脱いでいた。
「あ、うん。そこまで、気にしなくていいよ――」
八雲に体を向け、言っていると、またインターホンが鳴った。一階のものからではなく、ドアの外に付いているものからだ。
「あれ?なんか、頼んでる?」
廊下に立っている、八雲が先に反応した。
「え、いや、別になにもないと……」
少なくとも、雪月は何も頼んでいない。
「でも、出たほうがいいんじゃない? 親が頼んだものだったりするかもだし」
確かに、八雲の言うとおりだ。もし、重要な物だったとするなら、このまま出らずに、受け取らないわけには行かない。
「あ、はーい」
とりあえず、体の方向をドアに戻し、足を一歩前に出し、ドアを開いた。
開けると、雪月と同じくらいの身長をした、見覚えのある、女の子が立っていた。
グレーっぽい、長袖の上着の中に、白いTシャツを着て、デニムパンツを履いている。
暗い茶髪のショートヘア。
全体的にカジュアルな印象がした。そして、少し微笑んでいる。
「――はじめまして。 この度、八○二に越して参りました、高森と申します。 どうぞよろしくお願いいたします……って、あら、宇奈月さん……?」
「……え。あ、えーと、ど、どうも、宇奈月です……?」
状況を掴むよりも先に、なんとなく返事をしてしまっていた。
「まさか、宇奈月さんが、お隣さんだなんて――あら、指宿さんもいらっしゃるんですか」
彼女の目は、廊下に居た八雲を捉えていた。
「――あ、えーと。うーん……あ!同じクラスの!」
間を含めて、同じクラスの子であることを思い出した八雲。
「――同じクラス、の?」
彼女は、聞き返した。
「えーと、なんだっけ。高森、ち、ちぃ……?」
八雲は、頑張って思い出そうとしている。
「私は『高森 ちぃ』なんて名じゃありませんよ」
彼女は、冗談ぽく、微笑みながら口を開いた。
「あ、『高森 チナツ』!」
八雲は、やっと思い出せたっぽい。
「指宿さん、違います」
残念ながら、思い出せていなかったようだ。
「あっれ〜?」
『そうだっけ?』と言わんばかりの言い方をしていた。
「私は『高森 知華』と、申します」
丁寧に頭まで下げて挨拶する。
「あー、『知華』か。そういえばそうだったねー」
関心のない言い方を、八雲はしていた。
「なんでそんなに棒読みなんですか。今年度で三年目なんですよ? 同じクラスなの」
顔を上げた知華は、『いい加減覚えて』と言わんばかりに言っていた。
「――え!?」
その話を聞いた雪月は、驚きのあまり、思わず声が漏れた。
「あー、そうだっけ?」
八雲の返し方は、どうでもいい人相手にするような感じた。
「まぁ、私の名前など、スカイダイビングに使うパラシュートくらいどうでもいいんですけどね」
何故か、知華はボケに出た。
「――スカイダイビングはパラシュートが命だからね、命と同じくらい大事って意味だよね、それ」
ボケに、雪月は反射的にツッコんでしまった。
「それで、なぜ指宿さんは、宇奈月さんの家にいらっしゃるのですか?」
今度は普通に疑問をぶつけてきた。
「――ま、まさか、二人でレズチョメチョメをしていらっしゃったのですか!?」
そんなはずはないと、わかっているはずなのに驚愕する。
「――普通に泊まりに来ただけだからね!! そんなことするわけ無いでしょ!! ていうか、どうしたらそんなこと初対面相手にスッと言えるの!?」
ボケなのかわからない発言に、今度は八雲が答えた。
「あぁ、そういうことでしたの。これは失敬」
知華の疑問は、解消されたみたいだ。
「全く、いきなり変なこと言わないでよ……」
「――あぁ、あと、別に私達は初対面じゃありませんよ?」
「あー、そうだったそうだった」
これもまた適当に返している。
「なんでまた棒読みなんですか、まあいいでしょう」
「それでは、宇奈月さん。これからよろしくお願いいたします」
そういって、知華の方からドアを閉じた。
「あ、はい、よろしくお願いします……?」
雪月の言葉よりも先に、ドアが閉じた。
八雲がやってきて約二時間、時刻は23時を過ぎていた。
一人でできなかった入浴タイムは、八雲と一緒に入ることにより解決。
お花摘みタイムは、ドアの前に居てもらうことによって解決した。
残すは歯を磨き、夢を見るだけとなった。
「あー、歯磨き粉忘れちゃった」
「これ使っていいよ」
歯磨き粉を八雲に貸すと、ブラシに僅かな量だけを乗せた。
「……遠慮しなくていいんだよ?」
「え、あーいや、私、薄味派だからさ」
言っていることは理解できたが、言っている意味がわからない。
なので、ここはなにも言わずにそうさせた。
「はい、終わり!!」
「えぇ!?」
あっという間に磨き終えた八雲。しっかり磨けているようには、とても思えない。
「ムフフ〜、ほらぁ、ママが仕上げ磨きしてあげまちゅよ〜」
まだ磨いている雪月に近づいてくる。残念ながら、身長差的にも母性をあまり感じない。
どちらかと言えば雪月のほうが母性を感じると、八雲が一番わかっていた。
だから扉側に立っていた八雲は、逃げ場のない雪月に迫り、しゃがみ込ませた。
「ほら、あ~ん♡」
「あ、あ〜ん……」
雪月の歯を一本一本、素早く丁寧に磨く。
奥歯にブラシが触れるたび、雪月の体はビクついていた。
「ひょ、ひょっお〜……」
顔がみるみる赤くなっていく。目は八雲を見ていない、ぐるぐる回っているように見える。
両手で抵抗することもなく、雪月はただ磨かれ続けた。
「ふぅ〜、よし終わり!! ほら、ぺぇ〜ってして」
そんな事言われなくたってするが、これもないなりの母性なのだろう。
こうして、歯磨きを終えた二人は、雪月の部屋に敷いていた布団にダイブ。
騒がしくなると思われていたお泊り会は、思ったよりも静かに終える。
次の日の朝、目覚めたのは雪月だった。先に眠ったのも雪月だったが。
左手に違和感がする、見ると八雲が手を握っている。
そして、ついでのように八雲は布団でお花を摘んでいた。
漏らした原因は、雪月が眠ったあとに、隠れてジュースをがぶ飲みしていたとのことだった。
本当は、台所でさせたかった……