4月12日、火曜日。風に吹かれて。
やっとタイトルらしいタイトルになってきた。このまま行くと、先週の金曜日が黒歴史になっていく気がする。そうなるように頑張ろう。一日で起こったいくつかの出来事を一言でまとめるのはなかなかに難しいが、たぶん何かの役に立つ。こういう場所で練習しておいて損はないはずだ。ちなみに、タイトルの由来はエレファントカシマシではない。ボブ=ディランだ。ちなみに私はエレカシの方が好きだ。
昼休み。彼女がギターを持ってきた。ふと思った。授業中はどこに置いたんだろう。彼女のクラスも40人のはず。そんなゆとりはないだろう。聞いてみると、教室の後ろだと言った。
うん。私がバカだった。そりゃそうだよね。普通そうだよね。疑問に感じる方がおかしいよね。彼女と仲良くなって、少し気が緩んでいたのかもしれない。友達なんだから、もっともっと緩めていいのかもしれないけれど。なんて思いつつ、彼女はギターをつま弾きはじめた。
それに反応した人影があった。この時間、いつも中庭の隅の方にいる数人のグループだった。そういえばここは軽音部のエリアだ。彼女らも音楽が好きなんだろう。
低い音は力強く、高い音は優しく響いた。音楽のことは分からないが、これが彼女の技量だと言えばそうなのかもしれない。
次に彼女は息を吸い込んだ。私は息を呑んだ。優しく放たれたその歌声は、白く透き通っていた。儚さの中に力強さがある。少しハスキーで、それが何かを揺さぶるのだ。まさにハンナの性格のような歌声だと思った。
詞は複雑で面白い。どことなく既視感、既聴感がある。私がどこかで聞いたことがあると思うときの答えは、いつもお父さんのラックの中にあるのだ。今回もそうなのだろうと思いながら聴き惚れていた。曲が終わると、軽音楽部らしい先輩たちが拍手をしながら近寄ってきた。
「に、逃げよう」
ハンナちゃんが言った。やっぱり他人が怖いらしい。それだけ私に心を開いてくれていることを嬉しく思うが、
「軽音部の先輩じゃない?なら、頑張らないと」
このままでは部活に入れない。もっとも、素人の耳ながら、彼女のギターと歌の上手さに釣り合いがとれる人がこの学校にいるとは思えないから、入る意味があるのかは分からない。しかしそれは彼女の意思だし、それを支えるのが今の私の役目だと思った。怯えていては何も始まらない。自分に言い聞かせるように、心の中で唱えた。
その時、先輩たちが言った単語を思い出しながら、お父さんの分析と共に書いてみる。
「ガットギター?本場の人は似合うなぁ」
「聞いたこと無いアルペジオだった。自己流なの?」
「ネイティブの英語は違うなぁ」
そうか。今の曲は英語だった。この人達には聞き取ることもマネすることも困難らしい。
「君たち新入生でしょ?薄葉先生に聞いたんだ。国際的な女子二人がここを出入りするけど、追い出さないようにって」
薄葉先生というのは、私とハンナちゃんにここを紹介した、あの女性の英語教師の名前だったと思う。顧問だと言っていたし、これからお世話になるはずだ。国際的、は事実だからいいとして、言われてなかったら追い出されてたのか。縄張り意識スクールカースト異物排除、さっそく軽音部怖い。
「なんて曲なの?」
ハンナちゃんの目が泳いでいる。緊張しているのか、さっきまでの自信満々な雰囲気はどこにいったのか、スイッチが入ると人が変わるタイプらしい。同じようにスイッチが切れるとそこに苦しみすら感じるらしい。なんだか可哀そうになってきた。逃げようとするハンナちゃんを止めたのが申し訳なくなってきた。
彼女をかばって、放課後にまた来ますから。と逃れようとすると。
「ブローインインザウィンドだろ」
男の人、先輩の一人がカタカナ的な発音で言い切るように言った。
「Blowing in the Wind」
思わず口に出してしまった。
その先輩が言う。
「おお、立つ瀬がないね」
「あ……すいません。そんなつもりじゃ」
発音でマウント取ったみたいになってしまった。悪気はなかったというか、言葉を復唱しただけというか。違和感を感じたのは事実だけど。
「ボブ=ディランの『風に吹かれて』みんな知らないの?」
その先輩は周りにいた他の先輩たちに話を振った。周りの先輩たちは首を振った。横に。現代の若者には広まってない曲らしい。私も、この辺の感覚には自信がない。
「キーも変えてたけど、コードボイシングっていうのかな。すごい良かった」
何言ってるか全然分からなかったが、お父さんの分析だとこんな単語だったらしい。難しい音楽用語、というぐらいに捉えている。お父さんも予想だから、もはや真実は誰にも分からない。
ハンナちゃんも分からなかったらしい。
「お父さんに教わった通りにやっていて、難しいことは……」
先輩が続けた。
「そっか、お父さんね。その子に歌ったんだろ?……友よ、答えは風と共にある。だよね」
カタカナで英語を喋るのがコンプレックスにならなければいいが、少なくとも今は避けたような気がした。
ハンナちゃんは黙って頷いた。
「そっか。うちに入るんだろ?楽しみだ」私の顔を見た後、ハンナちゃんの顔を見て、最後に二人の間の空間を見て言った。「無理しないでね。じゃあ」
彼は他の先輩を引き連れて去っていった。お父さんから見ると、その男の子は本気っぽいね。だそうだ。そう見ると、周りの先輩たちが彼の取り巻きのように見えてくる。事実、そうなのかもしれない。変な人だけど、不思議な雰囲気をまとっていて、清潔感があってやさしさも感じる。前髪立ちの好青年といった印象。私が綺麗になれたなら、こういう人に好きになってもらいたい。と思った。
気に入られたらしいハンナちゃんに少しだけ嫉妬した。本当に。水で表すなら一滴ぐらい、砂で表すなら一粒ぐらい、料理で表すなら一つまみくらい、または適量ぐらい嫉妬した。
放課後、二人でこの場所に来て入部届を書いた。私もなんだか興味が出てきたのと、ハンナちゃんの歌をもっと聞いてみたいと思った。中庭のどこかにあの先輩の姿を探す自分がいた。しかし姿は見えなかった。明日は会えるかな。別にそこまで楽しみじゃないけど。
昼間もいた彼の取り巻きらしい女子の先輩に、使っていいエリアを教えてもらって、カレンちゃんは楽器選びからだね。なんてことを言われて、半ば学校探検のようになってその日は終わった。
ここまで書いて気づいた。なんか小説みたいになってる。私にはこういう才能があるのかもしれない。文芸部……?もう遅いか。本気でやっても頭打ちはすぐだろう。ならハンナちゃんと一緒にいた方が楽しそうだ。自分の選択は間違いではない。と思いつつ、どの楽器が痩せそうかな。なんてことを考えながら寝ることにしよう。