08. 王様登場
城へ戻ったガブリエラ王妃は、早速例の商人を呼びつけようとしたが、その前に王様に呼び出された。
「あら、まずいわね。そろそろばれたかしら」
ガブリエラは、魔法の鏡に問いかける。
「鏡よ鏡、うまく切り抜けるにはどうしたら?」
『お答えします、王妃様――嘘偽りなくありのままを述べることをおすすめします。そして誠心誠意言葉を尽くして、王様からも今回の計画についての賛同を得るべきかと……』
「そうよね。それしかないわよね」
『では次に、謁見に合わせた衣装と御髪のご提案をさせて頂きます』
「お願いするわ」
ガブリエラは覚悟を決めた。
手早く湯あみを終え、新しい着替えに手を伸ばす。
髪は侍女に任せて、頭の中を整理していると、やがて王付きの侍従が呼びにやって来た。
すっと立ち上がり、背筋を伸ばす。
『ご健闘をお祈り致します。王妃様』
鏡の声に押し出されるように、王の執務室へ向かう。
先導する侍従の背からは、状況は読み取れない。
しかしガブリエラが執務室へ呼び出されるのは、王家に嫁いできて初めてのことだった。
「お待たせして申し訳ございません、陛下」
ガブリエラが入室すると、執務官と侍従たちがすっと退室した。
後に残ったのは、王と王付きの護衛官、そしてガブリエラのみだ。
王はなかなか顔を上げようとしなかった。
さらさらと、羽ペンの滑る音だけが響く。
窮屈なジュストコールを脱ぎ、首元をゆるめたシャツ姿なのが新鮮だ。
南向きに大きく取った窓からは、午後の穏やかな陽が差している。
光に透ける、やや癖のある茶色に近い金髪は、苛立った時の癖でかき回したのだろう、一部もしゃもしゃだ。
意志の強そうな眉の下、いつも優し気に細められていた碧玉の瞳に、今日は疲れの陰りが見える。
その原因は、きっと自分なのだと、ガブリエラは思った。
やがて短くない時間が過ぎた頃、静かな王の声が響いた。
「……悪かったとは、思っているようだな」
ゆっくりと面を上げれば、計るような王の視線がガブリエラに注がれていた。
肘を付き、顔の前で指を組んでいるのは、警戒心の現れ。
ガブリエラはこれ以上ないほどに丁寧な礼をする。
見られているのは、ドレスに表した恭順だ。
柔らかな水色シフォンのブラウスから、腰の切り替えしを経て、裾へ向かう程に濃紺へと深まるブルー。
魔法の鏡に相談し、あえて選んだ、王の瞳と同じ色。
髪を上げて晒した耳元には,、以前王から贈られた青い貴石のイヤリングが光っている。
「理由を聞こうか」
「はい。わたくしは――姫君を成長させたいと思ったのです」
「……そなたに、白雪を思う心があったとは驚きだ」
「それについては、申し開きのしようもございません。確かに過去、わたくしは――」
それ以上は言葉にならなかった。
確かに過去、白雪を嫌っていた。
白雪の奥に見える、前妃のことも。
焦っていた。
抗っていた。
負けたくなかったのだ。
その相手が、例え亡くなった人だとて、こどもだとて。
全ては、目の前にいるこの人の思考を、ガブリエラのみで満たすため。
浅はかな、そう思う。
馬鹿げている、そう思う。
けれどもその愚かさも、確かに今のガブリエラの一部だった。
「今は違うと?」
「今は、姫君の健やかな成長を願っております。前妃には、感謝を。陛下、どうぞもう7日だけ、お待ち頂きとう存じます。そこまで見届けることができたなら――どのような御咎めも、甘んじてお受け致します」
「それで何かが、変わるというか」
ガブリエラは淡く微笑んで答えなかった。
王はしばらくじっと彼女を見つめ、やがて退室を促した。
***
「失敗しちゃったわ」
後宮の自室に戻ったガブリエラは、早々にドレスを脱ぎながら魔法の鏡に報告した。
『わかって頂けなかったのですか?』
「ううん。ごちゃごちゃ言うのはやめにした。言い訳したくなかったの」
『王妃様、説明か言い訳かは、聞いた相手が決めるのです。王の思惑如何によっては、ちゃんと聞きとげられる可能性も――』
「わかってる。でもいいの、これで。いろいろ考えてくれたのにごめんね、魔法の鏡」
王妃は動きやすいシンプルなドレスに着替えなら、吹っ切れた様な笑顔を見せた。
魔法の鏡はうやうやしく答える。
『いいえ、勿体なきお言葉です。では次に、王の今後の出方について、確率の高い順に申し上げます――』
「え? どういうこと?」
