4月11日、月曜日。ラブレターが欲しい。
自信過剰なタイトルが大変恥ずかしい。でも本音だから、これが若さだから。痩せて綺麗になって、そういうのも貰ってみたい。誰かに宛てて書くというのもいい。この日記での経験が生きるというわけだ。どちらにしても、自分を信じるか見失うか、のどちらかができなければ不可能だろう。日々感じる視線に怯えて生きる今の私には難しいことだ。
朝、徒歩登校。前述の通り15分ほど。個人経営のコンビニ『タイマー』の前を通り過ぎて、坂道を登ったり降ったりしながら学校に向かう。下駄箱に、手紙が入っていた。周りにジロジロ見られていたので、サッと隠してトイレに駆け込む。読んでみると、ハンナちゃんからだった。嬉しかったのでここに模写ならぬ摸書する。
〝カレンちゃんへ、金曜日はありがとう。とっても嬉しかったです。でも失礼なことも言ってしまったかなと少し後悔しています。人と人の間には壁があります。私たちの場合は、それが分厚くて高い壁です。しかし壁がなければ、ぶつかり合って傷つけ合うことになってしまうのも事実です。高い壁の前では、手を取り合えないのも事実です。でも、私たち二人が歩んでいけば、いつかきっと壁は低くなっていきます。声が届いたり、手を取り合ったりすることができるのです。そう思えるあなたと出会えたことに、強い幸福を感じます。この出会いに感謝を。今日もまた、お昼にあの場所で会いたいです。PS.連絡先書いておきますね〟
正直、ちょっとイタい子なんだなと思った。それでも必要とされるのは嬉しいし、この国では、私たちは多くの人にとってピエロやパンダのように見られている。ある人の言葉を借りれば、ポケモンとして見られているようでもある。そこに悲しみを感じてしまうこともあれば、喜びを感じてしまうこともある。美しさや外人らしさを強要されることもあるし、それに責任感が芽生えることもある。それが、高く分厚いくせに透き通っているこの壁の最悪な部分だと思った。そんなことを考えると、感傷的な気分になって手紙を書きたくなる気持ちも分かる気がする。
個性を押しつぶすのは大人だけではない。透明な壁越しでこちらを見ている子供たちもそうなのだ。同調圧力で押しつぶせる程度の個性ならそれでもいいが、生まれながらのそれは押しつぶしようがない。だからこそ私たちは立ち向かわなくてはならないのだ。
みんなは良くも悪くも無知なだけだから、その無知を楽しめばいい。その間は、ポケモン同士、手を取り会うべきなのだろう。少なくとも、このまま孤独なのは嫌だ。必要としてくれる人がいるなら、彼女のために頑張ろう。私も、あなたに会えてよかった。お昼になったらそう言ってやろうと、トイレの扉の前で思った。
昼が来て、言ってやった。なんだかふわふわした雰囲気になって楽しかった。
そこで昨日考えた事も聞いたのだ。音楽が好きなのか楽器が好きなのか。彼女はギターが好きだし音楽も好きだと言った。実は私のお父さんが音楽関係の仕事をしているという話をしたら、高校生に何を聴かせたいか聞いてきて欲しいと言われた。
なんとなく、ハンナちゃんは本気なんだと思った。私の方が物怖じしてしまい聞けなかったが、ハンナちゃんの持つ自分自身の将来像の一角には、歌手とかアーティストというものがあるような気がした。そんな彼女についていって、軽い気持ちで軽音楽部に入るなんていうのは、失礼かな。後ろめたい気持ちもあったが、私の存在が彼女の背中を押しているようだったので、嬉しそうで楽しそうで最高に活き活きしている彼女を否定することはできなかった。
現状の二人の関係は共依存に近いと思う。彼女は私が居なければ自分の意思通り行動することができない。私はそんな彼女を見て安心するような、喜びを感じるような、母性と責任感が織り交ざったような心境になり、かなしい現実から目を背けられている。立派な共依存だ。しかし、ずっと二人で生きていくわけにはいかない。一人で生きていけるように、自分に胸を張れる存在にならなければ、周りの全てが上手くいかなくても、自分に負けたらダメだ。やっぱり私は、ダイエットから、頑張ろう。
明日はギターを持ってくるとハンナちゃんが言ったので、部活見学は明日になった。度肝抜いてやる。なんて息まいていたので、それなりに自信があるらしい。そういうことでも自分への自信になるんだなと思った。それでも視線が辛いなら、胸を張れる特技がある。というだけでは、自分に胸を張って生きるのは難しいらしい。じゃあやっぱり見た目の自信なのかなぁと思った。
今日は書きすぎた。もう眠い。明日のことはまた明日。不安は色々あるけど、吹き飛んでしまえ。寝るー。