02. 白雪姫と雇われ猟師
一方その頃、猟師はと言えば、この後の展開を考えて鬱々としていた。
「森だなんて、初めてよ! ああ、とても楽しみだわ。今ならきっと、春の花がたくさん咲いているのでしょうね?」
「ええ、もちろん、そうでしょうとも」
期待に目を輝かせ、淡い菜の花色のドレスをひるがえしながら、跳ねんばかりについてくる姫の愛らしいこと。
罪悪感のせいで、ついそっけなくなりながら、猟師はそっと溜息をついた。
(こんなにも可愛らしい姫さまを、森で殺して心臓を捧げろだなんて、王妃様はなんて恐ろしいお人なんだ)
しかし、雇われ猟師に断る選択肢などない。
彼は侍女を探して白雪を押し付けて外出準備を任せると、裏門で落ち合うことを決めてから、重苦しい気分で馬屋へ向かった。遠出のため、自分と姫様の馬を借りるのだ。
水もたっぷり飲ませておこうと、手近な水桶に新鮮な水を汲み、馬の鼻面に差し出す。
(やはり俺には、直接子供をこの手にかけるなんてできない。森の奥へそっと置いてくるだけにしよう。証拠の心臓は、帰り道でイノシシでも狩ればいい。うんそうだ、俺は森で、森で……えーっと、森の小人の元まで、姫を無事送り届けなくちゃならないんだから。うん、そうだ、そうだった)
大切な姫を送り届ける役目を仰せつかるなど、なんと名誉なことなのだろう。
先程まで重苦しかった猟師の胸は、今や嘘のように晴れ晴れとしていた。
(俺としたことが、重圧で憂鬱になるなんて。でも、森のことなら知り尽くしているはずじゃないか。今まで汚れ仕事ばかりだったけれど、これはチャンスだ。自信を持つんだ。俺にしかできない、素晴らしい道案内をしてみせるぞ)
猟師は念入りに準備を整えると、姫と連れ立って出発した。
*
王城の裏に広がる森は広大だ。
それでも、王家の管轄であるため、一定の治安は保たれている。
荷馬車用につけられた小道は、猟師と白雪が馬を並べて駆けさせるのに十分な広さがあった。白雪は、猟師の言いつけ通り、付かず離れず、慎重に自分のポニーの手綱を取る。
なだらかな小道はゆるやかに曲がりながら奥へ奥へと続いていく。
土の上を行く馬の足音は静かだ。
白雪は、そっと目を閉じてみた。
風が揺らす緑のざわめき、小鳥のさえずり、落ち葉と土の湿った匂い。
目を開くと、降り注ぐ陽の光が辺りをキラキラと照らしていた。
目に映るもの、感じるもの全てが新鮮で美しい。
かけがえのない貴重な世界にいるのだということを、今初めて目の当たりにしたように思えて、白雪はうっとり深いため息をついた。
「お疲れですか?」
姫の様子を注意深く探っていたのだろう、半馬身前を行く猟師が振り返る。
「いいえ、違うの。すごく素敵なところだと思って。なんだかもう、夢見心地で」
「それはようございました。お連れしたかいがあったってもんです」
猟師は目を細めて白雪を見やると、嬉しそうに微笑んだ。
「私の祖父は、ここの森番をしておりました。先代陛下の狩りに連れ立ったり、騎士様の野営訓練で案内をしたりしたそうです」
「まあ……ではあなたは、そのお仕事を継いだのね?」
悪気なく口にした白雪の言葉に、猟師は思わず苦笑する。
「いいえ、私は……。そもそも、私の父は森番の仕事が嫌で、独り立ちができる年になるとと同時に別の職を求めて町へ降りたんです。でも、結局は森育ちですから、何をしても上手くいかず、苦労ばかりでずっと貧乏していたと……私は父の、そんな愚痴ばかり聞いて育ちました。そのせいか、私もまた祖父の森番を継ぐ気にはなれず、かと言って町に馴染むこともできず、結局流れの猟師なぞをやっているわけです」
「でも、今はこうしてわたくしを案内して下さるのだから、もう立派な森番と言えるのではなくて?」
猟師は首を横に振ると、ゆっくり前へ向き直った。
姫からの問いに無言を返す、それは不敬な振舞いだったが、姫は咎めることをせず、2人はしばらく黙って進んだ。
やがて猟師が、先に見える木立ちの中の、細い分け道を指し示した。
「この先に、水辺があります。そこで少し休憩しましょう」
「わかったわ」
