今を書く
少し思ったことを書いてみました。
つまらなそうでも読んでみて下さい。お願いします!!
今書いているのはいわゆる異世界についてではない。
実際現実にあることであり、僕が体験していることだ。
でも同時に君が決して見ることも感じることもない僕だけの世界であることには間違いない。
今このサイトをふと見つけてほんの10分前に登録した。
横では過疎りに過疎ったゲームのマッチングの音が鳴り響いている。
衝動的で本能的。
合理的な理由など一つもない。
現実から逃げたいからかもしれないし、ただ承認欲求が暴走しただけかもしれない。
何もしないということに罪悪感があるのかもしれない。
この夏休みの終わりに。
端的に言えば、暇だから僕はここにいるのだろう。
一つ。
何も壮大なストーリーがないからこそ書きたいことがある。
粗野で粗削りな一発書きだが許してほしい。
今これを見てる数少ないオトナな方々には申し訳ない年相応の思考にちがいない。
ちなみにだが、公式設定の年齢は適当だ。
変な制限を食らうのは嫌だから。
そんな気まぐれなどこにでもいる青少年の悩み、そんな風にとらえてほしい。
ただここに自分を整理して書きたいだけだから大目に見てほしい。
哲学的にも自虐的にもおもえるかもしれないが、最後にはあなたの人生をほんの一瞬でも変えるつもりで書いた。
是非最後まで読んでほしい。
楽しんでくれればこれほどうれしいことはない。
どこかで読んだことがある。
現代は近代を脱却するポストモダンな時代だと。
その世界ではアイデンティティが揺らぎ、各々の小さな物語を求める混沌とした時代だと。
無知な自分もそう思う。
インターネットなどの普及によってこれまでのどんな時代よりも人の存在が鮮明になった。
それと同時に薄くなった。
多くの人の存在が認知できる一方で表面的な理解にとどまることが多くなった。
いや、満足するようになったというほうが正確かもしれない。
それぞれが自分の理想を他者に魅せる。
それがどんな媒体だって同じことが言える。
SNS、学校生活、ここでもそうだ。
自分が年の割に高尚なことを言って自分の拙い語彙力をひけらかしたい部分が少なくもあると思う。
それが悪いとは全く思わない。
空しいがそれが人間の性だろう。
承認欲求というのだろうか。
あの偉大なるザッカーバーグが利用した財の泉源だ。
しかし、その事実を知ってなお、人々は他者の魅せる姿と自分の現実を比較する。
そう、現実と。
他者に魅せている自分ではないのだ。
なんと哀れでかなしいのだろうか。
それぞれが外界に映し出した虚像をそれそれ現実と比較しあう。
虚像とは理想だ。
成功者が自分の人生をコンテンツ化してひろめ、さながら新興宗教のような様相を呈している世界において価値観は同質化して統一的な価値観が広がっていることは疑いようがない。
この世界で他者の理想は自分の理想と大きく重なる。
理想とは決して届かないから理想なのだ。
じぶんを大きく見せてその中で他者と比較して苦しむ。
虚像を外界に映し出した以上もうそれを取り消せない。
取り消すことはまるで自分が負けたように思えるからだ。
これもまた他者の魅せる理想にだ。
もしかしたらあの虚像はあの人にとっては現実かもしれない。
ぬぐい切れない一抹の不安が心をゆっくりと侵食する。
だとしたら…。
こうして不相応に大きい虚像を抱えて苦しむのだ。
相談?共感?もう遅い。
不相応に大きい虚像は僕たちに契約を結ばせる。
君は二度と心の底から共有はできないと。
どこかで思うように仕組むのだ。
現実を知ればこの人は自分を見下すだろうと。
軽蔑するだろうと。
僕たちはそして逃げるのだ。
共有を求めて。解放を求めて。
掲示板。ネット。ここもそうだね。
そこでしか自分の現実を吐露する。
そして慰めあうのだ。
同じ境遇の人を見て自分だけじゃないと。
でも知っているはずだ。
それは共有じゃない。
疑似的なものに過ぎない。
自分を完全に知ってから認めてほしい。
心の底から分かり合いたい。
それでしか僕たちは自らが作り出した牢獄から抜け出せないから。
それでしか幸せがつかめないと思うから。
現実を見せたくないが現実を見せたいのだ。
その矛盾を抱えながら僕たちは今も牢獄の外の真っ青な空を見上げる。
これは実は前置きだ。何のためにあるかもわからない、前置き。
ではおもしろいある話をしようか。
そうだね…、彼は僕から見ればその虚像だったのかもしれない。
彼は頭が良かった。
それは先天性のものというよりも環境が大きかったのかもしれない。
彼には優しい両親がいて愛情を一身に受けて育った。
衣食住が十分で、教育も極めて高い水準で得ることができた。
