01. 転生王妃と魔法の鏡
お姫様が出てくるお話が好きだった。
シンデレラ、眠り姫、白雪姫に人魚姫。
中でも一番好きだったのは、森の動物たちとの暮らしが愛らしい、白雪姫だ。
眠る前のひととき、何度もせがんでは、繰り返し繰り返し。
――鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?
***
『……それは王妃、貴女ではなく、御年14歳になられた白雪姫でございます――』
「え?」
子どもの頃を夢に見ていた女は、魔法の鏡がやけに生々しく近くで話すことに驚いて目が覚めた。
瞬いた目に飛び込んできたものは、豪華な装飾を施された黄金の鏡縁と、その中で驚きに目を見張る、美しい人。
しっとり流れる黒髪と、吸い込まれそうな翡翠色の瞳。
華奢な首筋、その白さは、男でなくとも惹かれてしまい、目が離せない。
もっとよく見ようと一歩踏み出せば、その美しい人も近づいてきて。
え、と思わず仰け反れば、その人もまた仰け反った。
さまよう目線の中、自身の身なりが目に入る。
タイトなドレスは、見るからに高級そうな紫のベルベッド生地に黒のレース。
「なっ」
カチャン。
高そうなティーカップが音を立てる。
よろめいた足がテーブルに当たったのだ。
中身が半分ほど減った、まだ湯気の立つティーカップ。
もう一度鏡を見る。
困惑した表情の女が映る。
これは一体誰――?
と、思ったのもつかの間。
ガブリエラはゆるりと頭を振ると、億劫げにため息をついた。
ちがう。
いや、ちがわない。
鏡に映っているのは、自分自身。
この国の王妃、ガブリエラだ。
希少なる魔女の血をひく、魔法の鏡の継承者。
だからなのか、稀にこういうことがある。
先祖返りなのか、魔女の血が見せるのか、ここではないどこかの、今の自分ではない彼女の意識が、混ざり込むことが。
けれど、今の彼女はガブリエラ。
稀有なる美貌は、他の何よりも敬われるべき世界の至宝。
この美しさを邪魔する者は、何人たりとも許さない――そう、思っていた。
つい、さっきまでは。
今は違う。
今は、それが全てじゃないことを知っている。
それはこれまで、ガブリエラの中になかったもの。
混ざり込んだ誰かが持ち込んだ、新しい価値観。
鏡を見つめてみる。
ものすごい美人だ。
これ以上、何を求めようとしていたんだろう。
この世で一番の美しさ? そんなもの、人それぞれだ。
確かに、白雪は美しい。でもそれは、王妃の美しさとはまた別の美しさだし、方向性の違う美を比べ出したらきりがない。
この世の一番じゃなくても、別に良い。
空が美しい、花も美しい、それでいい。
ぶっちゃけガブリエラは、ただ愛しい王の一番でありさえすればよかった。
そしてそれは、すでにもうこの手にある。
……いや、最近の夫婦仲は、少しぎくしゃくしていたかもしれない。
それもこれも、白雪への嫉妬のせい――つまり、自分のせいだ。
ふと、あることに思い当たり、顔がこわばる。
これまでのように白雪姫を虐げ続ければ、我が身に待つのはよく知るあの物語と同じく――きっと破滅だ。
夫婦仲どころじゃない。
早急になんとかせねばならない。
知らず知らず吊り上がるまなじりもそのままに、王妃は勢い込んで魔法の鏡に問いかけた。
「鏡よ、鏡――?」
美貌から放たれる必死さは、いっそ凄惨なほどだ。
鏡は、カタカタ震えて答えた。
『ひぃっ、申し訳ございません王妃様――ですがもちろん、次の手は打ってございますので』
「え?」
『姫を森に連れ出して亡き者にするべし――そう手筈を整えてございます』
「は?」
焦るガブリエラ王妃。
一方、鏡はドヤと言わんばかりに、ペカーンと光りながら言葉を紡ぐ。
『もちろん仕事完遂の折には、その証拠として姫の心臓を差し出すように言い含めてございます』
「ちょっ、何、ってかそれ、一体どうやって?」
『こういう汚れ仕事にうってつけの猟師がおりまして。そやつの家の鏡を通して、ちょいと暗示を――もし、王妃? 如何されました?」
王妃は思わず額を抑えて溜息をついた。
魔法の鏡が優秀すぎてやっかいである。
「あのねえ、そういう勝手なことしなくていいから」
『えっ、ですが王妃様、自分より美しい人間は、問答無用で可及的速やかに容赦なく絶対ヤれとおっしゃってましたよね。証拠品の提出も必須だとあれほど何度も』
「いやっ、そうだったんだけどねっ」
過去の自分のキレっぷりヤバい。
王妃は慌てて軌道修正を試みる。
わたくしは平和主義者、わたくしは平和主義者――。
「あのね鏡、そういう今までの過激なわたくしは、もう忘れてくれるとありがたいわ」
『はあ、もちろん鏡としては、王妃様が宜しいのならばそれでも構いませんけれど――』
「わたくし、生まれ変わったの。これからは善人を目指しますからそのつもりで。そうだ、ところで猟師は今、どこで何してるのかしら?」
『お見せしましょう、お任せあれ――』
そう答えながら鏡は、猟師の現在を映し出した。
猟師はちょうど、王城の庭で遊ぶ姫を見つけたところ。
「姫様、姫様。少し私とおいで下さい。いいところへ連れて行って差し上げましょう」
と、まさに今、声掛け事案の発生まっただ中である。
「仕事早っ。ちょっと、警備は何してるわけ?」
『いかんせん王妃の指示ですゆえ』
「白雪も少しは警戒……しないわね。そうよね、わかってた」
姫の素直さ、信じやすさは彼女の美徳でもある。
だがもう少し、警戒心を持つべきだ。
王妃は深い溜息をつくと、次の一手を考えた。
「それならば……鏡よ鏡、猟師への暗示を、変更することはできるかしら?」
『鏡か水面など、顔が映り込むものが御座いますれば――』
「なら、機会があり次第お願い。そうね、新しい暗示の内容は、姫を森の奥の7人の小人の元まで無事に送り届けること」
『承知いたしました』
「それから、森の小人の元にもつないでちょうだい。しばらく姫を預かってもらうことにするわ。え、留守? ならしょうがないわね、つながり次第、伝言しておいて。もちろん仕事に見合った報酬はお支払いします、とね。後日そのこと含めてわたくし自身が相談に向かうということも合わせてよろしく」
『かしこまりました』
「取り合えずはそんなところかしらね。さあ、忙しくなるわ。腰紐の取り扱いがある商人を集めましょう。それからええっと」
体のラインを強調したドレスが、動きにくいことこの上ない。
隣室のドレスルームを覗いてみるが、皆同じようなドレスばかりだ。
普段使いの動きやすい靴とドレスが欲しい。
装飾を排し、機能性を追求したペンも。
ティーテーブルでやるべきことや欲しい物のリスト作成を始めた王妃は、ふと鏡を振り返って言った。
「そうだわ、鏡。これからは、例えわたくしのためを思ってであろうとも、勝手な行動は慎むことよ。わかるわよね?」
王妃は優しく笑いかけた……つもりだったが、なんせ王妃は絶世の美女。触れれば切れるほどの迫力ある美人である。
魔法の鏡は「次、勝手な真似しくさったら割んぞコラ」という副音声を正確に聞き取り、『はい、王妃様』と神妙に返事をしたのだった。
有能な鏡は暴走する、の巻。
次回、「白雪姫と雇われ猟師」