2人は細道を抜け、柔らかい下草の生えた開けた場所へ出た。
先には川が流れており、水音が心地よい。
猟師は素早く馬から降りると、姫の下馬を助け、積んできた荷物を降ろして広げた。
鹿皮や毛布を重ねた上に、肌ざわりのいい木綿の布を広げ、小さな木のテーブルと姫のためのクッションを並べる。
「どうぞこちらへ。軽く食事に致しましょう」
「ありがとう」
猟師は少し離れた場所に火を起こして湯を沸かし、侍女から預かった紅茶を淹れた。
軽食にと持たされたかごからパンと具材を取り出し、テーブルには大判のハンカチを広げて即席のテーブルクロスとする。
「城の食事には敵いませんが、外の食事には外の食事の良さがありましてね」
並べた木皿に清潔なふきんを広げ、軽くあぶった薄切りパン、蒸し鶏の薄切りと新鮮な野菜を重ねる。
串に挿したまるいチーズは、火に入れて蕩けたところからその上に垂らした。
最後にもう一度薄切りパンを重ねると、全てをふきんで包み込んで、姫へと手渡す。
「食べる部分だけ包みを開いて、直接かぶりついてください」
そう言われても、と戸惑う白雪をよそに、猟師は次に、自分のパンを作り出す。
パンはぶ厚め、しっかり端が焦げるほど焼いて、蒸し鶏の薄切りは3枚、野菜は少なめ、チーズはなしで、何かの粉をパラパラと振りかけている。
「それは何?」
「ハーブ塩ですよ。自分好みに調合してあります」
「蒸し鶏が多かったようだけど」
「それが好みですから」
「チーズは嫌いなの?」
「いえ、好きなんです。だから次のお楽しみにと。チーズだけをたっぷり、パンにからめて食べたいんです」
そう言うと、猟師は大きな口でパンに食いついた。そのままぱくぱくっと、3,4口程度で食べ終えてしまう。
「わたしもそんな風に、好みに合わせたパンにしてみたいわ」
「お作りしますよ」
「えっ、いいの?」
「先程お作りしたのは、侍女さまにご相談の上で作らせて頂いた、いわば基本のパンです。その味を元に、2つ目からはご自身の好きなようにされたらよろしいかと」
「そうなのね。楽しみだわ」
猟師が次のチーズをあぶりだしたのを見て、慌てて自分のパンを口に運ぶ白雪。
いろんな具材を挟み込んだパンは、なかなかに食べづらい。
「ここだけの話ですが、こういうサンドパンを野外で召し上がる時は、お行儀を少し忘れるとより美味しく頂けますよ」
そう言って片目をつぶる猟師に、姫は嬉しそうに笑った。
「そうね、ここだけの話、ここだけのお行儀ね!」
一生懸命1つ目のパンを食べ終えた白雪は、2つ目を猟師にオーダーする。
「あぶったパンに、トマトを2切れ。チーズをたっぷり。かぶせるパンはいらないわ」
「了解です」
その次は、レタスで蒸し鶏を包んで、猟師からハーブ塩を借りて。
最後は、ほんの一口分のパンに、チーズをたっぷりからめて。
3回もおかわりをした白雪は、クッションにもたれて空を見上げた。
「お腹いっぱいだわ、これ以上絶対に入らない。でも最高に美味しかった!」
「それはようございました」
猟師が2杯目のお茶を注ぎ、小さな濃い緑色の葉を浮かべた。
「あら、それは何?」
「爽やかな香りを持つハーブです。後口がさっぱりしますよ」
受け取ったお茶から、ふんわりと清涼感ある香りが漂う。
「レモンの匂いがするわ」
「ええ。この匂いが、料理の臭み消しや、薬や虫よけの材料になる理由です。町では紅茶ではなく、このようなハーブで淹れるお茶が主流ですよ」
「そうなのね。飲んでみたいわ」
「王城では難しいでしょう。美味いものではないですし、いわゆる野草の茶ですから」
「そう……でも、たまにこうやって、紅茶に浮かべたりするくらいは許されるかしら。趣向が変わって楽しそうだと思ったのだけれど」
「ああ、それなら」
猟師は川へ向かうと流れに手ぬぐいを浸し、摘んだばかりのハーブを包んだ。
「こうして乾かないようにしておけば、一日くらいは持ちますから。あとでコップに挿して、根が出たところで土に植えかえれば、いつでも使えるようになりますよ。他にも同じように使えるハーブが幾つかありますから、一緒に持ち帰って城の者に渡しておきましょう」