『押して駄目なら引いてみろ――そんな言葉がございます――』
魔法の鏡は得意げにピカリと光った。
『この度、王妃様が潔く退かれたことで、逆に王の気を惹く可能性が上がります。その後の出方を多角的に分析、そこに王の気質とお二人のこれまでの歴史、従者の助言等を反映させて、総合的に判断致しましたところ……可能性その1、王が王妃様に改めて興味を示す――43.9%。この場合、高い確率で本日の晩餐にお誘いのお声が掛かりますので、後ほど改めて別のドレスを検討致しましょう」
「晩餐……そう言えば久しぶりね」
ガブリエラは小さくはにかんだ。
最近は、いろんな商品の開発に、その前は白雪姫への嫉妬で頭がいっぱいで、王の気持ちが自分から遠のいていることには見て見ぬふりをしてきてしまった。しかしもちろん、ここらで挽回しておきたいところだ。
『その2、王妃様への不信感が募る――37.1%。この場合、王は高い確率で、影に監視をご命令なさるでしょう。どこまで情報を開示するかご相談いただければ、それ相応の対処法をお伝え致します。また、全てを拒否なさるのであれば、逃亡をお手伝い致します』
「何それ怖いんだけど」
王の影――そう呼ばれる、王直轄の汚れ仕事専門部隊がある。影による監視とは、落ち度を探られ蹴落とされることに他ならない。かなり憂鬱な事態である。
『その3、7日後まで静観される――16.1%。この場合は特に何も起こりません。しかし姫の教育結果次第で後々の処遇が決定されることになるため、いっそ王妃様も、小人たちと合流して教育に加わった方が好ましい結果となるでしょう。しかしその場合、小人たちに何かしらのフォローが必要です』
「確かに」
一度振った仕事を、やはり自分がやります、なんて、脳無し呼ばわりと同じだ。
小人たちは同志、数少ない友人である――少なくとも王妃はそう思っている。
できれば、彼らを傷つけるような真似はしたくない。
『その4、離縁の手続きを開始する――2.9%。この場合、どれほどの手切れ金が用意されるか不明のため、まずは早急に王妃様の私物から、金策に使える物品をリストアップして換金、小分けにして隠す必要がございます。しかしこの場合、いくら私物とは言え、後からよくない理由付けがなされる可能性も高く、逃亡生活に発展する可能性も少なくありません』
「最悪……いえ、そんな風に言ってはいけないわね。元ネタよりはマシだもの」
ガブリエラは思わず眉をしかめた。元ネタ――いわゆる、元々の物語のラストでは、意地悪王妃は焼けた鉄の靴を履いて、死ぬまで踊り狂わなければならなかった。
それを思えば、生きている限り、どうとでもやり直せる。
命あっての物種なのだと、王妃は自身に言い聞かせる。
『……王妃様。我が主よ。来ない未来を憂う必要はございません。貴女は文字通り心を入れ替え、姫と、御身をも救わんとされています』
「鏡……ありがとう、頑張るわ。どっちにしろ、まだ高い確率で関心を持ってもらえるかもしれないってことだものね。それは素直に喜ぶわ」
ふふっ、と少女のように笑うガブリエラ。
その微笑みを映した鏡はぷるるっと震え、勢い込んで聞かれてもいない問いに答える。
『こここここここここの世で一番美しいのは、ガガガブリエラ王妃、間違いなく貴女です。今この瞬間のその笑顔! それ! 王にとって最適解!! 希望の光が見えました! 今のその笑みを常に繰り出せるよう、いざいざ練習いたしましょう――』
「ええっ? 今の笑み? どんなだっけ? わかんないわよ。第一練習してできるもんじゃないし――」
『王妃様たる御方が何をおっしゃいます。貴女は王妃。王妃は女優。いつでもどこでも自然な笑顔を、自在に浮かべられるはず――』
「……ん? んん、うん、そうね、なんだか出来ない気がしない。いいわ、やるわよ! あの硬派な陛下をめろめろに!」
愛らしくガッツポーズを作る王妃を映しながら、鏡はまたしてもぷるるっと震えた。
どうやら無意識のうちに、暗示をかけてしまったようだ。
しかし相手は無意識なので、暗示のかかり方も浅く、もしも望んでいないならば跳ね付けられる程度のものだ。
つまり受け入れられた時点で、王妃もそう望んでいたということ。
言うなれば不可抗力。
問題ない。
『お任せください、王妃様――」
こうして魔法の鏡と王妃は、きゃあきゃあはしゃぎながら、ガブリエラの魅せ方について研究するのだった。