本を読め、英語を学べる。
基本的な勉強は家で習得できたのだ。
彼には才能があった。英語に。しいて言えば、語学に。
これが必ずしも幸せなことはなかったのかもしれない。
彼は小学生の間に高い語彙力と思考力を発揮した。その歳にしてはあり得ないほどに。
彼が中学2年生になるころには英検1級、帰国子女を疑われるほどのスピーキング能力を手にいれた。
なぜそんなことが可能なのか。
そのときの彼自身にもわからなかった。
だから、才能なのかもしれない。
彼はうぬぼれはしなかった。
語学は彼に驕ることは自身の能力と人間性の低下につながるということを気づかせたからだ。
ただ、その能力は彼を厳しい世界へ追いやった。
まじめな性格と英語力は彼を県下最高の進学校はいざなった。
しかし、彼はいろいろな意味で賢い子供だった。
悟ったのだ。
これから続く3年間の点数競争には勝てないと。
客観的に見ればすでに国の最高峰の入試において英語で満点近くとれるならば余裕に違いないともおもうだろう。
しかし、彼に期待され、そして彼自身が期待する目標には決して届かないと実感した。
彼ほどの思考力があればほかの目標において幸せを見つけれるはずだった。
しかし、そこまではかなわなかった。
彼は周りの人に感謝していた。
そして、優しかった。
彼の幼少期における思考の継続と語学力は人格さえも周りを吸収しすぎた。
彼のこれまでの勉強、狭義でいえば受験勉強は頭の処理速度ではなく完全に思考力に裏付けられたものだったのだ。
彼のこれまでの一見輝かしい功績もひとえにその特性によるものだった。
彼はよくそれを知っていた。残酷なほどに。
彼の思考力は彼には暗記力が決定的にないと告げた。
自分が最も信頼する思考力にだ。
それは受験勉強が突き詰めれば暗記になると知っていた彼の自信をえぐった。
何度も試行錯誤した。
それが唯一できることだったからだ。
海外大?数学?
多角的にあらん限りの思考をめぐらしたが目指すところには到達できなかった。
ネット、本。
できるだけ効率よく勉強した。
しかし、思考力に裏付けられなければ彼の脳は暗記を拒んだ。
長時間勉強したとしても思考が邪魔をする。
その果てで最後に希望として語学にすがった時には彼の言語習得能力はなくなっていた。
完全に、跡形もなく。
その余韻さえも感じれなかった。
彼の才能と思っていたものは、早熟という特性に過ぎなかった。
英語と日本語を除き、彼は凡才へと転落した。
不運にも彼に不相応な思考力と目標を置き去りにして。
人間関係にもめぐまれただろう。
童顔で優しい彼は人当たりもよく、友達もできた。
女生徒にも人気があり、彼女も作った。
人間性の優れた彼は平等で優しく、どこまでも人格者だった。
それでも、彼はどこかで疎外感を感じていた。
かれの幼少期の全能感は彼に影響を与えすぎた。
彼は誰といても一人だった。
哀れでかなしい気持ちにいつも浸っていた。
何重にも俯瞰した自分が彼を苦しめた。
彼はついに決して自慢しないとした英語力さえもその慰めてとした。
それは彼が幼少期決してしないと誓ったことであるにもかかわらず。
確かに彼は優秀だろう。間違いなく。
しかし、彼は多くのものを得ていたからこそその中でゆがんだ不幸せを感じていた。
そう、現実と過去の自分という虚像の間で。
・
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ああ、いま彼は何をしているのだろうか。
けっして期待しているわけではない。
なぜだか、彼なら乗り越えている気がするのだ。
いつしか彼は小説を書いてみたいと言っていたはずだ。
夜さんというハンドルネームを今も使っているのだろうか。
はじめは、小説家になろうというサイトに投稿するつもりだと言っていた。
なにかみんなに影響を与えるものを投稿してみたいなーっと。
いまもし彼がいたとしたら彼は高校2年生の夏休みの終わりを過ごしているはずだ。
彼が書いたものがあるなら、是非読んでみたい。
それは彼が自分なりの幸せを見つけたということだから。
彼がもう一度挑戦を始めたということだから。
その時彼は幸せに違いない。
そしてそれは僕だちにとって証明となる。
幸せは決して不相応に大きい虚像などではなく現実であると。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
感想や書いてほしいお題があればぜひ聞かせてください。
評判が良ければまたなにか書くかもしれません。
かきおわtt-ーーーーー!!
想像以上大変やーーー
たくさんの人に見てもらえれば幸いです。