「ありがとう、楽しみだわ。やはりあなたは、森のことにとても詳しいのね」
白雪は頬を紅潮させながら褒めたが、猟師は静かな微笑みをたたえて目を伏せた。
「必要に迫られて、です。貧しかった父は、食うに困ると度々私を祖父の元へ預けました。私はそこで、幼い頃はハーブや木の実の見分け方を、少し大きくなれば木工細工や狩りを学びましたが、それらは全て、生きるための手段です。姫、森番は――村八分のなれの果てなのです。町では生きられず、隣国にも行けない者が、森との境目に追いやられて細々と暮らす――それが森番なのですよ。最初に森へ移り住んだ私の先祖が、どのような罪や咎があって町を追われたのかはわかりません。けれど森番は、そういう忌避される職業なのです」
「……そうなのね……」
それはこの時代特有の、職業による身分差別のひとつだ。
けれど当然のことながら、王城育ちの白雪は知らない。
白雪はゆっくりと頷いた。
「知らなくてごめんなさい。でもわたしは、あなたのその知識のおかげで今日、森をこんなにも楽しんでいるわ。わたしに森番を忌避する気持ちはありません。むしろ誇りに思います。そのことは、わかってほしいの」
「……ありがたいお言葉です」
2人は、静かに時を過ごす。
やがて休憩の終わりが来て、片付けを始めた猟師は、ふと手を止めて空を見上げた。
青い空の中、刷毛でさっと描いたような薄い雲が滲んでいる。
それは少しずつ流れていくのだ。じっとよく見なければ、わからないけれど。
薄い雲は少しずつ位置を変え、滲みを増し、やがて空に溶けていく――。
――誇り、か。
ふっと息をつく。
口の端が上がる。
王族に、ここまで言ってもらえたのだ。
それもまだ14歳の、幼い姫に。
子供のころからずっと抱えてきた、森番という職業への複雑な思い。
だが、変わらないものなどないのなら、もういいじゃないか。
もう自分を、自分の先祖たちの歴史を、許しても。
空を見上げる。
雲一つない、まっさらな空だ。
「……姫さま」
「なあに?」
辺りで花を愛で、虫を追っていた姫が振り返る。
雪のように白い肌、黒檀のように黒い艶髪、血のように赤い頬と唇――故に、呼ばれている。
白雪姫、と。
「実は、お楽しみはまだまだこれからなのですよ。ティータイムにはベリーの茂みをご案内します。ふきのとうの群生地にも寄りましょう。摘んだものを土産にすれば、それもまた美味しく頂けます」
「まあ、楽しみだわ!」
「しかし姫さまは今しがた、もうお腹いっぱいだとおっしゃっていましたが」
「大丈夫! あなたのお茶のおかげで、なんとかなりそうな気がしてきたわ」
「それはようございました」
いたずらっぽく告げる白雪に、猟師の頬も思わず緩む。
ベリーの茂み近くには、うさぎの巣穴があったはずだ。
運が良ければ、この春生まれた子ウサギを見せてあげられるかもしれない。
リスの大家族が住み着いている、どんぐりの木も知っている。
つる植物に覆われてそびえ立つ神秘的な岩だなや、樹齢千年のオークの巨木、陽が差すと不思議な色に輝く湧き水のほとりも。
それから、それから――。
まだまだもっと、見て欲しいものがある。
この森の、素晴らしいところを。
祖父から受け継いだものの、素敵なところを。
そうだ、森は、深く優しく、いつでも自分を、楽しませてくれていた――。
「どうかして?」
黙り込んでしまった猟師を、白雪姫が覗き込む。
「いえ――森の楽しみは、1日では足りないな、と」
「素敵ね。ずっと楽しみが続くなんて」
「ええ。姫さま、もしよろしければ、姫さまが森の小人の元に逗留される間も、時々はお寄りしてご案内しても?」
「もちろんよ! 楽しみに待っているわね」
「ありがとうございます。必ずや期待に応えてみせましょう――森番の、誇りに掛けて」
口にしたことで、より湧き上がる高揚感。
ぐっとこぶしを握りしめ、己の誇りを取り戻した猟師に、白雪ははっと息を飲み――やがて眩しい微笑みと共に、流れるような美しいカーテシーで答えたのだった。
犯罪者予備軍改心する、の巻。
次回「森の小人と王妃の画策」