***
一方、王妃を見送った王は、執務室の閉じられた扉を眺めていたが、やがて深い溜息を吐き出しながら椅子に背を預けた。
短い謁見だったがひどく疲れた。
己のこめかみを揉みこみながら、王は背後の護衛に問う。
「7日毎にあれが何をしているのか、誰も知らんのか」
「……恐れながら、陛下。騎士団からの報告書以外のことは何も」
はあっとまた溜息が出る。
ここ最近、王妃がらみで上がってくる報告書は、どれも作成者の正気を疑う内容である。
だがその作成者は、騎士団長に宰相、後宮に潜り込ませてある女官など――皆、王が真に信頼する者ばかりなのも、また事実で。
「また森の小人の話か! だが実に信じがたい。小人は、人とは似て非なるもの。種族の異なる我らと取引するとは思えん」
「……は」
「しかしそれを、アルフォンスは信じると言う。お前たちもだ。なぜだ? その根拠は?」
「……恐れながら申し上げます、陛下。わたくしは報告書の確認も兼ねて、本日の王妃の森行きに同行致しました。そして報告書の通り、小人の家のかなり手前で待機を命じられたのです――待つ間は、新しい訓練をするように、と」
「ああ、もちろん聞いている」
「その際、王妃殿下は湖に向かってこう声を掛けられたのです――『ジャーカガミィ、後はお願い』と」
「湖に……待て、今何と言った? 湖を、呼んだ――だと?」
王がぎょっとして振り返る。
「左様でございます」
「その話は聞いていない」
「念のため、次回複数人で同行し、再確認する予定でした。報告が遅れて申し訳ございません」
「いや、いい。そのような案件では仕方がない……」
信じられない出来事ほど、複数人での確認は必須だ。
湖を呼ぶ行為と、摩訶不思議な訓練方法、それらが指す答え。
部下たちが確認したかった答えに、王もまたたどり着いた――つまりそこには十中八九、精霊が絡んでいるのだろう、と。
王は遠い記憶を眺めるような目つきで言葉を繋ぐ。
「確か……精霊の存在は、白雪の生まれた日に確認されたのが最後だったな」
「はい、姫殿下の誕生と共に光が舞ったと、多数の者が証言しております」
「しかしその代償か、前後して前妃は儚くなった……」
王の握るこぶしが、一瞬大きく揺れた。
王は覚えている。
白雪が産まれる前の年の冬、窓辺に座って赤子のために祈る前妃を。
思えばあれが、精霊への祈りとなって受け入れられてしまったのに違いない。
あの時、止めるべきだったと、何度悔やんできたことか。
「……あれも、そうなるのか」
結婚後はすれ違いが多かった、2番目の妃、ガブリエラ。
前妃と同じ、黒髪の美姫だ。
だがその髪色の妃を再度迎えたのは、王が前妃を偲んだからではなく、まだ幼かった白雪と、その継母となるガブリエラを思っての理由だった。
例え血が繋がらなくとも、容姿が揃うのなら。
それが、髪色ひとつだったとしても――。
だがその思い空しく、彼女は白雪を受け入れなかった。
受け入れないどころか、冷たく当たっていたことも知っている。
それでも、直接手を出すことはなかったから――元々王侯貴族の家族観は、民のそれとは違って政略を重視したものであるし、2番目の妃として嫁いできたガブリエラが、前妃と比べられて苦労していたこと、その美しさゆえに誤解を受けやすかったことも承知していたから――ここまで黙認してきたのだ。
ガブリエラ本人についても、同じだ。
2人目の妃として王城に迎えられることになる苦労はある。
だがその程度のこと、王妃の座にある者なら自ら乗り越えなければならない。
事実、ガブリエラはそうしてきた。
儚げな前妃とは真逆の女――気が強く、生命力に満ち溢れたガブリエラ。
王が王として、彼女を選んだ理由があるなら、きっとそこだろう。
だから、今。
いっそ可笑しく思えるほどに、王の心に焦燥が沸き立つ。
彼はもう二度と、連れ合いを見送るのはご免だった。
しかし護衛は、力強く王の弱気を打ち消した。
「王よ。ご心配召されますな。王妃殿下は、湖を名で呼んだのですぞ」
「そうだ、名を……精霊の名は、つまり真名だ。それを呼ぶのを許しているとなると、これは取引ではなく使役……?」
「そうとしか考えられませぬ」
はっとして弾かれるように顔を上げた王へ、従者は黙ってゆっくりと頷く。
王は椅子から立ち上がった。
そして――。
王も王とて暴走する、の巻。
次回、「旅の夫婦は最後の試練」